辰野まどか


GiFT (Global Incubation × Fostering Talents)
(社)グローバル教育推進プロジェクト
専務理事/事務局長
ウェブサイトURL:http://j-gift.org

株式会社ドアーズ
プロフェッショナル・パートナー
グローバルエデュケーション・プロデューサー
ウェブサイトURL:http://www.doorz.co.jp

明治学院大学国際学部国際キャリア学科非常勤講師
(サービス・ラーニング担当)

SIT Institute Graduate Institute -Intercultural Service, Leadership and Management- 修士

<学生時代>
世界に共通する教育(グローバル教育)とはなんだろう?これが、17歳の時に芽生えたテーマ。
それを模索するために、大学時代に、世界中を旅するぞ!と決め、自分で自分のためのカリキュラムデザインをする。
その模索のためのカリキュラムでは、日本での面白い若者に会うネットワーキングから始まり、1年間の国際教育プログラムや、東南アジア青年の船に参加、太平洋州の島でボランティア、西アフリカ参加型開発スタディツアーの企画に携わるなどする。
また、中国横断や、アメリカ横断、ヨーロッパ、東南アジア等も周り、35カ国150都市以上を訪れる。
そして、世界に共通する教育は、ひとつのことを「教える」のは難しい、しかし、可能性やゴールを「引き出す」という意味では共通になりうると実感。

<社会人時代>
コーチング専門会社勤務後、地球市民を育成する「グローバル教育」を専門として、米国大学院留学。
その後、米国教育NPOにおいてグローバル教育コーディネーター、国連NY本部開催「平和文化会議」コーディネーター、内閣府主催「世界青年の船」事業コース・ディスッカッション(教育プログラム)主任等を通して、グローバル教育オタク度を上げていく。
これまでに、およそ50カ国訪れ、様々な地域で教育プログラムをセットアップ、実行。
現場のニーズに合わせた社会貢献&体験型学習(サービスラーニング)を意識して実践している。
グローバル教育を一般化させるのが夢。

2013年よりグローバル教育を普及する(社)グローバル教育推進プロジェクト(GiFT)での活動開始!

自分の名前に「ノマド(遊牧民)」が入っていることに気がつき妙に納得。
(2008年6月 原宿「Pizza Express」にて)

固定観念が崩される瞬間

(清水宣晶:) まどかは、今までたくさんの国に行ってるけど、
外国に行くのが好きなの?

(辰野まどか:) 外国に行くのが好きというよりも、
違う価値観に出会うのが好きなのかな。
今まで知らなかったことを知ったり、
「えぇ?そう来る?」ってびっくりするような体験がスゴく好き。

オレは、今自分がいる環境から遠く離れたところに
飛び移る行動を「ワープ」って言うとすると、
そのワープの幅が人生の幅だと思っていて。
ワープの幅が大きかったり、その回数が多いほど、楽しいって思ってる。
そういう感じと似てるかな?

そうだね。
おととい、「NOMADサロン」で
アグリカルチャーワークショップっていうのをやって、
それはまさにワープを体感するんだけど。
アフリカの小さな農村の生活をロールプレイで疑似体験して、
子供がたくさんいる家庭の母親役になった時に、
カロリー計算をしながら子供をどう生かすかとか、
どう食物を育てて売り生活するかとか、
重婚すればサバイブ出来るか、とか過酷な環境をシミュレーションするの。

スゴいね、それ!
実際の、現地の現状に合わせて、状況を設定しているんだ?

そう、イギリスの「開発教育」っていう分野で作られたもので、
実際にアフリカの人にやってもらっても納得してもらえる内容みたい。
それをやると、どうして彼らが学校に行きたいって切望をするのかとか、
重婚をしてしまうのか、とかがわかってくる。

うんうん。

そういうのをどれだけ「ウルルン滞在記」とかで観せても、
実感としては伝わってこないけれど、
実際にそういう役になって疑似体験をすると、
思い込みをはずして見ることが出来るんじゃないかと思う。
「アフリカが遠い」ってことも思い込みかも知れないし、
「アフリカが環境的に恵まれていない」ってことも思い込みかも知れない。

