竹沢徳剛


※写真提供「ひつじ不動産
株式会社Take-Z代表

新しい時代を切り開く意欲の人を応援したい。
米国首都ワシントンDCと東京を行き来し、足を使って汗を流して、人と人との心を繋げ、グローバルに日本を元気にする仲間を集めています。ワシントンDCのアメリカン大学大学院で国際法、国際政治を学び、在学中にはオバマ大統領の選挙キャンペーンなども手伝う。卒業後、現地のローカルメディアの記者、リサーチャー等を経験し、幅広いネットワークを構築しています。

衣(まとう)/食べる/住む/考える/信じる/

国境を超えた様々な人々の持つ多様な価値観をシェアすることによって、新しいライフスタイルが生みだされることを願っています。そして、それらをグローバルに発信できる空間、「シェアアパート&シェアオフィス Ryozan Park」を企画しています。
http://ryozanpark.jp/
(2012年5月 巣鴨「RYOZAN PARK」にて)

肉食系ラウンジ

(清水宣晶:) 今日は、2階のラウンジで話しを聞いてもいいですか?
あの場所、スゴく好きなんですよ。

(竹沢徳剛:) あ、じゃあ、ラウンジに行きましょう。
なんか、この空間にいると、酒を飲みたい気分になりませんか?


ここは、酒とかタバコとか、それか、もっとヤバいものが合う雰囲気ですね。
こういう、インテリアを揃える時って、最初になにかコンセプトを考えたんですか?

RYOZAN PARKの全体のコンセプトは、1960年代に主にアメリカの近代主義から生まれたミッドセンチュリーです。
シンプルかつ合理的でありながら、レトロ・フューチャーな雰囲気が漂うのが特徴なんだけど、この建物の根幹にあるのは、肉食系。


(笑)肉食系!
それは間違いなく、ありますよ。

ありますでしょう?
ここのラウンジは狩りがテーマで、アフリカの部族の槍とか、沖縄の海で取って来たシャコ貝とか、ジョーズの歯とか、水牛の角とかを飾っています。
自分が好きないろんな写真集も集めたのだけど、レニ・リーフェンシュタールの「Africa」って写真集なんか、見て下さい。
たまらなく肉食系ですよ。


うおおお!
ヌバ族の写真。
これは、超ワイルドですね。

住人の狩猟採集本能が目覚めればいいかなと思って(笑)。
だからこの革張りのソファーをショップで見た時にも、RYOZAN PARKには情熱的な男女が集まって、熱くお互い愛を語ればいいんじゃないか、なんて下心があって選んじゃいました。
それは冗談としても、この空間に夢や志をもった住人達が集まって、自分たちのプロジェクトや理想を語って、同志を見つけられる場所にしたかった。
北欧系の家具とかは、優しい感じするだろうけど、「癒し」じゃないんだ、ここは血をたぎらせる場所なんだ。

ぶははははは!

がははははは!

今、ほんと、どこに行っても、北欧系の家具ばっかりですよね。


でしょ?
ムーミンやってたってしょうがねえんだ!
・・と言っても、もちろん血をたぎらせてばかりじゃ疲れちゃうから、各個室はとってもシンプルで、プライベートが守られた空間で安らげるよう設計しています。

ここの家具とか置物は、全部、竹沢さんが選んで集めてきたんですか?

このRYOZAN PARKは、実はファミリープロジェクトで。
料理好きなお袋がカフェ風なキッチン・ダイニングを担当して、妹が女性専用フロアーやパウダールームをアレンジして、リビングは自分の好みで集めてきたものです。
当初、すべてのフロアーをRYOZAN PARKの基調色の黒と赤にしようとしたら、「これじゃハードゲイな感じの人しか集まらないんじゃない?」って言われて、「うーん、たしかに!!これじゃあ強すぎて女性はひいちゃうかもな」って、ちょと焦った(笑)。
で、3階の女性専用フロアは柔らかい天井の色にしたりしましたね。


こういう、インテリアを選ぶ目とかセンスって、どこで養われたものなんでしょう。

うーん、、、あんまり考えたことはないなあ。
強いて言うなら家族の影響かな。

曾爺さんは、神田で着物に友禅を施す職人だったんです。
長野の蓼科の山を80年前に切り開いて、宮大工に風通しの良い山荘を作らせて、近所に住むようになった映画監督の小津安二郎や、森鴎外の孫達と交流しているような、酔狂な人だった。
爺さんも、敷地内に自分で山小屋をいくつも建てちゃう大工好きで、上野桜木の家は、フランク・ロイド・ライトの弟子が建てた重工な洋館だった。

その一方で、僕の親父は「男はひたすら逞しくあれ」という哲学の持ち主で(笑)。
実は、ここにある槍も貝も水牛の角も実は親父のもので、彼が沖縄の海で潜って取ってきたものや、二十歳の時にアメリカ横断した時に持って帰って来たものなんです。

え?
あのヤリとか、ツノとか、お父さんのものなんですか!?

