田口師永


1976年1月8日生まれ、東京都出身。
順天堂大学卒業後、2002年「シルク・ドゥ・ソレイユ」の契約アーティストになる。
2003年『QUIDAM(キダム)』日本公演のスキッピング・ロープ(縄跳び)の演目でデビュー。
以来、10年以上にわたって世界各地を巡業するツアーに唯一の日本人として出演を続け、これまでに40か国以上をめぐっている。

縄跳びで世界へ

(清水宣晶:) 僕、この前、「キダム」のバンコク公演を観に行った時、田口さんいるかなー、って思いながら観ていまして。
そうしたら、客席から、いるのがわかって。
嬉しかったです。

(田口師永:) そう、まだいましたね(笑)。


本当に、スゴいことだと思います。
日本公演の時から、もう12年もやり続けているんですね。
田口さんは、縄跳びを始めたのは、いくつの時なんですか?

本格的に始めたのは、24歳からです。

あ、結構、後になってからだったんですね。

当時、僕は会社に勤めていて。
大学時代の後輩が「縄跳びやりませんか」って誘ってきたんですけど、次の日に久しぶりに会ったら、「飲みに行く前にちょっと運動しませんか」って縄跳びを出して、近くの公園に行ったんです。

そうか、まず縄跳びを見てもらおう、っていう作戦だったんでしょうね。

そう、今考えれば、彼の作戦だったんですよ。

実際の縄跳びを見せられた効果はありましたか?

いや、驚きましたよ。
いちおう僕たち、縄跳びの基礎は小学校でやってるじゃないですか。


はい。体育の授業で。

でも、小学校を出るとだいたいやらなくなるので、そこまでで習う技しか知らないんです。
それが、縄跳びというものの枠だ、と思ってるわけですよね。

そうですね、二重跳びとかハヤブサとかが最高峰で。

頑張って三重跳びとか。
でも、そこまでの内容って、縄跳びで出来ることが10あったとしたら、そのうちの1か2ぐらいなんです。

あ、そうなんですか!

だから、自分が見たことないような技を公園でいろいろ見せられて、そこから、まったく広がった世界を見た時に驚きました。
で、その後、公園から店に移動して、今度はビデオの映像を見せられて。

はい。

まず、縄跳びがパフォーマンスになるっていうことが驚きじゃないですか。
子供の時を思い出して、ある程度自分も得意だったなっていうこともあって興味が湧いて、やってみたいなと思ったんです。
いきなり世界大会を目指せるっていうことも魅力だったし。

そうか、日本の予選無しで、最初から世界が相手になるんですね。

今は競技人口も増えていて、国内でのセレクションもありますが、当時は今よりも、やっている人は少なかったというか、誘ってくれた彼と僕の二人だったので。

その、そこでやる縄跳びっていうのは、僕達が小学校で習う縄跳びの延長にあるものなんですか?

そうですね。
海外をいろいろ見てきて、学校体育で縄跳びをやってる国はほとんどなかったんですけど、日本の場合は、体育で基礎をものすごくやるので、基礎能力の高い人たちはいっぱいいます。
ただ、始めようとした縄跳びの本場はアメリカとかヨーロッパで、トップレベルの人たちはそういうところにいるので、武者修行として海外に出たんです。


縄跳びで、「キダム」のメンバーに加わるきっかけになったのは、何だったんでしょう?

海外を巡っている時に、縄跳びの世界組織のボードメンバーをやっているオランダ人と知り合って。
その友人から、「『キダム』が日本ツアーを始める予定があって、ロープスキッパーを探しているから、応募してみたら」ってメールで連絡があったんです。
後で分かったのが、その時はバックアップのメンバーを探していたみたいです。

バックアップ?

日本公演って長期間の上に、ハードだったんですよ。
週に10回公演やりながら、それが1年半近く続くんです。

ものすごいロングランの公演でしたよね。

ショーに出るアーティストの人数は決まってるんですけど、怪我とかがあった時のためのバックアップのメンバーを探してたんです。
で、縄跳びの「スキッピング・ロープ」っていう演目は女性がソロをやってたので、縄跳びが出来る女性を探しているらしい、と。

あ、募集してたのは女性だったんですか?