そういう固定観念をはずしたいんだね。

この間、モナコに行った時に、
モナコの友達に、
「寿司作れるか?」って聞かれたんだけどね、

外国の人ってそれ、
興味ありそうだね。

そう。
この質問は、すっごいよくされるんだけど。
「いや、寿司はにぎれない」って答えると、
「何で?」って聞き返されるのよ。
で、「あれはプロが何年も修行して出来るようになるものだから、
私なんかに作れるものじゃない」って説明して。

うん、
そう答えるよね。

近くに日本人の友達もいたんだけど、
その子にも同じ質問をするように言ったら、
その友達も、私とまったく同じ答えを言って。
そうしたら、モナコの友達はそれでも、「どうして?」って聞いてきたの。
「上手に作れなくても、自分のために楽しみでやればいいじゃない」って。
で、私は本当にそうだ、と思って。
寿司ほど身近な食べ物を、人生これだけ長いこと生きてきて
一回もにぎったことがないことに気づいた時、
「あー、私は職人にしかにぎれないものだ、
っていう固定観念にしばられていたな」って思った。

たしかに、そうだよね。
考えてみれば、酢飯と刺身だけあれば作れちゃうのに、
なんで自分で作らないのか不思議だよな。

そう。
結構そういう、固定概念が崩される瞬間が好きなの。

茂木健一郎さんが言う、「Aha!体験」みたいなもんだね。
そういう瞬間は、気持ちいいよね。

やって学ぶタイプ

固定観念をはずすためにさ、
何か、自分なりのアプローチの方法ってある?

研修を仕事にしてた時に使っていた言葉で、
「ラーニングスタイル」っていうのが人それぞれにあるんだけど、
「やって学ぶ」「読んで学ぶ」「聞いて学ぶ」「見て学ぶ」
っていう4種類のタイプがあるらしくて。

うんうん。
その中だと、まどかはどのタイプ?

私は圧倒的に「やる」ことで学ぶタイプ。
自転車でいえば、とにかく乗って、こいで、倒れて乗り方を覚える。

おお。
飛び込んでいく人だなあ。
その、飛び込む対象ってさ、自分から探して行く?
それとも向こうから来るの?

最近は、向こうから来るようになってきたね。

それは、自分自身のブランディングが明確になったからなのかな。
他の人に自分のことを説明する時に、
何をやっている人です、って説明している?

自分の中で専門としておいているのは、
「異文化マネージメント」っていうことで、
多国籍で、バックグラウンドが違う人達の中で、
どうやってチームを作るのかっていうことに関連して動いてる。

「異文化」っていうことに抵抗ないんだね。
日本人て、オレも含めてそうだけど、
異民族の中にいることに慣れてないから、
そういうの苦手な人多いんじゃないかと思うんだけど。

お兄ちゃん(辰野元信)も参加した、
「Up with People」っていうミュージカルグループがあって、
そこで、3日とか4日おきに違う家庭に
ホームステイをするっていうことをやってたのが大きかったね。
それで、80都市を続けてまわったの。

えぇ!?
じゃあ、80以上の家庭にホームステイしたってこと?

異文化交流の千本ノックだね。
その前にも、16歳の時に、母にアメリカに一人で送り出されて。
17歳の時には、3週間ぐらいスイスの国際会議に送り出されて。
英語も話せなかったし、その時はスゴい苦労だったんだけど、
そういうのでだんだん馴染んできた感じ。

随分若い時から、異文化に触れてたんだな。
それは、かなりのキャリアだよ。

その後に日本に戻ってきた時に、
「次に海外に出る時は、日本のよさを伝えられるようになりたい。
まずは、日本を知りたい、日本のオモシロさに出会いたい。」と思って。
そうしたら、王子で、藤沢烈とか、佐藤孝治さんとかに会って、
彼らは日本の同世代をつなげるっていうことをしようとしていて。
それを手伝った時に、多苗さん(多苗尚志)とかいろいろな人とつながったことで、
今でもたくさんのモチベーションを与えてもらっているね。

プロセスを楽しむこと

昔の自分と、今の自分とを較べて、
考え方とか変わってきたところってある?