それで、子供の頃から、千葉の房総半島で魚を突いたり貝を採ったりする、狩猟採集生活みたいなことさせられたり。
映画「クロコダイルダンディ」の舞台になった、オーストラリアのダーウィンのジャングルを何日もカヌーで下るというキャンプに連れてかれたり。
だからこんな酔狂でワイルドなインテリアになっちゃたのかな。

スゴいと思ったのは、この建物全部の作り込みが、中途半端じゃないんですよ。
インパクトがあるものを一点置くだけとかじゃなくて、手抜き無く、とことんハイグレードを極めてるじゃないですか。


そう言ってもらえると嬉しいです。
そこはやっぱりホテルライクなシェアハウスを目指したかったから。
アメリカに居た時、ニューヨークにある「グラマシーパークホテル」や、「ハドソンホテル」を訪ねて、ほんと感激した。
内装もカッコイイけど、そこのラウンジやレストランにいるお客もめちゃくちゃかっこ良かった。
だから本心では、こんなラウンジを「使いこなしてやろう!」っていうチャレンジャーな人に住んでほしい、と思うんです。
強気っちゃ強気ですけど。

(笑)強気ですよね。
ほんと、妥協なく作りましたね。


ビル自体はもともとあったものなんですけど、リノベーションだけでウン億円かかってます。

そんなかかってるんですか!

各階の床に大理石使ってるのとかって、絶対、無駄ですよ。

(笑)それをわかりつつ、あえて無駄をやってるんですね。

日本一無駄に共有部があるシェアハウスだと自負しています(笑)。
やっぱり新しい創造力って、一見無駄な遊びや消費からじゃないと生まれてこないじゃないですか。
地下にも120畳のプレイルームがあるんだけど、使い方次第でいろんなイベントが行えますよ。
クラブ風イベントとか、講演会とか。

居住スペースの天井も、ものすごい高いですよね。


340cmあります。
日本の家は全体に天井が低いから、子供の頃から頭を鴨居とかにぶつけてた経験があった。
そんな痛いおもいを住人にさせたくなくて(笑)。
清水さんも、キッチンなんか、普通の高さのじゃ腰痛くなりません?

そうなんです。
キッチンはたいがい、使ってる時、かがむことになるから、腰痛くなります。

だから、キッチンもそうだし、バーカウンターも高く作るようお願いして、飲みに行った時にこうやって、肘をつけるように。

竹沢さんのサイズに合わせて設計してるんですね。

ばれましたか。
完っ璧に自己中心的な作りです(笑)。
でも、自分が本当に好きじゃないと、「ここ面白いよ」って、絶対心から人に言えないと思うんですよ。

それは、ほんとそう思います。
自分が心の底からどれだけ思い入れを持ってるかって、ものすごく重要ですよ。

巣鴨梁山泊

竹沢さんは、学校のクラスでは、常に、一番デカかったですか?

一番デカかったですね。
5歳で既に150cmあったんですよ。

それは!
ものすごい目立ってたでしょう。

目立ちますよね。
見た目は大きいのに、行動が小学校1年生ですから。
6年生の時には、既に174cmになって、それでぽっちゃりして半ズボン履いてたから、大人が小学生の格好をしているって思われましたよ。

なんか、格闘技とかやってましたか?

最初、相撲をやって、水泳やって、柔道やって、その後、キックボクシングをかじりました。

最初は、相撲からだったんですね。
竹沢さんは、このあたりの生まれなんですか?

湯島で生まれて、本駒込、雑司が谷と巣鴨で育って。
親父方は、巣鴨で大正時代から建材屋をやってたんですよ。
お袋方は、神田鍛冶町と上野桜木で商売をしてた。

生粋の江戸っ子ですね。


子供の頃から神田祭りでずっと育ってるから。
でもやっぱり、いつか海外に出てみたいなっていう感覚はずっとあったんですけど。

アメリカに行ったのは、大学からですか?

