多苗尚志

使用一人称は己(おれ)。
「履歴などでその人は分からない。言動から分かるような気がするだけ」ということで、「言」だけでも。
多苗尚志の世界自身(家元HPほぼ更新なし)
http://kiai.st/TaNaEHisAsHi/
多苗尚志の友のいる人生KIオーケストラ(友人との人生日記)
http://www.kiai.st/tomoiru/
多苗尚志のヘヴンズドアァァァァッッッ(書評)
http://ameblo.jp/saikyoumuteki/
多苗尚志の気づき(気づき)
http://tanaehisashi.blog72.fc2.com/
多苗尚志の感謝伽藍(感激記録)
http://gishoudoo.blog95.fc2.com/
他、多苗系多数

自分は一体どこにあるか

(清水宣晶:) 尚志はさ、
人と議論を戦わせるってことをしないよね。

(多苗尚志:) 議論はしないね。

それは、何でなの?

議論(論理的に相手を打ち負かす)はしない、対話(話し合いの中で新しい意見をお互いに生む)をするだけ、ってことだね。
議論って、非生産的なんだもん。
かといって、そういう己自身は、非生産的なことばかりやってるわけだけれども・・。

それは、そうかもだけど(笑)。
対話の時っていうのは、どういうスタンスで聞いてるの?
相手の話しを聞いて、「そういう考えもあるよね」っていうことを知るためなのかな。

自分の考えもまだ不完全だと思ってるから、対極にあるものを知りたい。

他の人の意見で、自分の考えを変えようということは思う?

思うよ。
あるいは、アウフヘーベン(止揚)で新しい考えを作りたい。

なるほど、なるほど。
ただ、尚志は、
人の影響っていうのがそんなに明確に見えないんだよな。

いやあ、多分にあると思うけどね。

これは誰によって与えられた影響だ、ってのがはっきりわかる?

そこまではないけど、やっぱりあると思うよ。
たとえば今、本を読むようになったのだって、烈(藤沢烈)の影響だし。
そうそうそう、そこ、もうちょっと切り込もう。
自分って、一体どこにあるの?

お?
自分、というと?

清水宣晶が何者だということを、どうやって伝えられる?
己は結局出来ない、と思ってるんだけどね。
自己分析とか、ちゃんちゃらおかしいと思ってるんだけどさ。
それで、就職試験に必要な答えは出せるかも知れないけど。

うんうん。

やっぱり、つきあうっていう文脈の中で自分を伝える以外にないんじゃないかな。
こう、己が何かについて「どう思う?」ってことを誰かに聞いて、それに対する答えを積み重ねることによって、相手が何者かっていう像が見えてくる、とか。

そうだね。

己は前さ、明快な自己紹介が言えるってことに憧れてたわけですよ。
何年に何大学に入って、その後どこに就職して何をしました、こんなことを成功させましたっていうことがスラスラ言える人を見て、カッチョえ~、って。
でも、今じゃ、ちゃんちゃらおかしいね。

そんなんじゃあ、伝わらんと。

伝わらんだろう。
伝わらんし、そんなんで寄ってくる奴はヤダよ。
友達になりたくないよ(笑)。

それは思うよなあ。

たとえば「多苗さんて、あの本を書いた多苗さんですよね?!」って寄ってこられてもさ。
じゃあ、そういう本を書き続けるってことが出来なければ離れていくんだね、ってことが見えてるよね。
あるいはガンジーだってさ、「あ、どうもインドを独立させました」とか言わないと思うぜ?

わかるわかる。
じゃあ一体、どうやってお互いを理解していけばいいんだろうな。

なんでこの人と友達なんだろうってことを考えた時に。
幼なじみと会ってもさ、「己、今こいつと出会ったとしても、絶対に友達にならないだろうなあ」って人もいるわけ。

うん。
子供の時の友達って、そういう人いるよなあ。

じゃあ、そいつとの絆は何かっていうと、もう絶対的に、あのムダな時間を一緒に過ごしてきたっていう、それだけなんだよね。
だって、そいつしか友達いないんだもん。そいつに会っちゃったんだもん。

おーおー。

逆にいうと、今から会った人であっても、こいつしか友達はいねえって感じで毎日遊んでたら、それはもう兄弟みたいな感じになるよね。
だから、価値観が合うからとかさ、そういうのって友達になる理由として本当ではないというか。

それは、わかるな。
一緒に過ごした時間って、その内容にかかわらず重要だよな。

そう。
時間であり、思い出であり、それがその人との絆である。
今はさ、次から次へと人に会うし、一緒にファミコンとかして遊ぶような時間もないから、価値観なりなんだりっていうことで選択されて処理されちゃうけれど。
基本的には誰とだって友達になれると思うんだよね、今でも。
時間さえ無限にあればね。

個人を超え「世界自身」

まあ、いいんだよ。
「清水宣晶」はどこにいるか、なんだよ。

どうすれば、それが表現できるかということ?