20代の自分を振り返ると、
「あれしたい、これしたい、こうなりたい」っていう気持ちがすごく強くて、
常に、崖をよじ登って進んで行くような感じだったと思うんだけど。

うんうん。
とにかく、「やって学ぶ」タイプだからね(笑)。

今は、周りの人に「まどかはこれから、どうしたいの?」
って聞かれるんだけど、別に、そこに対しての焦りはないね。
色んな人に会う中で、そこで生まれるものを楽しみながら
日々生きていけばいいのかな、っていう感じに変わってきた。

目標達成志向じゃなくなってきたんだね。

そう。
今まで、コーチングをする時って、まず目標を決めて、
それを達成するにはどうするんだ、って考えてたんだけど、
それになんとなく違和感を感じることがある。
「この人はこれでいいのに、私は何をこの人に強いているんだ」って。

それは、最近の流れだな。
烈も同じ事を言っていたし、オレの周りで、
なんとなくそういう人が増えてきてる気がしてるよ。

そういう時代になってるのかもしれない、っていう感じはするね。
想いが実現しやすくなっていると思う。
固定概念を崩したいって思う大きな理由の一つには、
「幸せになってもいい」って考えを持っていい、
っていう風にしていきたいということがあって。
「年収これぐらいだから、これぐらいの生活ですよ」っていうのって、
本当かウソかわからない固定概念にとらわれているだけで、
本当はもっと心地よく出来る余地があるんじゃないか?って思う。

そうだよね。
オレも、人って誰でも、
やろうと思いさえすればかなり色んなことが出来るものだと思っていて。
たとえば、「今から24時間後にリオデジャネイロにいたい」、
と本気で思えば、そういうことも出来てしまうぐらい、選択って自由なんだよね。

そう、本当にそうで。
さっき言ってた「ワープ」っていうのも同じことで、
それがどこまで出来るかって、
自分の思考の幅がどれだけ開いてるかによると思う。
私自身がプロセスを楽しむことで、
「これだけ好き勝手にやっていいんだ」って
他の人を勇気づけることが出来たら、それが理想だね。

最初の異文化体験

前回、
じっくり話しを聞いたのって、
もう5年も前のことになるよ。

そんなに経つんだね~。
あの時聞いてもらった話しを、今読み返すと、
「私こんなこと考えてたんだな」ってことばっかりで、
かなり照れくさいんだけど(笑)。


それは、成長してるってことだね!
今日は、今のまどかに至るまでの
ルーツを聞きたいと思ってるんだよ。
まどかは、子どもの頃って、
海外に住んだ経験はあったの?

子どもの頃は、海外経験はなかったんだけど、
本当に小さい時から、お客さんとしては、
家にたくさん外国人が来ていて。

うんうん。

18歳の夏に、母が、
「どうしても英語を勉強したい」って言って、
ハーバードの語学学校に行ってきますって言い出したの。
その時、兄は一人暮らししてたし、父は単身赴任してたから、
家には私としかいない状態だった。

それは、いきなり、
結構不安だよね。


「アメリカ人の友達の子を呼んで、
代わりに住んでもらうから大丈夫。」
って言い残して、行っちゃったの。

(笑)なにが大丈夫なんだ。

そしたら、アンジェラっていう、
ハタチの、イケイケの女の子がやってきて。

その子は、もともと、
日本に来たがってたの?

その時、失恋したばかりで元気がなかったらしく、
じゃあ気晴らしに日本に行ったらいい、って、
アンジェラのお母さんと、ウチの母とで盛り上がって、
「アンジェラは料理も上手だから、すごい役に立つわよ」
って話しだったから、一緒に住んでもらおう、
ってことになったみたい。

お姉さん的に面倒を見てくれるだろうってことで、
来てもらったんだね。

それから、3人での生活が始まって。
学校に持っていくお弁当を、
アンジェラが作ってくれたんだけど、
お昼の時間になって、フタを開けたら、
ご飯と、生のニンジンだけだったの。

ぶはははは!
「料理が上手」っていう前評判は何だったんだ。


アメリカのサックランチ(お弁当)はサンドイッチと生ニンジンだから、
その感覚だったんだと思う。
その時は、ワオ!って、ショックを受けて。
結局、次の日から6時起きで自分で、自分と妹の弁当を作って、
学校に行くことになった。

アンジェラは、
学校も仕事もなくて、ブラブラしてたの?

日本語学校には通ってたんだけど。
六本木とかで出来た男友達の話とかよくしてくれて、
厳しい女子校育ちの私や私の友だちは、
いちいちビックリしてたの。

面白いなあ。

その時期はカルチャーショッックの連続で、
ほんと大変で、
母が日本に帰ってきた時には、
もう、「なんなの!」ってかなり怒ってた(笑)。

でも、
アンジェラは楽しかったんじゃないか。

うん。私も楽しかったし!
でもそれ以上に、アンジェラも大変だったと思うし、
みんな大変だったと思う。

(笑)みんな大変だった!