そう。
でもオランダ人の彼が、「レベルは十分足りてるだろうから、とりあえずビデオを出してみたら」って。
で、出してみたら受かっちゃった。

(笑)それは・・申し込んでみるもんですねえ。
オーディションに受かるっていうだけでも、ものすごく狭い門で、しかもその後、ツアーの参加メンバーになれる人はごく一部だけですよね?

だから僕はすごく、運が良かったんですよね。
たまたま、枠に空きがあって、そこに僕が出来ることがぴったりハマった。


田口さんは、そのビデオを送る前から、「キダム」のことは知ってたんですか?

まったく知りませんでした。
シルク・ドゥ・ソレイユのステージも観たことがなくて、生のステージを初めて観たのは、メンバーになった後でしたね。

そうでしたか。

だから、ビデオを送った時は、すごく軽い気持ちで考えてました。
選ばれたらいいなあ、ぐらいで。

ツアーのメンバーになった後は、縄跳びの本格的なトレーニングを受けるわけですか?

まずモントリオールの本部に行って、契約の手続きとか、衣装のサイズの採寸とかがあって。
その後トレーニングでいろいろ教えてくれるのかな、と思ってたら、シルク・ドゥ・ソレイユの中には、縄跳びの専門家っていないんですよ。
だから、トレーニングのメニューなんかも無く、自分で考えるしかなくて。
僕のスケジュール表のスキッピングの時間には、「alone」って書いてありました。

ぶははははは!
個人練習になってたんですね。
「キダム」で縄跳びをやってる人たちとは一緒に練習しなかったんですか?

メンバーは、その時アメリカでツアー中だったので、モントリオールに練習には来なかったです。ツアーに合流したメンバーは、その後本部に来ることは基本的にないのです。
メンバーの人たちと合流したのは、日本でツアーが始まる直前でしたね。

(写真:シルク・ドゥ・ソレイユ公式ホームページより)

シルク・ドゥ・ソレイユという場所

シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーたちの中にいるっていうのは、どんな感じなんでしょう。
やっぱり、刺激を受けますか。


そうですね。
あと、ものすごく高いレベルの動きを、普通に間近で見ちゃってるので、目が肥えるというか。

そうですよね。
「当たり前」の基準がものすごく上がっちゃってるっていう。
会社でいうと、超仕事が出来る人に囲まれているような環境なわけですね。

そう、ただ、専門がそれぞれバラバラなので、お互いに競争しているっていうわけじゃなく、素直にスゴイなと思います。
自分が出来ないことが彼らはできるし、逆に、彼らが出来ないことが自分は出来ているっていう部分もあるし。

そこにいるパフォーマーの人たちって、考え方とか姿勢でも、抜きん出たところがあるんでしょうか?

「やりぬく力」と、「続ける力」と、「目標設定能力」が高いと思うんですよね。
自分がやろうと決めたことをやりぬくとか、コンディションを整えるとか、それぞれがやるべきことを自分で判断して、それをきちんとやっている。
しかも、それをずっと続けている。
そういう当たり前のことが出来ている人たちがいるのかなと。

なるほど、なるほど。


逆に、それが出来ない人たちは淘汰されていっている気がします。
結局、いろいろとセレクトされた中で残ってきている人たちなので、そこに至るまでにやってきたこともあるでしょうし、そこまでやってきたからこそ続けられているっていうのもあるでしょうし。
自分のやるべきことは、ある程度わかってる人たちっていうことなんでしょうね。
だから、あんまり、上からあれしろこれしろっていうのは無いです。

