清水元承

クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社
執行役員 経営企画部長

一橋大学卒業。1997年東京三菱銀行入行。証券投資部にてリスク管理業務に従事。
PCスクール企業を経て2003年キアコンに参画、小売業再生案件に携わる。
その後アパレル企業にて経理・財務を担当。
2005年リヴァンプにてクリスピー・クリーム・ドーナツ・プロジェクト着手。
2006年6月クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社 執行役員経営企画部長就任。
(2009年2月 新宿「バーガーキング」にて)

ドーナツとの出会い

(清水宣晶:) ずーしみが、クリスピーのドーナツに初めて出会ったのって、いつの時だった?

(清水元承:) 当時、勤めていた銀行を辞めて、パソコン教室で働いていた時でさ。
大学のアメフトやってた時の同期が、アメリカでスポーツのエージェントをやってたんだけど、それの日本での営業を俺が手伝ってて。
で、その営業でユニクロに行ったことがあって、
当時副社長だった澤田さんと話す機会があったんだよ。

その時は、スポンサーになってもらいたいっていう話しをしに、
ユニクロに行ったんだね。

そう。澤田さんっていうのは、
フリース50色!とか、原宿店オープン!とかやって、
ユニクロの業績をバーンと跳ね上げた張本人でさ。
ぎょ!そんな有名人と会えるなんて、とワクワクして出かけたんだよね。

たまらんなあ、それは。
話しは、どうなった?

その時は、「素晴らしいことやってると思うけど、今は協力は難しい」って言われて、その話しはまとまらなかったんだけど。
彼も上智でアメフトをやっていたことで気が合って、これからも仲良くしていきましょう、っていうことになって。

うんうん。

そしたら、その3ヶ月後くらいに、
彼が、ユニクロを辞めるっていう記者会見をしたんだよ。
で、その少し後に、澤田さんが、
「週末に仲間が家に集まるから、清水くんも遊びに来なさい」って声をかけてくれて。

自宅に?
それもまた、面白そうな集まりだね。

そこでさ、「世界で一番美味いドーナツを知ってるか」って言って、
前日にロスアンゼルスから持って帰ってきたばかりのクリスピードーナツをくれたんだよ。
それを食べた時は、これ、マジ美味い!と思って。

クリスピードーナツを最初に食べた時の、
あの食感って衝撃的だよね。

「この、アメリカで一番ホットでクールなドーナツ、この味を日本で食べられないのは国家的損失だ、ていうか毎日食べたい!」って思った。
それが、ドーナツとの最初の出会いだった。

その後、日本に出店するプロジェクトに参加することになったの?

そう。
彼から話しを聞いた後に、「それは、大変興味があります」って言って。
まず何をやるんですか?って聞いたら、市場調査をやるっていうんだよね。
東京でどんなスイーツが人気があって、何が人気の秘密なのかを調べるらしいから、
それ、僕もやらせてください、ってくっついていったんだよ。
で、彼の車で移動しながら、
この日はキルフェボンに行ってタルトを食べる、
次の日はパステルに行ってなめらかプリンを食べる、っていう旅をしてさ。

その市場調査は、うらやましい(笑)。

その途中にユニクロの店があると、そこに寄って、
「清水くん、この店をパッと見て、どういうところがいいと思う?」
とかって聞いてくるんだよ。
で、「この店は、昔は売り上げが全然上がらなかったんだけど、店長が変わって、毎朝店の前を掃き掃除しよう、ってなったら周りの住人からの評判になってモチベーションが上がってね」とか、行った先々で、そういう色々なエピソードが炸裂するわけよ。
はじめは「ふーん、そういうもんなのか」って聞いてたんだけど。
そういうのが続くうちに、これはとてつもない勉強をさせてもらっているんじゃないか自分は、と思うようになって。

つきっきりで個人指導してもらってるようなもんだね。

この人と一緒に仕事をしたら、たいそうすごい経験を積んでいくことが出来るんじゃないかっていう、興味が湧いてきた。
これは強烈な体験だったね。

旅立ちと試練

その後、最初にクリスピードーナツと交渉した時は、うまくいかなかったんだ?