大学の時は、法学部にいたんですけど、国際法や国際政治を勉強したいって思って、卒業した後に、ワシントンDCにある、アメリカン大学の大学院に留学したんです。

国際法や国際政治の勉強でDCってのは、なんか、ピッタリな場所ですね。

そう、それは行って正解だったと思います。
DCって、世界中から政治家とか外交官が集まってくる場所で、目に見えない国際政治のせめぎ合いみたいなところで、どんな秩序とかルールが作られてきてるのかなっていうのを肌で感じたくて、国際人権法っていうのを勉強したんです。
とても刺激的な人達に出会うことができた。

大学院では、ブータンの憲法草案者や、コロンビアの大統領候補者と一緒に学んだり。
親友は、マレーシアの人権派の弁護士で、アジアの民主主義について夜中まで良く語りました。
彼は、「俺はいつか、マレーシアの政治家になって、本当の意味での民主化にさせたい」って良く僕に話していた。
そしたら、本当に翌年マレーシアの国会議員になって、今は野党の若手リーダーとして頑張ってます。

他にもアメリカ連邦議会の日系議員と仲良くさせてもらったり。
米国の元大使で日米協会会長のジョン・マロット夫妻や、日米安全保障関係で有名な、バンダービルト大学のジェームス・アワー教授に可愛がってもらったり。

学校を出た後は、どうしたんですか?

最初、某商社に内定をもらったんですよ。
でもなんかピンとこなくて、アメリカにもどっちゃた。

それは、会社の雰囲気が?

まず、銀座線で頭をガンッてぶつけて。
俺はこれから毎日、こんな狭い電車に乗って通勤しないといけないのか、と。

ぶははははは!
会社に着く前から、既にピンとこなかったんですね。

アメリカの感覚に馴染んでたから、なんか窮屈だし、服も日本じゃサイズが合わないし。
商社マンて、世界中に飛べるからいいじゃん、と思ってたんだけど、初出勤の次の日に、「すいません、僕、働けません」って言って、また、ワシントンに戻ったんです。


じゃあ、就職したのはアメリカですか?

最初、ローファームで働いてたんですけど、その時に、知り合いから、「DCのローカル新聞社を買ったんだけれど、記者をやらないか」って声をかけてもらって、転職したんです。
そこで、いろんな人に会えたのが、すごく良かった。

プレス関係の人じゃないと入れない場所とかも、たくさんあるんでしょうね。

DCって、いろんな新聞社の、エリート記者の人たちが、駐在で来るんですよ。
その中で、俺みたいな、どこの馬の骨ともわからないやつがいたから、こいつは何なんだろうな、っていう奇異な目で見られてたと思います。
そういう中で、ガッといろんな動きがあったのは、去年ですね。

地震の時ですか?

そう、去年の震災で、日本の惨状を見た時に、DCに居た仲間達と、俺らが動かないとヤバイんじゃないか、っていう、強烈な使命感を感じて、DCで一番最初募金活動のイベントを開いたんです。
でも、募金活動をするだけじゃなくて、東北を復興させるためには、世界の人たちの力が必要だろう、と思って、始めたのが「Wa project」です。

http://www.311waproject.net/


これは、みんなが手の写真をアップして、その写真をつないでるんですね。

そう、一人の手の幅を1メートルとして、さしのべてくれた手の写真をつないでいったら、東北を一周出来るだけの長さになって、それが増えていったら日本一周、もっと増えたら世界一周、、ってどんどん広がっていくっていう。
その活動からまたいろいろな動きが出て来て、今、アメリカでNPOを申請中なのが、東北の高校生とアメリカの日本語を学んでいる高校生達がSNSを通じて交流するKIZUNA ACROSS CULTURES.で、日本の文部科学省の協力も得て、日米で20校くらいが参加しています。

なんかそういう場を、リアルでも生活の場でも作りたいと思うようになってきて。
人が集まって活動する拠点を作りたいと思った時に、この、巣鴨のビルをどうしようかって相談が親父からあったんです。
じゃあ、シェアハウス、シェアオフィスを俺に作らせてくれよ、って言ったのが、始まりですね。

震災がなかったら、日本に戻ってきてなかったかもしれないですね。

戻ってきてなかったかも。
震災があって、もう一度、昔からあった人と人との繋がりの大切さに改めて気がついた。
最初は、RYOZAN PARKの立ち上げが終わったら、またアメリカに戻ろうと思ってたんですけど、やってみたら、このコミュニティービルディングの楽しさとか奥深さに、初めて気づいたっていうところがあったんで、これは、本腰を入れてやんなきゃいけないなって思ってて。

それで、日本に拠点を移したんですね。

アメリカって、自由、平等、民主主義といった理念に基づいて国造りの実験をし続けている国で、アメリカを尊敬できる一つの点は、その理念を信じ、守る為に行動している人であれば、どんなバックグランドの人であれ、アメリカ人から敬意をもって、ある意味”アメリカ人”として扱ってくれるからなんです。