この前、母がアメリカに行った時、facebookの日記で
「そういえば昔、私がアメリカに勉強しに行った時、
娘たちへのプレゼントとして、友達の子を呼んだことがありました」
とか書いてて、「ええっ!?」って思った。

超ナイスアイデアと思ったんだろうね。
まどかたちにとっても、アンジェラにとっても、
素晴らしい経験になるだろう、と。

そう、「win-win」、
みたいに考えてたんだと思う。


いや、でも実際、
素晴らしいプレゼントだと思うよ。

そうね・・。
大変だったけど、すごい楽しかった。
大勢で集まって、料理大会やったりとか。
アンジェラが、私の友達に、
「彼の唇、超セクシーだったわ」とか語って、
女子校の子たちだったから、
みんな何言ってるのか全然わからないって感じで。

かなりのカルチャーショックだよね。

あれが、
身をもって異文化コミュニケーションをした、
最初の体験だったと思う。

海外への旅立ち

最初に、記憶に残る海外経験をしたのって、
いつのことだった?

海外へは、家族旅行や
一人でアメリカのサマースクール行ったりとか
ちょいちょい行くことがあったけど、
最初の、結構ヘビーな海外経験は、
高校2年のとき行った、スイスの国際会議での3週間。
母親に「夏一人で、スイスいってらっしゃい」って、
17歳の誕生日に、突然言われたの。


それは、何の会議だったの?

「MRA」っていうNGO
(※現在の名称は「IC(Initiatives of Change)」)
の、平和について考える会議で、
EUも、もともとは、このNGOがきっかけで生まれたみたい。

そんな大きい国際会議だったのか。

その時ちょうど、戦後50年の年で、
世界中の人たちが集まって語り合ってたんだけど、
それに、すごくインスパイアされて。

うんうん。

会議の最後に、コメントを求められた時、
「ありがとうございました。
こういう、世界中の人が平和を考える場が、
ずっと続いてほしいと思います」って言ったら、
その場にいた、80歳ぐらいのおばあさんに怒られた。

ええ!?
なんで怒られちゃったの?

「何言ってるの、あなたが続けるんです」って。

あ、なるほど!

私の中で、やっぱり、
「平和は勝手にやって来る」
っていう思いがあったんだね。

たしかに、17歳が80歳に
未来を期待するってのは逆だよなあ。


それで、すごく熱い思いで日本に帰って来て。
高校を卒業したら日本を出て留学しよう、
って思ってたんだけど、
そう決めてた高校3年生の時、
藤沢烈さんとか、佐藤孝治さんたちに会ってしまい。
こんなに熱い大学生がいるんだったら、
海外に行くのもったいないじゃん、って思って。

日本でも出来ることはたくさんあるって知って、
留学プランは後回しになったんだな。
大学では、何をやってたの?

最初、少しの間だけアイセックに入ってたけど、
理想的なサークルないかなってたくさんの人に会っていて、
ETICの宮城さんに相談をした時、
「自分で作ればいいじゃん」って言われて、
「BORDERLESS」っていう団体を立ちあげたりしてた。

それで、他の大学の人たちと一緒に、
活動してたんだね。

その時、京都にいた星野辰馬くんと会って、
21世紀に向けてお互い頑張ろう、って言ってたの。
私は関東をやるから、あなたは関西を
って感じで。

(笑)二人で勝手に、
日本を分割しちゃってたのか!
で、その後に、大学を休学して、
Up with People(※以下「Up」と省略)
に参加したんだね。

そう、2000年に、生徒として参加したんだけど、
その直後に突然、休止っていうことになっちゃって。

そうか、休止になる前の、
最後の回に参加してたんだな。

「Up」がやっていたことって、
まさに、グローバル教育ど真ん中で。
ちゃんと体系立ててやっていた、
私が知っている唯一の団体だった。

まどかの考えるグローバル教育の姿と、
かなり近かったんだね。
「Up」の活動っていうのは、
コモンビート」がやっているような、
ミュージカル公演の巡業をするんだっけ?

