武藤正幸

物語ロックバンド『サチアレト』のボーカル&ギター。
http://www.sachiareto.net/

音楽レーベル「ジンテーゼレコード」代表。
『愛すべきカンチガイ(根拠のない自信)』を胸に、日々本気で想いを表現している。

応援団式パフォーマンス集団『我武者羅應援團』の
団員兼脚本・演出・音楽を担当
http://www.gamushara-oendan.net/
(2008年12月 学芸大学「ロ・スパツィオ」にて)

独学で始めた曲作り

(清水宣晶:) マサにはやっぱり、音楽のことから聞きたいな。
マサが音楽をやり始めたのって、いつからだった?

(武藤正幸:) 自分の記憶で一番古いのは、おじいちゃんの家にピアノがあったことで。
珍しかったから、小学生の小さい時、鍵盤を押して遊んでたのは覚えてる。
その時は適当に叩いてただけだから、曲を作ってたわけじゃないけど、それが、自分の中で何かを生み出す原点だったんじゃないかな。

誰かに教わってたわけじゃないんだ?

全然教わったことはなくて、自分で勝手に遊んでた。
和音とかも知らないんだけど、なんか、3つぐらい同時に抑えると「いい音がするな」ってなんとなく思ってたり。

和音から、自分で編み出してたってのもスゴいな(笑)。
ギターを始めたのはその後なの?

今思えばエアギターのはしりだったと思うんだけど、
当時、B'zとかをテレビで見ながら、そのギターを弾く動きを真似しててさ。
俺、飽きない性格だから、同じ場面を何回も何回も繰り返し練習してて。
両親が、それ見て、中学一年か二年生のクリスマスプレゼントで買ってくれたんだよね。

ギターのコード進行も、自分で考えて作ってた?

当時、流行ってたのが、ミスチルとかスピッツなんだけど、それをコピーして弾こうとしても、コード進行が難しくてさ。
でも、俺が作ったコードだったら弾けるな、と思って。で、自作のコードにメロディーを乗せて作り始めたのが、曲を作った最初だね。

その時にも、コード理論とかは特に考えてないんだ?

全然知らなかった。
CとかFとかのコードはまあ覚えるにしても、このコードからこのコードにいくと「いい」ってのは自分の感覚で探してた。
本とかで勉強するのが面倒だから、手探りだったな。

説明書読まないタイプの人だなあ。

当時、自分の中で黄金パターンみたいなコード進行が3つぐらいあって、それを使えば絶対いい曲が出来る、っていうのが確信としてあったんだよ。
今になって見直してみると、ロジックとしてそういう進行があるってのは頭でわかるんだけど。

その後も、専門的に音楽を習った時期ってのは無かったんだよね?

結局ね、一度も無い。

それが面白いよなあ。
結構めずらしい経歴だよね。

今でこそ、俺は、それで良かったと思ってるんだけど。
専門家から見れば、ロジック外のことをやってるから、それが持ち味になってる気がする。

そう、マサの曲ってすごくオリジナルだよな。
誰かと似てる、っていうのがない。

何で外に教わりに行かなかったのか、謎なんだけど。
とにかく全部を自分で試行錯誤してた。発明みたいなもんだよね。

自分で一から考えるってのは、すごいエネルギー要るだろうな。

大きかったのはさ、曲を作ったら、まず最初におふくろ(武藤純子)に聴かせるんだけど、それが大絶賛なんだよ。

うんうん。

で、当時、むっちょり(武藤貴宏)が海外に行ってて、「何か日本の音楽を送ってよ」って頼まれた時、MDにB'zの曲とかを入れたのに混ぜて、自分の曲をこっそり入れてたんだけど。
そしたら、「これスゴくいいんだけど、誰の曲?」って言われたりして、身近な人がとにかく褒めてくれたんだよ。

それは、でかいなあ。
褒めてくれる人が周りにいるってのは、やる気出るね。

そう。
音楽家庭じゃなかったってのが、いい方にプラスになったし、
大学も、音大じゃなくて普通の大学に行ったことで、周りに曲を作っている人なんてあんまりいないから目立つし、自分にとってはそういう環境が合ってたんだと思う。

叱られて伸びるタイプじゃないんだね。

そう、もうね、叱られるとまったくやる気なくなるタイプ。
だから、続けられる環境を本能的に選んでたんだと思う。
厳しい場所を選ぶよりかは、自分の身の丈に合ったところで一番になりたいんだよね。

わかるわかる。

だから、他の人のこともすごく褒めようと思ってる。
特に、何かの作品を作っている人は。
ダメな時って、作ってる本人が一番それをわかってるんだよ。
だから、俺は絶対にその人のことを褒めようと思う。

最後まで面倒をみたい

マサはさ、作詞作曲をするだけじゃなく、歌も自分で歌うし、楽器も全部自分で弾いて作るじゃない。
それって、それぞれ別の能力だと思うんだけど、どっかに特化しようとはしなかったの?