自分にとって最適なやり方を、自分で考えるっていう。

僕も、ウォーミングアップの仕方とか自分でやり方を考えてやっていますけど、僕の他にもう一人、縄跳びをやってる女性がいて、僕と彼女の準備の仕方ってまったく違いますからね。
トレーニングのやり方にしろ、コンディションの整え方にしろ、同じ縄跳びっていうものをやっていてもこれだけ違うのか、って思います。

シルク・ドゥ・ソレイユとして、「こうしなさい」っていうのは無いわけですね。

自分がそう感じていないだけかもしれませんが、無いです。
要は、ショーで最高レベルのパフォーマンスが出来ればいいんです。
社会人として、迷惑かけないとか遅刻しないとか、基本レベルの生活を普通に出来た上で、ショーに対して求められているレベルを実現すればいい、と。
だから、こういうトレーニングをしろ、こういう準備をしろ、って言われたことはないですね。
もちろん演目や役割によって体重コントロールとかはあると思いますけど。
コーチやフィジオセラピストはいるので、たとえば、持久力をあげるにはどうするかや、こういう故障をしているんだけどどういう運動をすればいいかとかは、相談すれば教えてくれます。
ただ、「自分から求めないと、与えられない」っていうのはあります。
(「QUIDAM」スキッピング・ロープ:Youtubeより)

いろんな国籍の人たちが集まっている中にいて、国ごとの国民性みたいなことは感じることありますか?

それはあんまり無いですね。
その国の出身が一人だけ、というのも多いので。

それだと、その人が国民性を代表してるとは限らないですよね。

たとえばある国の出身が5人いたりしても、それぞれ性格が違うんですよ。
ラテン系の人とか確かにノリが良かったりするけれども、全員がノリがいいとは限らない。
ただ、5人中だいたい4人くらいはそんな感じだよね、とか、共通するちょっとした雰囲気とかはあったりしますけどね。
「お前なんで今日はそんな動きしていてるの?」って聞くと「なんとなく」とか。

(笑)そのときの気分で決めてたり。

そういうのを見ると、「あ、似てるわ」って思いますけどね。

公演でいろんな国をまわってると、たぶん、国によって、観客の反応の違いもありますよね。

ああ、反応の違いはありますね。

僕は、観客の立場で観ていても違うなって感じて。
やっぱり日本での公演の時よりも、外国のほうが笑うところで大声で笑ったり、ウケがいいなって思いました。

あとは、ヨーロッパは特にそうだと思うんですけど、ショーを観る文化が育ってる場所だと、すごくちゃんと観ているなっていう空気を感じたり。

自分がパフォーマンスをやっている最中も、観客の反応や動きって感じますか?

感じます。
観客同士のやりとりだとか、「圧」みたいなものとか。

「圧」。
声だけじゃなく。

声だけじゃなく、拍手とか、驚いてる表情とか、総合的に情報をもらうんですね。

それによってパフォーマンスも影響受けたりするんでしょうか。

受けますね。
どういう環境でも、ある一定レベルのものは出せますけども、それ以上となると、自分の力だけじゃなくて、観客とのやりとりで、乗せられる時は乗せられていきますし。

乗せられていく感じなんですね。

ちょっと体調が良くない時とかは、これ以上やると怪我するから抑えたいなって時もあるんですけど、それでも、乗せられちゃうと、「あ、しょうがないな」とか。

ぶはははは!
もうちょっと頑張っちゃおうか、と。


自分が許容している範囲以上のことを体がやってしまう、とかありますね。
いつも以上に楽しく出来たり、出せているものが変わってくる。
人が出すエネルギーってあるじゃないですか。
数値化は出来ないものですけど、明らかに違うなって思います。

面白いですね。

そういう気持ち的なものをムリに抑えるのも、不自然だと思うし。
やっぱり、生物(なまもの)のショーなので、ある程度は気持ちに正直にやりますよね。
普段は、その日の体調とか、怪我してるとか、痛みの有る無しとかでバランスを取るんですけど。
だから、まあ、あんまり乗せられちゃうとまずいときもありますね(笑)。

やりやすい国、やりにくい国っていうのもありますか?