そう、ミュージカルの公演と、
あと、ホームステイとボランティア活動、
っていう3つを、世界各地でやるの。

ホームステイも、
プログラムの中に入ってるんだね。

3日か4日おきに違う家にホームステイをして、
異文化千本ノックっていうことをやるんだけど。
そこで、自分の常識なんて、
全然常識にならないっていうことを知る。

なるほど。
価値観を叩き壊されるんだな。
アメリカだけじゃなくて、いろんな国で活動するの?

活動をしているのは、ほんとに世界中のいろんな場所。
まず、アメリカのデンバーに集まって、
3週間トレーニングを受けた後、歌って踊れるようになったら、
みんなでバスや飛行機に乗って旅しながら、
100人以上で、1年間移動するんだよね。
(※当時は1年間だったが、今は、半年間)

そんなに長い期間、旅をするのか。
ホームステイをする時は、
何人かの単位で、別々の家に泊まるの?

都市によって違って、1人だけで飛ばされるときもあれば、
10人ぐらいで雑魚寝、っていうこともあるし。


面白いなあ。
それだけ大人数のホームステイ先って、
どうやって見つけるんだろう。

インターンの生徒が、先に街に行って、
ホームステイ先を探してくるの。

あ、自分で探すんだ!?

お茶してる時も、髪を切りに行っても、
そこにいる人に話して、
「ホストファミリーしません?」って口説く。

それもまた、異文化コミュニケーションだなあ。
英語で説得するわけでしょう。

英語が通じる人ばっかりじゃなくて、
スペイン語ネイティブ人なんかもいるし。

生徒が自分で交渉するってのも面白いし、
ホストファミリーが、一般の市民っていうのもいいね。

いろんなルートを使うから、
学校とかにお願いしたりもするんだけど、
それでも足りない分を、自分たちで見つける。

それは、やってるうちに度胸がつくだろうな。
同じ国際交流でも、
「世界青年の船」とはまた違うアプローチだね。


「Up」って、目的としてることは
「世界青年の船」とかなり近いんだけど、
「Up」の卒業生は、一人で独立をしてる人が多い気がする。
「世界青年の船」も独立する人はもちろん沢山いるけど、
ちゃんと組織を創るひとが多いかな・・・。
感覚値だけれども。

なるほど、それは、異文化にたくさん触れて、
いったん自分の中の常識を再構築させられてるってことが
影響してるんだろうなあ。
それも、まどかの原体験としてでかいだろうね。

すごく大きいと思う。

一番好きな領域

それで、日本に戻った後、
大学を卒業するっていう時は、
どうしようって考えてたの?

就職活動の年は、結構いろんなことがあって。
「狐の木」(※1998年~2000年、北区王子にあったBar。
サロンのような、当時20代を中心とした若者が集う場所だった)

も、「Up」も無くなり、
4年間インターンしていた「国際協力プラザ」っていう
外務省の外郭団体も仕分けにあって規模縮小、
っていうことがたて続けにあって、
諸行無常の年だったの。

(笑)それは、
諸行無常を感じるね。

「こんなにいいことをやってるのに、
何故消えなくちゃいけないの?」って考えた時、
ビジネスとして成り立っていないからだ、
って思って。

「役に立つ」とか「楽しい」っていうだけじゃ、
長く続かない、っていうことだよね。

まず、ビジネスのことを知らないと、
自分のやりたいことは出来ない、って思ったから、
コンサル系の会社に入って、ビジネスの勉強を
しようかな、と考えてたんだけど。

うんうん。

その時、アメリカで「Up」の会合があって、
活動を停止するって聞いた同窓生が世界中から集まり、
みんな怒り心頭で、えらい騒ぎになってて。

うわー、、
「Up」が無くなってほしくない、
って人たちが、一箇所に集結したのか。


その時、一人の女性がファシリテーターとして登場して、
「あなたたちの今の思いをこの紙に書いてください」
って紙に書かせて、それを集めた後、
「じゃあ、これからUp with Peopleの
チャプター2のことを話しましょう。
まず最初にすることは・・この紙を捨てることです」
って言って、バーンって捨てちゃったの。

なに、それ!?
どうして?