銀行でさ、ハンコとか忘れた時の、あの感覚なんだよな。
「何か、清水様が清水様であることを証明するものがあればいいんですけど・・」とかいう。

ぶはははははは!
あれ、意味不明だよなあ。
パスポートとか免許証で、オレがオレであることが証明されるのかってのもあるし。

で、そのパスポートが10年前の写真で、全然今の自分と似ても似つかないのにさ、銀行員がそれ見て「はい、わかりました」とか言って。
うそつけ、お前!みたいな。

そうそうそう!

そういうこともあって、自分が自分であることに興味がなくなってきててさ。
で、、「世界自身」なんだよ。

・・ちょっと!?
そこ、詳しく。

己は、個人はどうでもいいと思っていて、、
むしろ、世界がどうなのかって感じだよ。

(お互い顔を見合わせて一瞬沈黙した後、爆笑)

いや、でもさ、「世界自身」といいつつも、
あなたはひたすらに多苗尚志であることにこだわってる気がするよ?

いいよそれ、それいい。それいいよ。

お?おお。

AかBかってのは、己は、両方だと思うわけ。
長い棒の両端なわけさ。
長い棒は、一つでしょ。
オレはこうなんだ!っていう風に強く主張するほど、逆の端の存在が見えてくるんだよね。

うんうん。

「己はもう個人なんて超越したんだよ、世界なんだよ!」って言ってるときには、もうありありと個人に固執しているってのが、心理学…だかカウンセラー的だかに浮かんでくると。

なるほどな。
「個人じゃない」って言葉が出る時点で、個人を強く意識してるってことかもね。

そうそう。
「私は人が大好きだから」って言ってる人は、実は人が嫌いなんだよ。
でも、そういうのを、自分でわかってれば問題ないと思うんだけど。

AでありBである

去年の己の大きな発見はやっぱり、「AでありBである」だね。
原因と結果とかさ、己の中で違和感がある言葉なんだよね。
一緒じゃねえか!みたいな。何分けてんだよ、っていう。

仏教や、禅っぽいね。
色即是空、空即是色、みたいな言葉があるじゃない。

まさしく。
なんら分けるものでもないしさ、過去と現在と未来も分かれてなくて、なにかに成るのでもなく、既に在る。

あるものがあるところにある。

ほんと、あるものがあるところにあるんだったらさ、このままですべていいわけで、それでも進みゆくこの世界にあと残されてるのはもう「嗜好の戯れ」だけなんじゃないかっていう・・。
しかし!

しかし?

そう言い切っちゃっていいのかっていうのもある。
「嗜好の戯れ」だけじゃないかも。

うんうん。
それは、わかんないよなあ。
今の時点で決め付けちゃうと、後になって「やっぱり間違ってた!」って思った時、取り返しがつかないぐらいズレた場所に行っちゃうんじゃないかっていうコワさもあるし。

まあ、そうなったらまた四十代ぐらいで是正されると思うけど。
中国思想で『中庸』(過不足なく偏りがないという思想)ってあるけどね。
十代の頃は「どっちかに決めんかい!」って思ってたけど、今にして聞くといいセン言ってるよな。

最近さ、あなたが自分の考えをつづったメーリングリストがあるけど、まだまだ自分のことを話してないよね。

そう?
そうか、話してるつもりなんだけど…。でも、やっぱり自分のことを一方的に話すっていうのは苦手だね。嘘っぽいんだよね。

うんうん。

言葉を遣えば遣うほどに、ちゃんと伝わってるかなっていう恐怖がある。むしろどんどん離れていくみたいな。

それはわかるなぁ。

だから、あまり分かってもらうよう分かりやすくってのは価値がないし、己は尋かれたことにだけ答えるんだな。後であの答えは嘘だったとかいうのもよくあるけど…。晶君に対しては己は尋かれてない余計なことまでよく喋るな。

そうみたいだね。
でさ、あのメーリングリストの中で人生の目標として「人類のコマを進める」ってことを言ってたじゃない?

言ってたねえ。

それは・・どのようにして?

どのようにして!

いったいさ、なんなの、それ?(笑)
言ってることはわかるんだけどさ、どうやるの?

恥ずかしいなあ、それは。
いや、言えるけどね?
なんかああやって書いててもさあ、「バッカだなあ、自分」って思うけどね。

ぎゃははははは!
その客観視点はあるんだ?