2002年の年内いっぱいは、その交渉を頑張ってたんだけど、
結局、アメリカの本社と折り合いがつかなくて。
それが、たいそう残念だったんだな。
ではいったい、何をやるんですか、と聞いたら、
企業再生をする会社を立ち上げるっていうから、
俺は勤めてた会社を辞めて、そこで一緒に働くことにして。

当初に予定してたのとは違う仕事で、一緒に働くことになったんだね。

でもさ、その時に、自分の中には、
「よし、これをやるんだ」とか、「こうなるんだ」っていうビジョンはないわけ。

おお?
バリバリ働いてるのかと思ってたから、それは意外だな。

なんか、そういう状態で仕事を一生懸命やったとしても、地に足が着いてないというか、中途半端になっちゃうんだよ。
自分でやってて、その感覚がわかる。
自分でわかるぐらいだから、まわりからしたら余計それがよく見えるんだな。

うんうん。

で、澤田さんと面談があって。最終的に、「ここでやっていくには力不足、外の世界に出て修行すべし」ということで、家出。

ぶははははは!
破門されたんだ!?

そう、自分でも力不足だってことはわかってるんだよ。
もうそれは、客観的に見て明らかだった。

その時は、クビっていうんじゃなくて、
またいつかは戻ってこいっていうことだったのかな?

いやー、そうは考えてなかったんじゃないかな。
その後、知り合いがベンチャーキャピタル立ち上げるっていう話しを聞いて、それを手伝ったり、アパレルでM&Aをやっていくっていうところを手伝ったり、ってことをやってたんだけど、どれも短命で長続きしなくて。

あちこち漂流してたんだな。

家出して出て行った時の状態ってのは、
やることなすこと、自分自身がまったくわけわかってないので、
「お前、これどうなってるんだ」とか「この状況を打破するんだ」ってことを、自分で処理出来ないんだよ。

キツいなー、それは。

そうするともう、状態としては「使えない」ってことになる。
脳みそ停止状態。
で、こっちからすると、わけがわかってないのに矢継ぎ早に色々と指示が来たりしても、「怖い」。

(笑)「怖い」。

怖い。怖い。
「怖い」っていう気持ちを抱えて、ある意味でいったら、向き合うことが出来ずに逃げたんだな。
だから、戻ることは俺も考えてなかったんだよ。

あてどなく、飛び出していった感じだね。

そっから迷走が始まって。
どうするの、俺?って。
目の前の仕事はとりあえずやるんだけど、どこへ向かうのか全然わからん、と。
そんな感じで一年半くらい経った頃に、突然、澤田さんから電話がかかってきたんだよ。
ちなみに、家出した後、ビビっているので、澤田さんには一切連絡をとってないっ!

ものすごいビビりようだな!

そしたら、元気か?と。
「お前、出ていったっきり全然連絡がないじゃねーか」って言われて、
「は、はい!じゃあ、すぐ行きます!」って、会いに行ったんだよ。

(笑)ビビってるなあ。

彼は、その直前に、前の会社をたたんでてさ。
それと同じタイミングで、その時のユニクロの社長の玉塚さんも辞めて、
一緒にリヴァンプっていう新しい会社を作ったところだったんだけど。
「元承、お前はどうしてるんだ?」って聞かれても、
「相変わらず、何を目指してるのかわからなくて、地に足が着かない状態で仕事してます。」って答えるしかない状態だったんだな。

うんうん。

「元承は、どういう仕事をやりたいんだろうな」って聞かれた時に、思い出したことがあって。
前に、澤田さんの家でドーナツを初めて食べた時、どうやったらこれが日本で受け入れられるかってディスカッションをみんなでしたんだけど、そこで話した会社のイメージが、ずっと理想として自分の頭の中に残っててさ。
そのことを彼に話したら、「ぴったりの仕事がある」って言い出したんだよ。

お!まさか!?