「私たちはこれから未来のことを話すんです」
って言って、そこからスタートさせて。
で、その女性は、会議の中でいろいろなやり方で、
参加者たちの気持ちを整理するっていうことをやって、
混乱してた空気がまとまっていった。

うおー、、
プロだなあ。

わたし、こういうことをやれる人間になりたい!
って思って、これは何なのか、って聞いたら、
「彼女はコーチングの手法を使ったのよ」って言われて。
で、日本に帰って調べたら、
「coach21(現coachA)」っていう会社があることを知って、
そこで働きたい、って応募をしたの。

そういう就職活動のタイミングで、
やりたいことが見つかるっていうのも、運命だなあ。
まだ、コーチングなんて、
日本でほとんど知られてない時期だよね。

そう、当時は私も、
そういうものがあるってことを、
まったく知らなかった。


「グローバル教育」っていう言葉も、
今でこそ、世の中で普通に理解されるけど、
まどかは、17歳の時からずっと、
そのことを考え続けてるわけだから、
やっぱり、年季が違うよ。

そこが、私が一番好きな領域なんだろうね。
いろんなバックグラウンドの人が、
「これから世の中をどう良くしていこう」って
ディスカッションしている時の、エネルギーとか、
それぞれが思っていた価値観がぶち壊されながら、
それがリビルドされていくときの雰囲気が好きで。

なるほど。


それは、「Up」で、世界を旅しながら、
それぞれの地域でディスカッションする時にも起こるし。
「世界青年の船」で、13か国の人たちが
理想の教育について語り合う時にも起こるし。

「世界青年の船」も、また、
ものすごいいろんな価値観が混ざり合う場所だよね。

去年の35日間の航海の中で、2回だけ日にちを分けて、
リーダーシップセミナーっていう、
自分のあり方やチームのあり方を考えるっていう
超前向きな話しをする場があったんだけど。
1回目は、イルカが船のまわりをぴょんぴょん飛んで
たくさんやって来て、
で、2回目の時は、クジラが遊びに来たの。
イルカやクジラが来るなんてことは、
後にも先にもその2回だけだったから、
かなりいいバイブを発してたんだろうなあ、と。

船が!?

そう、船が。
そのバイブに引き寄せられて
遊びにきちゃった、みたいな。

ぶはははは!
イルカとクジラの感受性、
スゴすぎるな。

そう思っちゃうぐらい、いい雰囲気だった。
みんな全然違うのに、一つのゴールがあるっていう。
日本と中国だけで話しをすると、日中の話ししかできないけど、
3か国以上で話すと、逆に、世界の話ししか出来なくなる。

それは、たしかにその通りだなあ。
思考の枠組みが変わる時って、
自分のテリトリーとまったく違う分野とか、
知らなかった場所にいる人と接した時だよね。


結局、そこにしか答えはないなと思っていて。
今度、グローバル教育サミットを開催しようと考えていて。
私たちは、70年後にどんな地球社会を贈るのか、
そのための人材育成とは何か、についてダイアローグするんだけど、
どこにも答えなんかないし、誰も答えなんか持ってないのが前提。
大学の担当者も、人事の方も、
学生も、文科省の方も、同じテーブルについて、
もやもやっとした中で話す、みたいなことだけだと思う。

うんうん。

その中で、日本の現状においてはこれじゃない?
っていうのがなんとなく見えてくるもので。
スウェーデン式でもアメリカ式でもない、
「ここにしかない」ものを見ていくしかない。
そういうことを成り立たせる場を作っていきたい。

一人の人間として中に入る

この前、ドアーズの「グローバルラーニングジャーニー」で、
フィリピンに行って。
日本からの参加者と、フィリピンの市民と、
貧困地域の、お墓に住んでる人たちとの三者で話しをして、
新しいビジネスを作るっていうプロジェクトをやったの。

お墓に住んでる人たち?
それは、住む場所がなくて、
墓地の中に住んでしまってるっていうこと?

そう、土地のない人が
お墓の石の上が空いてるじゃん、
ってそこに家を建てたら、それが広まっちゃって、
一気に人が集まって、住むようになったの。
セブ島のロレガ(Lorega)地区っていうところなんだけど、

そこに住んでいる人と一緒に、
話しをするわけか。

最初に、それぞれの人生を語らう時間や、
思いを打ち明ける時間を持って。
はじめは、「貧困地区の人とコラボレーションをする」
っていう言葉でプログラムの説明をしてたんだけど、
話し合いをした後は、「頑張ってる友達」っていう
存在に変わっていったの。


なるほどなあ。

一緒に話した、フィリピンのエリート層の人たちも、
「同じ国に、そんな生活があるなんて知らなかった」
って泣いてたりしてたんだけど、話してるうちに、
「なんだ、感じてる気持ちは、自分たちと同じじゃん」ってなって。
そこから構想が生まれて、一緒に作ったカフェが、
昨日オープンしたの。


その話し合いから、
そこまで具体的な形になっちゃったんだ?