上手く言えないんだけど、震災後、DCのファンドレイジングのイベントで一番頑張っていたのが、在日北朝鮮の留学生だったり、両親の人種や国籍が違うハーフの日本からの学生達だった。
日本の場合、今でも、日本人の血をひいてないと、マイノリティーとして日本人って認められなかったり、実はすごくドメスティックな感情が残っている。
これからの復興で立ち上がっていく日本は、もっとその胸襟をひらいて、新しい”日本人”の概念をつくっていったらいいんじゃないかと。

和の精神を持っていれば、同じ日本人だ、っていうことですね。

そう、その通り。
RYOZAN PARKが目指すものも同じところにあって、熱いハートを持っていて、志を持っていればみんな仲間だ、っていう場を作りたい、っていうのが根底にあります。
カッコつけちゃうかもしれないけれど、震災以降、自分の中に、常に日本ていう国があって。
こういうカルチャーを発信していく場所を作っていくっていうのは、巣鴨の町づくりのためにも、社会のためにもなることだと思ってるんです。

そういうタイミングで、それなら巣鴨に面白い場所があるじゃないか、ってつながったんですね。

そう、面白い素材があるじゃないか、ってことに気づいて。
シェアオフィスの部分も、俺が一番来て欲しいって思うのは、ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)なんです。

そういう、社会に対する志を持った人が集まる場所っていうところが、梁山泊っぽいですよね。

このRYOZAN PARKの名前の由来になったイベントがあるんですけど、大学生の時、蓼科にある曾じいさんの山荘に集まったことがあるんです。
「俺とお前は、こんなに仲いいんだから、お前が熱いと思う友達を山に連れてきてくれ」と。
しゃべってるだけじゃ絶対仲良くならないから、一緒に汗をかかないといけない、って。

一緒に汗をかかないと、っていうのは、わかります。

だから、一緒に山に登ろう、一緒にヤッホーって叫ぼう、っていう単純な理由で、100人ぐらいが蓼科に集まったんです。
そこに長谷川岳さん(YOSAKOIソーラン祭りの発起人)が来て、これは「蓼科梁山泊だ」って言ってくれて、ETIC.の宮城治男さんも駆けつけてくれたりして。
元は、そこから来てるんです。


梁山泊といえば、北方謙三の「水滸伝」も、あれはほんとに、男の世界ですよね。

北方謙三!!
またこれ、つながりがあるんです。

あ、そこもなにか縁があるんですか?

大学の先輩なんですよ。
大学4年の時、九州や東北出身の野武士系の仲間達と、なにか最後に大学の連中をインスパイアする企画をしよう、っていうことで、これは、「北方謙三さんに喝を入れてもらうしかないだろう」と思って、お願いしにいったんです。
そしたら「俺は講演はやらないけど、お前らの気持ちはわかったから、話だけは聞いてやる」って。
「水滸伝」をまさに執筆中のホテルに押し掛けに行ったんですね。

そしたら、黒いTシャツ姿のふっとい腕を組んだ北方さんが現れて、「お前ら、そこに座れ!」って一喝された。
僕らが面喰らって、彼を囲んで車座になって座ったら、北方さんが、おもむろにキューバ産の葉巻に火をつけて、「小僧達!用はなんだ」って。

ぶははははは!
ハードボイルドですね。

圧倒的にかっこ良かった。
その後、まずは形から入って、葉巻を吸いはじめたりして(笑)。
彼のフィロソフィーも、すごく、このRYOZAN PARKにつながってるところありますね。

現代の男塾

ダイニングも、レストランの厨房みたいですけど、冷蔵庫とか流し台とか、完全に業務仕様ですよね。


キッチンは、ドイツメーカーのやつを入れていて、ヘルシオを置いたり、パエリア用の鍋を置いたり、料理好きにはたまらない機材が揃ってます。

今の時代と逆をいってますよね。
今って、無印良品みたいな、個性を消した均質的なものが流行ってるじゃないですか。

そう、そういう意味では、好き嫌いは出やすいけど、ここはブレちゃいけないな、と。
個性を消して誰にでも好かれるようになっちゃうと、逆に、他のシェアハウスと同じになっちゃう。
これからは、いろんなシェアハウスが出てくると思うから。

シェアハウスっていうものも、今の傾向って、完全な共同生活っていうよりは、ゆるくつながる、っていうところを求める人が集まってるでしょう。

RYOZAN PARKの場合、そこは、ゆるいつながりだけじゃなくて、しっかり議論とコミュニケーションをしようよ、って思うんです。
見かけは、こういうラグジュリアスな感じだけど、自分のマインドとしては、大きな家族、もしくは、伝統的な寮の寮長みたいな感じでいたい。
そう、本心はあの「魁!!男塾」を作りたかったんです。


男塾!
ぶはははははは!