それもあるんですけど・・同じ国の中でもやっぱり、やりやすい回、やりやすい日、やりやすい街、があったりしますね。
あとは、これは場所のせいなんですけど、メキシコシティー公演の時は大変だったです。

あ、標高が高いから。

終わった後すぐに酸素吸入したことが2回ぐらいありましたからね。

動いてる途中に、息が続かなくなりますか。

息が続かないというか、ブラックアウトしそうな感じです。
400mを全力で走った後みたいな。
緊張の度合いとか、ミスの回数とかで酸素の消費って多くなるんですけど、それが、海抜0m地点だったら問題にならなくても、高地だとそれがキツくなってくるんです。

それはもう、ギリギリのところでのパフォーマンスですね。
縄跳びって、体力的にもとてもハードな種目でしょう。
僕が田口さんを見てびっくりしたのは、そういう種目で、長い間パフォーマーとして舞台に立ち続けているっていうことだったんです。

それは、やり方ですね。
最初の頃は、色んなことをやってみたい、出番も増やしたい、ってどんどんハードな方向に進んでいってたんです。
で、さすがに7年くらいで怪我しましたね。

あ、そうですか。

「そうか、これぐらいやると怪我するのか」ってことがわかってきて。
自分の中で強弱をつけるようになりましたね。

強弱を。


縄跳びは、グループの演目でもあるので、自分が一番魅せたいところはどこだ、って考えながら、僕はそこに集中をして、他の人に任せられるところは任せるようにして。
ハードな部分を分けていくようにしました。

なるほど。

最初の頃から比べて、少しずつ内容も変えていってますし、ソロでの技の強度も、二人のタイミングの調整とかで、ちょっとずつ自分の負担を減らしたりはしています。

それは、見てて全然わからないですよ。
よく、ずっと変わらずに、あんな全力疾走するようなことが出来るなと思いました。

出来るように変えていってる、っていう感じです。
ウォーミングアップのやり方とかも、昔とは少しずつ変えていってみたり。

田口さん自身では、年齢とともに、自分の体の変化って感じることはありますか?

ゆるやかには、変化してると感じることあります。
僕、2回だけ、六重跳びが成功したことがあるんですけれど。

おお!人生の中で2回。

今それと同じことは、たぶん出来ないだろうなと思います。
あと昔、ショーの中で宙返りをしながら縄跳びしてたんですけど、怪我の後にドクターストップになってからはやっていないので、それを今やるのは怖いですね。
でも逆に、スピードのステップとか、表現の幅っていうところでは、今のほうが高いレベルには持って行けている気がしますし。
そういう、自分の状態を考えながら、トータルでバランスを取っている感じです。

旅芸人一家の生活

田口さんの奥さんが書かれた旅行本(※)を読んで知ったんですが、奥さんとは「キダム」の公演がきっかけで知り合ったんですか?

(※たぐちまり著「世界150都市を旅した暮らしで出会った魅力溢れる街16選」)

そうです。
「キダム」の中で、クラウンが観客を指名して、ステージに上げるっていうやりとりがあるじゃないですか。

客席からステージに上げて、アドリブで寸劇をするっていう。
演目の一つとして、毎回ありますね。

上海公演の時に、当時、彼女は上海で働いていて、同僚と公演を観に来ていたんですけど、彼女が指名されてステージに上げられたんです。

あ、そうだったんですか!
それは、すごい運の良さですね。

僕はステージを観ていないんで知らなかったんですが、その出来事を彼女がmixiで日記に書いたんです。
それを僕がたまたま検索して読んだんですね。その時に、「足あと」が残ってたので、僕のmixiのページにも来たみたいで、それで「あ、メンバーの中に日本の人がいたんだ」ってわかったみたいです。

ああ!
「足あと(※)」で。
(※mixiの特徴的な機能で、自分のページを訪問した人の名前や日時の履歴が確認出来る)