クリスピーの仕事が、また持ち上がってきてるから、お前やるか、ということになって。
「おー、あのドーナツの仕事がまた出来るのか!これはやりてぇ」と。
ところが、もう一方では、「ということは、また澤田さんと仕事をすることになるのか」と。

(笑)それは怖い、と。

で、どっちかというと後者が強いんだよ。
「それは素晴らしい・・ちょっと一週間考えさせてください・・」って答えながらも、頭ん中では、「一週間後にどうやって断ろうか」ってかなり腰が引けた状態になってるんだよ。

うんうん。

でも、せっかくの機会だから、玉塚さんって人に話しだけでも聞いてみようと思って会いに行ったんだけど。
その時は、創業したてで、全然人材が足りない状態でさ。
前に澤田さんと仕事していたっていうことで、妙に期待をかけてくれていて、
「かけがえのない仲間だから一緒にやろう」と、いきなり握手してくれたんだな。

話しを聞きに行っただけのはずが。

そう、それで、これはちょっと真剣に考えないといけないと思って、
玉塚さんに本音トークで相談をしたんだよ。
クリスピーの仕事はものすごくやりたいんだけれど、澤田貴司と仕事をすることが恐ろしくてたまらないのです、と。

うんうん。
そしたら?

聞き終わった後に、「言ってることはよくわかる」と。
「でも、それを乗り越えないことには清水くんの成長はないんじゃないかな」って言われて。
アイスピックで頭をかち割られたような衝撃を受けたんだよ。
ぎょぎょ!その通りだ、と。

その、玉塚さんとの出会いもまた、すごいなあ。

ちゃんと考えますので、あと5日間だけ時間をください、って言って。
その週末に、クリスピーは日本で本当に受け入れられるかどうか確かめるために、韓国に行ってきたんだよ。

おお!韓国のクリスピードーナツを見に行ったのか。
結構、店舗数もあったの?

8店舗ぐらいあったのかな。
今の日本と同じくらいの数があって。
朝昼晩おやつ、全部ドーナツを食べに行って、30個ぐらい食べたと思うんだけど。
まだ明日も食べられる、ってぐらい美味いと思った。

それだけ食べ続けても、食べ飽きなかったんだ?

全然、毎日いけると思った。
これは東京でやったら間違いなく受け入れられる、と
事業性の面では、確信したんだよ。

うんうん。
あとは、澤田さんと仕事が出来るかどうかだけだね。

そのことも、ソウルの街を歩きながらずっと考えてたんだけど。
答えが出ないまま最後の夜が過ぎていって、
帰ろうと思ってホテルの方向に顔を向けた瞬間に、なんと、流れ星がヒューって流れたんだな。

ドラマチックだなあ!

それ見た瞬間、これはもう、やれってことだと思って。
で、やるって決めたからには事業を絶対成功させるために、
誰に何を突っ込まれようと答えられるようになるってことで、
その状態になれば、澤田貴司怖くないんじゃないか?って思えてきて。
それで決心がついて、日本に帰って「やります」って答えたんだな。

そして帰還

また一緒に仕事するようになった後は、
クリスピーとの再交渉から始めたんだ?

それから一ヶ月後にアメリカの本社の人達に
日本での事業計画のプレゼンをすることになってて、
それで説得出来ないと、また計画は失敗になっちゃうんだよ。

それ、プレッシャーかかるなあ。

で、他の人のプレゼンテーションとかを真似しながら作ってみるんだけど、
それが、とんちんかんなんだよ。
で、それを見るに見かねた澤田さんが、
「お前・・本当に変わってねえな」と。

(二人、爆笑)

「徹底的にやるぞ」っていうことで、
そこから一ヶ月間、毎日マンツーマンでプレゼンを作ることになった。

どういう指導をしてくれたの?