がっはっはっはっは!

スゴいな!
まさに、これは、現代の男塾ですよ!!

実際住んでいるいる人は、まじかよって思うかもしれないけど(笑)。
だから今、実は、「男塾」計画をどんどん進めていて。
地下のイベントスペースを、現代の戦士達の為に充実させるつもりです。

アメリカの仲間達を呼んだりして、いろんな講演会とか勉強会とかワークショップを開催してアカデミックな刺激をつくるのが一つと、もう一つは、長渕剛さんの自宅のジムを作った「GOLD GYM」のカリスマトレーナーにお願いしてジムを作っていて、筋トレ好きしか知らないような、「スミスマシーン」や「ファンクショナルトレーニングシステム」をはじめとするウエイト系の器具を充実させる予定です。

ウエイト系の器具ですか!
それもまた、ストイックですね。

こんな、足とかパタパタ開げるようなマシンはいらない、男だったら、ウエイトをつけてスクワットとベンチプレスだ!と。

(笑)硬派だなあ。

まあ、そればっかりだと、ムサい男しか入居してこないような雰囲気だけど、実は素敵な女性達がどんどん入居してきているんですよ。
ジムの話をしたら、「腹筋割りたい♥」って女性達もいたり!

ちょうどオープンしたての4月に、NHKの「写ねーる」っていう番組収録で、杉本彩さんや富永愛さん達が、このリビングに来てくれたんです。

また、なんだか、肉食系ですねえ。

入居者の女性達は、料理も食べる事も好きで、仕事もバリバリこなして、身体もしっかりメンテナンスして、社会への関心もある。
そんなかっこいい女性達が、RYOZAN PARKに集まってきてくれています。
だから実は「魁!!女塾」になる可能性のほうが高い。(笑)

(笑)伝わりにくいかもしれないけど、こういう、ハンパない主張があるシェアハウスがあるってことを、たくさんの人に知ってほしいって思います。

ありがとうございます。
こんなアクが強いシェアハウスだけど、きっと、意気に感じてくれる人はいると思うんですよね。
それを、待ってるぜ!って感じなんですけど。


これに合うヤツはいないか、っていう、挑戦ですよね。

おっしゃるとおり。
挑戦ですよ。
(2012年5月 巣鴨「RYOZAN PARK」にて)

【暮らし百景への一言(竹沢徳剛)】
インタビューをして頂いてから、はや2ヶ月。
お陰さまでRYOZAN PARKも残り数室となってきました。
ジェネラスで、面倒身がよくて、とっても洗練された住人の方々が住んでくれるようになり、素晴らしいコミュニティが形成されつつあります。そして地下スペースでは毎週末様々なイベントや勉強会が開かれるようになってます。

当初の”男塾”計画とはちょっと違うものの(笑)、清水さんから引き出してもらった理想のコミュニティを少しずつ、そして確実に、住人の皆さんと共に築いています。
ワシントンDCと東京のRYOZAN PARKが基地となって、日本を英語教育の雰囲気を変えるようなプロジェクトも着実に動き出しています。進化し続けるRYOZAN PARK。
是非、皆さん遊びに来て下さい。

清水宣晶からの紹介】
竹沢さんという人を表すには、豪快という一言に尽きる。
中途半端にせせこましいことをせずに、やる時は思いっきりドーンとやる。
世の流行りに流されることのない、確固とした信念と、自分自身のスタイルというものを持っている。
まさに梁山泊の英傑が現代日本に現れたかのような、スケールの大きさを彼から感じた。

RYOZAN PARKという場は、他のどのシェアハウスとも、まったく違っている。
マーケティングや市場リサーチをしながら考えていては到底作れないような、エッジのきいた空間を最初に訪れた時、そのオリジナリティーに惚れ込んで、今回、話しを聞かせてもらった。

竹沢さんが待ち望む、新しい価値観を生み出せる人々を受け容れて、高揚させるに充分な器と、懐の深さが、RYOZAN PARKには備わっていると思う。
自分の理想とする場を、一切の妥協をせずに創り出すという男の浪漫を実現した竹沢さんに、心からの喝采を贈りたい。

竹沢徳剛さんとつながりがある話し手の人


対話集


公開インタビュー


参加型ワークショップ