あるある。
なんか、、恥ずかしいなあ、、

何故か照れてるけど。
いやいや、むしろ、言っておいて。
ちゃんと伝わるよう、説明しておいたほうがいいよ。

まあ、たとえばさあ・・(若干照れながら)
世界が一つになったりしたら進んだと思うよ。

EUみたいなのが世界レベルで出来たらってことか。
そういうスケールで考えてるんだな。
自分の家族とか、周りの友達を飛び越えて、人類なんだね。

でも、母親にはやっぱり「家族のことを考えなさ過ぎる」って言われるよ。
「そんな人には何も出来ない!」って。

(笑)家族をないがしろにする人が、どうして人類を救えるのかと。
その意見ってどう思う?
まず家族を大切にして、そこから周りに広げていく、っていうのは。

いや、己は、当たり前に言うその順序立てがよくわからない。
別に飛び越えてもいいんじゃないかと思ってる。

オレはその、お母さんと同じ価値観でさ。
オレも、まず家族とか子供があって、その次に周りの友達っていう順序で考えてるよ。

うん、あなたはそうだよね。
どっちもわかる。

「AもBもわかる」!
でもさ、オレは、あなたの行動を見てると、「いきなり世界」とかってよりも、身近な人をより大事にしているように見えるんだけれど?

うん、思ってても「実際には出来てねえじゃねえか!」ってとこがやっぱりあるよね。自分の思考と行動の乖離っていうものを認めたときに、人は変わり始めるんだろうな。
そういうのに最近、気づいたんじゃないかな。

うんうん。

己は、人から天邪鬼だって言われることがあって。
でもそれは、バランサーになってるってことだと思うんだよね。
みんながAだって言ってる時に、己は「Bもあるんじゃないか?」ってBにスポットをあてたくなる。

自ら極端を打つことで、全体のバランスを取ろうとしてるんだな。
それはホントそうだし、尚志の大きな特徴だと思うよ。

(2008年3月 自由が丘「自由亭」にて)

成長したのかどうか

最近だと、何をやってる時に、
「あー、時間を無駄にしたなー」って思う?

最近ないね。
ないことが怖い。

スゴいじゃん!
ポジティブシンキングってやつ?

違う。
「人生はすべて無為」だと思ってるから。

あ、ネガティブシンキング?

逆にね(笑)。
無為であり有為であるけど。

反省とかしない?

ヤバい方向に熟成されてってるよ。
前も言ったけどさ、
凹むことがなくなったんだよ。
でもそれは、実はいいことじゃないかもしれない。
鈍感になったってことかもしれないから。

それは、そうかもだよなあ。

凹まないということを、
あたかも成長のようにとらえて、
いい気になってたけどね。

どうなんだろうな。
オレも、この前、尚志に同じようなことを質問をされたじゃない。
「自己嫌悪に陥るようなことが最近あったか?」って。

うんうん。

「最近ない」って答えたけど。
それも同じことかもな。
前だったら自己嫌悪になってたようなことでも、
鈍感になって、感じなくなった、っていう。

鈍感になったってのもあるし、
物事の捉え方が大雑把になったってこともあるだろうな。

どっちがいいんだろうね。
10代の頃のことを思い返すと、
すごく些細なことで傷ついてたような気がするんだよ。

己もそうだった。
だから強くなったんだよ、
「(お前は)傷つきやすい」とかみんなが言うからッ!
「じゃあ・・」って強くなったらさ、
なんだかあんまりいい結果じゃなくなっちゃった(笑)。
なんだよって感じだね。

(笑)いいとこ取り出来る気はするんだけどね。
感動する感性は残しつつも、傷つくことにはタフ、っていうね。

なるほど。
幸い、感動することは出来てるからなあ。
脳は成長し続けてると思うよ。
身体がついてきてないけどね。

ガタがきてる?

イグゾォーースト!って感じで、すり切れてる。
でも、感動するっていうこともそうだけど、昔よりも間違いなく幸せですよ。
それは、やっぱり感謝だなあ。

不毛じゃない目標

最近、感謝伽藍(多苗のブログのひとつ)を毎日更新し続けてるのは、
あれは、なんなの?

とりあえず、365日続けてみようと思ってさ。
時々、ブーム的に目標を持ったりするんだけど、
己にとって、「目標」っていうのは敵なんだよね。

敵?

昨日、ある人に、
「目標は、達成したら、次はそれを維持するんです」って言われて、
なるほどね!って思ったんだよ。
己には、「維持する」っていう考え方がまるでなかったから。

クリアして終わりっていう感じだった?