私の中でも、そこで一歩進化したことがあって。
ファシリテーターとかコーチとかをやってきて、
「お客さんから引き出す」、
「お客さんが主役で私はサポート」
っていう立場を取ってたんだけど、
私はずっと、間に線をひいて、
こっち側にいたんだな、って気づいたんだよね。

一歩引いた、
客観的な視点から見てたんだね。

過去の成功体験とかを全部捨てて、
一人の人間として中に入っていって、
一緒に話した時にはじめて、
そこから何かが生まれるんだ、って思った。

そうだよね。
相手と同じ側に立たないと、
心を開いてくれないってのはわかる。

やっぱり、プライドとして、
自分の作ったプログラムにしたいと思うのに、
ダイアログはそれを許さない。
プログラム中、私は2回ぐらい泣いちゃって。
身を委ねた途端に成果が出るっていうのを、
体感として勉強させてもらった。


場を自分がハンドリングしよう、
っていう気持ちを捨てた途端に、
上手くまわるっていうことはあるよね。

その時期はちょうど、
GiFTの立ち上げが本格化してたタイミングで。
最初はすごく背伸びをして、いかに規模を大きく
していこうか、とか考えてたんだけど、
その体験の後、肩の力が抜けて。
GiFTでは、一緒にやりたいと思う人と、
自分が本当にやりたいことをやりたいと思ってる。

相手の肩書きで人を見るんじゃなくて、
考えを共有出来るかどうかって基準で考えてるんだな。

それがどこまで出来るかって、すごくコワいけど。
産・官・学・民、それぞれの分野の人を、
つなげたいっていう思いがあるから、
いろんな立場の人とコミュニケーションをしたい。

まどかの動き方は、物理的に、
場所の制約を受けないってこともあるけど、
時間的な面でも、日によって、
全然別のことを並行してやっていて、
それがすごく面白いね。

一つの場所にじっとしてられない、
って思っちゃうんだろうね。
どんなにGiFTの組織が大きくなろうとも、
有機的にものを生み出せるように、
ノマディックワークスタイルは変えたくないなって思う。
(2013年3月 中目黒「FRAMES」にて)

【暮らし百景への一言(辰野まどか)】
生きてきたことを物語にしてくれる。
生きている証を感じさせてくれて、素の自分をレコードしてくれる。
それは、本当に貴重なギフト。
あっきー、ありがとう!

そしてモナコのダンスパーティの話が出ていますが、実は、日本国内でボランティア活動をしていたら、突然主催者の方に招待されたという流れでした・・・。人生何が起きるか分からない、ノマドライフの結果です。

清水宣晶からの紹介】
まどかを特徴づけるものは、その独立独歩の性格だ。
グローバル教育や、コーチングといった言葉がまだ世間に知られていないうちから、未開の地を切り拓き、ようやく世の中にその存在が知られてきた頃には、既にそこを抜けて、常に一歩先の領域に進んでいる。

ある時には草の根のNGO活動に参加していたかと思えば、また別の時には、モナコのダンスパーティーに参加していたりする。その、驚くほどの振れ幅の広さが、あらゆる価値観を柔軟に吸収する素地を作ったのだと思う。

ちょっと大きな話しになってしまうけれど、戦争で何万人もの人の上に爆弾を落とすことが出来てしまうのは、相手の顔がわからずに、「敵国人」という漠然とした記号でまとめてしまっているからだ。
少しの時間でも、面と向かって話しをして、何らかの気持ちを共有した後では、その相手と争うという気持ちは、誰であっても持ちにくいだろうと思う。
そうした相互理解を生み出す、対話というものの効果を、彼女は体感として誰よりもよく知っている。

グローバル化というのは、国家や個人を区別していた垣根が無くなっていくことだ。
まどかは、国境だけではなく、働く場所も時間も、組織という立場の壁も、あらゆるボーダーを取り去ってしまうような、人と人との結びつけ方をしている。
彼女こそ、どこの所属にも固定されることのない、生粋のノマドなのだと思う。

辰野まどかさんとつながりがある話し手の人


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