で、彼女から連絡が来て。
2か月くらい上海で公演が続いてたんで、上海にいる間に何回か会って、それがつきあい始めたきっかけですね。


いろいろと、運命的な出会いですね。
もし上海公演が1週間ぐらいで終わってたら、何回も会う機会はなかったでしょうし。
日記を書いたのがmixi以外のブログだったら、お互いに気づかないまま終わったかもしれないし。
そもそもステージに上がってなかったら、日記にも書かなかったかもしれない。

そう、書かなかったかもしれないですね。
それから、ツアーのオフごとに僕は上海に行って、彼女は仕事の休みごとに僕がいる街に来てました。
だから結局、結婚する前は、1ヶ月か2ヶ月に1回ぐらいは会ってたんじゃないかな。

へえー!
いろんな街で会ってたんですね。

最初、メキシコに来て、その後にヨーロッパツアーが始まったので、リスボンとか、バルセロナとか、ロンドンとか来てました。

奥さんが、旅好きな人で良かったですね。
もしそうじゃなかったら、ツアーと一緒に移動しながらの生活って、かなり大変でしょう。

まあ、そもそも、旅好きな人じゃなかったら、つきあいが始まらなかったと思いますけどね(笑)。
彼女自身も、もともと日本から飛び出して上海で働いてるような人だったので、日本じゃなきゃダメっていう考えじゃなかったんですよね。

田口さんも、旅好きなんですよね?

僕も、好きです。

じゃあ、たまたま「キダム」みたいな移動型のツアーのパフォーマーになりましたけど、それもまた運が良かったんですね。
移動が好きじゃないっていう人もいるでしょう。

移動が大変っていうことで固定のショーを希望する人もいますね。
僕は、ツアー型だといろんな所に行けるから、「仕事で行けるなんてラッキー!」って思いますけど。

行き先を、自分で決めるんじゃなくて、勝手にスケジュールが組まれる、っていうのも、なんか良くないですか?

そうです、そうです。
長いとだいたい2年先くらいまでの予定が決まってるんですけど、それを見て、「あ、今度はこの国に行けるんだな」って楽しみになったり。


ツアーのオフの時に、自分の行きたい国へ旅行したりもしますか?

行きますね。
去年は3か月のオフがあって、その期間には、家族でシンガポールとかハワイに行きました。

そういえば、ウチも田口さんのお子さんと同学年の男の子がいるんです。
2013年の10月生まれで。

近いですね、ウチは同じ年の6月なので。

子連れで移動するのって、近所ですら一苦労ですけど、海外を渡り歩きながら生活って大変でしょうね。

それはまあ、僕がっていうよりも、奥さんが大変だと思います(笑)。
僕は会社と一緒に移動出来ますけど、メンバーの家族は、航空券からなにから全部自前で手配しないといけないですし。

子供が小さいうちは、奥さんたちは日本に残って子育てをする、っていうような選択肢も考えましたか?

いや、それは考えなかったです。
家族は一緒に暮らすもんだ、って僕も奥さんも思ってましたね。
結婚してから可能な限りずっと一緒に移動してましたから。

どんな生活なのか想像がつかないです。
現地では、ホテル住まいなんですよね?

そう、子供には移動するたびに、「今日からここが新しいお家」って教えてます(笑)。


生まれた時からそういう生活だと、もう国籍が「地球」っていう感じですね。

生まれてから今までに、29カ国に行ってます。

まだ2歳でそんなに!