そう、目標なんて、
ファッキンシットなもんだったんだよね。
自分で目標を立てた時点で、出来ることはわかってるわけ。
フルマラソン走るだろうが、どこかの大学に入るだろうが、
目標にしたものは、必ず出来る。
だけど、それを達成する時に、怒りが出る。

怒りが出る(笑)!

フルマラソンでゴールする時、ムカついてたもんね。

何にムカついてるんだ・・

係りの人とかが、
「おつかれさまですぅー」とか言って、来るじゃん。
超ムカつくわけ。
「来んな!なにがおつかれさまだ!」って感じなの。

えぇ!?

メダルとかかけてくるじゃん。
「かけんな!バカか!」って感じなんだよ。

えぇーー!?

「いたわるな!己に栄光を渡すな!」って思うよ。

ぎゃははははは!
どういう心理なんだろうな、
結果を求めてるんじゃなくて、
プロセスを求めてるってことなんだろうかな。

まさに、そうだね。
普通だったらさ、大きな目標ってのがあって、
そこに行くまでの一合目、二合目っていう目標であるべきじゃない。
だからこそ維持もするんだろうけど、
己の場合は、そうじゃないからな。

一個一個の目標がばらばらなわけか。

そう。
それでいちいち、
「己は出来る」ってことを確認してムカついてるわけだよ。

これも出来た、あれも出来た、っていう
確認作業なんだな。

だから、むしろ、
レベル0が一番いいんだよ。
たまねぎ剣士のままで。

たまねぎ剣士のままで、
目標も立てない、と。

そうそう。
アイテムも要らない、戦わない。

欲しがらないスタンスだね。
あなたは、もともと「目標を作らない型」なのに、
「目標を達成した感」は欲しがってるから、苦しいんじゃないかな。

「みんなと仲良くしてたいサイヤ人」みたいな感じだよ。
だから、ブレーキ踏みながらアクセル踏んでるような感じがいっつもある。

目標を是としながらも、
同時に非としているところもあるからね。

そう、どっかで分離してるんだよな。
千羽鶴を一人で折る、っていう目標を立てたとしてもねえ、
出来ると思うけどねえ、何の意味もないもんね。

でも、今までやってたのはそれに近いんじゃ・・

近いよ!

あー、わかってきたわ。
そりゃ、ムカつくなあ。
千羽折った瞬間に、こんちくしょー、って思うよ(笑)。

だから、千羽鶴折っちゃったり、
フルマラソン走ったりするってのは、
本当の目的に向かえない、己の弱さでもあるわけだね。

そういうことか。
朝ごはん食べなきゃいけないのに、ヴィダーインゼリーで済ませちゃうみたいな。

あるいは、彼女作らなきゃいけないのに、
雀荘で何回も役満あがってるっていう。
「オリャー、九蓮宝燈!」「スゲー・・」とかって。

全然見当違いな達成感(笑)!

今、(自分が仕事に集中している時にあるというのは)
やっぱり、そういう意味で、
大きな目標と、やってることが方向的に合ってきてるんだな。
意識的、無意識的に当然、必要だと思って今の行動をとっている。

そうか。
今、仕事に燃えてるっていうのは、そういうことだろうね。
不毛じゃない目標が出来たからなんだろうな。

それに気づくまでに30年かかったけどね。
(2009年5月 柏「COCO’S」にて)


【ヒトゴトへの一言(多苗尚志)】
ジブンゴト~多苗がインタビューを受けてみて~

人との対話というものは、やはり自分1人では到達できなかったところへ辿り着けるものだ。
清水氏を媒介にして、自分の頭の中で言語化されていたもの以上の言葉が現れる体験を今回もしているわけだ。

人との対話はその意味においてすばらしい。

清水宣晶からの紹介】
多苗尚志という男は、実に多くの人々から愛されている。
それは、彼の華やかな行動が皆の気持ちを高揚させるというだけではなく、彼が、一緒にいる人の長所や潜在能力を120%以上引き出すという、強力な増幅作用を持っているからだ。
僕自身も、尚志といる時には、自分がとても活き活きとして、心からくつろいでいることを感じる。

彼の才能の中で最も大きなものは、言葉の使い方のセンスだ。
文章を書かせても、言葉を発しても、物事や人物の本質を実に的確に取り出して表現する。
言葉によって人の人生に影響を与えるぐらいに大きな才能を持っている。

質問の名手でもある多苗尚志と対話をする時は、今まで考えもしなかったことについて、意外な角度からの問いを突き付けられることがよくあり、新しい気づきを与えられることが多い。
そういう時間は僕にとって無上の楽しみで、彼との対話はいつも、何が生み出されるか想像がつかないワクワク感に満ちている。

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