どうやったら、説得力のある説明が出来るか、ってことなんだけど。
たとえば、日本で店を出す時にポイントとして、人件費が高い・家賃が高い、っていうのがあって。プレゼンでは、そこをきっちり説明する必要があったんだよ。
で、世界主要都市の地価一覧、みたいなちょうどいい資料がネットで見つかって、それを使って東京の土地の高さを説明したんだけどさ。
そしたら彼が、「それ本当か?」と。

おお!
そこに突っ込みが入るわけか。

いや、こういう資料があったんです、って言うんだけど、
「お前は、それを、自分の目で確認したのか?」って聞かれて。
そこまで言われると本当に合ってるかどうかわかりません、て答えたら、
「それは、迫力がない」って言われたんだよ。

なるほどなあ。
ネットで拾って寄せ集めたようなデータじゃ、
誰でも簡単に同じものを作れちゃうしね。

ニューヨークの、この場所の店舗だと家賃いくらです、
原宿の神宮前交差点の、この場所で家賃いくらです、
って、自分で確かめた事実じゃないと、相手に伝わらないってことを教えられて。
言われた通りにやってるうち、それは、すごく自分の仕事のやり方に影響を与えたな。
そうやって鍛えられながら、プレゼンの直前までずーっと徹夜続きで資料を改良し続けた。

その、超パワーアップ版で本番に臨んだわけか。
プレゼンは、どんな感じだった?

本番のプレゼンテーションっていう場自体が初めてだし、
しかも、英語で説明するってのも初めてで、かなりドキドキだったんだけど。
1時間半、ほとんど準備して思ったとおりのプレゼンが出来て、
向こうの親玉が、「今まで色々な国の提案を聞いてきたけれど、お前のがベストだ」って言ってくれたんだよ。

大成功だね、それは!

終わった後に、隣りで澤田さんが「本当か?本当に今まででベストだったか?」って何回も聞いてきたんだけど、その時の聞き方がすごく嬉しそうで。
この瞬間が、完全に澤田貴司が怖くなくなった瞬間だった。

それは、乗り越えた感じするよなあ。
ほんと、話しを聞いていると、
ずーしみにとって、澤田さんの存在ってのは
ものすごくでかいんだな。

メンター、師匠だね。
よく、本を読むとさ「メンターを探しなさい」って書いてあるじゃん。

うんうん。
よく言うね。

でも、メンターって何だ?と。
指導者、とか導いてくれる人、とか書いてるけどよくわからん。
で、とある本には「ヨーダのようなもの」って書いてあるんだよ。

ぎゃははははは!

そりゃ、映画の中の話しだろう、と。
意味が分らなかったんだけど、澤田さんと仕事させていただくにつれて、
ああ、こういうことを言うんだな、って思ったな。

たしかに、ヨーダとか、オビワンみたいな存在だね。
スターウォーズもそうなんだけどさ、
神話や英雄譚の基本構造っていうものがあるらしくて、
その中には、必ず「旅立ち」っていうプロセスがあるんだって。
で、その後に「試練」があって、「帰還」がある。

おおー、旅立ちと試練と帰還(笑)
まさに、それはあてはまってるなあ。

将来、ずーしみの自叙伝が出来た時、
これは間違いなく、最高の物語になると思うよ。
(2009年2月 新宿「バーガーキング」にて)

清水宣晶からの紹介】
ずーしみは、行列がなくならないドーナツ屋、クリスピー・クリーム・ドーナツを日本に持ってきた立役者だ。そのシビアな交渉をアメリカで続けていた当時、カッコいい仕事をしているなーと思いながら見ていたけれど、その影にあったたくさんの苦労と努力については、今回話しを聞いて初めて知ったことが多かった。

ずーしみがいると、やたらと場が盛り上がる。
体はでかいし、笑い声はでかいし、言うことは面白いしで、とにかく何処にいても目立つ男だ。
歌舞伎俳優のようでもあるし、中国の豪傑のようでもあるし、アメリカのエグゼクティブのようでもあるし、なにしろ枠に収まらない大きさを感じる。

気がつくと日本からいなくなっていたり、あちこち忙しく飛び回っているけれど、それでも、仲間うちの集まりがあると軽い足取りでドーナツの箱を提げてひょっこり現れて、その場を明るくしていく。
ずーしみの賑やかな人生から綴られる物語は、この先、新たな冒険をくりひろげつつエピソードVIぐらいまで続いていくと思うので、また、続きの話しを聞くことにしたい。

対話集


公開インタビュー


参加型ワークショップ