ここ1年間は、ヨーロッパの中を転々とするツアーの時期だったので、特にいろいろな国に行きましたね。

「キダム」の独特な作り方

僕は、「キダム」以外のシルク・ドゥ・ソレイユの舞台もいくつか観ているんですけれど、「キダム」だけは、不思議と何回でも観たいって思うんです。

「キダム」は、それまでに作ってきたショーとはまったく別の作り方をしているんですよね。
サーカスなので、見た目の驚きっていうのも提供してたりはするんですけど、唯一「キダム」は、目で見る驚きというよりも、感情の部分に訴えかけてる作り方をしているんです。

ああ、、なるほど。

そこからちょっとズレると、目で見てスゴいっていうだけのものになってしまうし、逆の方に振れてしまうと、サーカスやショーでないものになってしまう。
その微妙なラインの、感情のところを主題にしているんですね。
だから何回観ても楽しめるっていうこともありますし、その人の感情なので、観る時の状況によって変わってきたり、何年か経ったときに自分の成長によっても変わってくるって、僕は思ってます。


たしかに、観るたびに新しい気づきとか驚きがあるんです。
技がスゴい、っていうだけだと、「ああスゴかった」で、もう一度観ようとは考えないと思うんですけど、なにか、それだけじゃないものがある感じがして。

そこはたぶん、他のショーには無い部分ですね。
でも、「キダム」は来年の2月で終わっちゃうんですよ。

えええ!?そうなんですか!
それは知らなかったです。

ツアーショーって、長くやっても20年で、「キダム」も1996年スタートなのでもう20年目に入ってるんです。
今までも「サルティンバンコ」とか「アレグリア」みたいに長期でやってきたツアーショーがあるんですけど、だいたい20年くらいで世界中をまわりきって、終わっていて。
その流れで、「キダム」も同じように。

じゃあ、今スケジュールが決まっている公演までで最後っていうことなんですね。

そう、後は、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、の公演で終わりです。

ああ・・それはとても寂しいです。
代わりに、続編のようなツアーが始まったりするんでしょうか。

何かのショーが終わったから代わりに何かを始める、っていうようにはなっていないので、続編っていうのは、とくに無いでしょうね。

「キダム」が終わった後、田口さんがやることは決まっているんですか?

決まってないです。
まったくの無職になっている可能性もあります(笑)。

一般的には、パフォーマーの人たちのキャリアパスって、スポーツ選手みたいに、パフォーマンスする側から、指導する側になるんでしょうか。

どうなんでしょう。
指導する側になる人もいますが、シルク・ドゥ・ソレイユに入ってくる人に、それぞれ違ったバックグラウンドがあるように、辞めた人たちも、その後どうするかっていうのは、てんでバラバラなので。

田口さんにとっても、大きな転機ですね。
「キダム」が終演するまでに、あともう一回は、どこかの公演を観に行きたいと思っています。

ありがとうございます。
その時にはまた、来る前に連絡してください。


ありがとうございます。
今日は、直接お話しが聞けて、本当に嬉しかったです。
(2015年8月 銀座にて)


清水宣晶からの紹介】
僕は、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の数々のショーの中でも、「キダム」というショーが特別に好きで、12年前に日本での公演を観て以来、ニューカッスル公演や、サンパウロ公演など、タイミングが合う時に各地のツアーを観に行ってきた。

公演がおこなわれるテントには、出演しているアーティストの出身国の国旗が掲げられていて、その中に日本の国旗があるのを見ると、とても嬉しい気持ちになる。

世界中の選りすぐりのパフォーマーたちが立つ舞台の上で、唯一の日本人として10年以上もパフォーマンスを続けている田口さんの存在はひときわ輝いて見え、いつかはお話しを聞きたいと思っていたところ、公演がオフの期間に日本に一時帰国するタイミングがあり、今回、貴重な時間をいただいた。

田口さんは、自分自身の体からいかにして最高のパフォーマンスを引き出すかということを、とても真剣に考えていた。そのことが、話しを聞いていて、よく伝わってきた。
そして、それを常に考え続けてきたからこそ、これほど長い期間、第一線に立つことが出来ているのだと思った。

国籍を問わず一流のアーティストが集まる「シルク・ドゥ・ソレイユ」の中で技を磨き、世界中の街を巡っている田口さんにとっては、国と国との距離はとても近いものなのだろう。
言葉を介さずに、自分の身一つで表現をする技術を持っている田口さんは、国境や人種を超えてあらゆる人々を魅了する、本当のエンターテイナーなのだと思う。

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