やっぱり、音楽を作ることに関する作業の全部が好きなんだよね。
最近は、「サチアレト」で、他のメンバーにもだいぶ任せるようになってきたんだけど、昔は、それを全部自分でやるのが楽しかった。
自己満足ではあるんだけど、それだけの思いをかけて、一つ一つの作業を積み重ねたCDが出来た時っていうのは、本当に嬉しさのレベルが違うんだよね。

それ、すごいわかるよ。
オレもさ、ホームページを作る時って、普通はデザインとかシステムとか分業するんだけど、思い入れがあるページを作る時は、一つ一つの画像を作るところから最後の仕上げまで、全部を自分で作りたくなる。

その感覚に限りなく近いね。
自分の作品て、自分の子供みたいなもんだからさ、そこはすごくこだわる。
思いが詰まった曲は、最初から最後まで自分で面倒をみたい。
土壇場で他の人に託しちゃうと、俺の曲じゃなくなるんじゃないかって思うんだな。

そういうこと、あるね。
それは、よくわかるわ。

あっきーのモノづくりの感覚は、俺と似てるよね。
ガムシャラユナイテッド」で一緒にバンドをやった時にも思ったんだけど、
評価の基準を自分の内側に持ってる。

そうかもなあ。
他人にどう見えるかという前に、自分自身が納得いくものが作れてるかどうかっていうところは、すごく気になるな。

たとえば、間にプロデューサーみたいな人が入ったりしてさ、自分で作ったものについての最終的なジャッジが出来ないっていう状況はツラい。
自分の作品を、自信をもって誇れないっていうのは、イヤだからさ。

バランスをとること

マサってさ、履歴書に書くような経歴だけ見ると、
音楽とは無縁のところを歩んできたように見えるよね。

そう、普段も、見た目はいたって普通の生活をしているし。
自分で言うのもなんだけど、そんなにとんがってないからさ。
前は、それがすごいコンプレックスだったけどね。
芸術家ってエキセントリックな人が多いけど、そういう天才肌じゃないから。

たとえば絵描きとかでさ、表現せずにはいられないっていう衝動で描いてる人がいるじゃない。
そういう、切羽詰った感じではないよね。

それよりはもっと、日常に寄っている。
それが無いと生きられない、っていうようなものじゃなくて、自分の生活に付加価値をつけている感じかな。
で、それを長く続けていきたい。

それは、何となくわかるな。
何か創り続けるにしても、表現とは別に、自分自身に日常生活の部分がないと、すぐに枯渇してしまう気がする。

「物語」にしたいっていう理由もそこで。
自分を出して、それを見てほしいっていうよりは、自分がすごくいいな、と思う世界を描きたい。
ただの詩だと、「僕とあなた」っていう「点と点」の勝負になるんだけど、
でも、物語だと、どの人物が俺か、っていう話しじゃなくなるから、「面と面」の勝負になってくるんだよね。

なるほど、なるほど。
わかる人にわかればいい、っていうんじゃなくて、
相手が受け取りやすい形で発信するっていうことなのかな。

そう、俺が心がけているのは、そこなんだと思う。
詩は、その人が100%出るかどうかの勝負だから、面白い必要はないんだけど、
物語はエンターテイメントとして、面白くする必要があると思う。
だから、バランスっていうものはすごく重視してる。
熱すぎもなく、冷めすぎてもいない、っていうその中間。

熱くなりすぎないようにってことも、考えるんだね。

「スラムダンク」でいえば、桜木花道ばっかりが集まってても物語にはならないじゃない。

そこに、流川とか三井が入ってくることで、ドラマが生まれるってことか。
そりゃそうだね。

今まで書いた曲も全部、そういうバランスを大事にしていて。
「明るく生きようぜ」、っていうメッセージを伝えようとするなら、まず絶望を歌いたい。

マサが、伊坂幸太郎の小説を好きなのも、
その、「バランス感覚」ってキーワードなんじゃない?

そう、あの人の小説は、本当に絶妙なところを突くんだよ。
世界への悲観具合と、希望の持ち具合のバランスとか。
出てくる人も、熱いやつもいれば、冷めたやつもいたりして。

伊坂幸太郎の小説って、多層的というか、
色んな登場人物の視点が何重にも重なり合って物語が作られてるよね。

かなり複雑なことをやっていると思うんだけど、
それを、小難しくやってない。
「ちゃんと考えよう」みたいに真面目に持って行くと重厚な文学になるところを、ライトに、結局何でもいいじゃんって締めたりする。
そういうところが俺のツボにハマる。
ロックな感じがするんだよね。

うんうん。

混沌としたものが好きなんだよ。
で、その中に、秩序がある、っていう。

それは、「複雑系」の考えに通じるな。
木の枝の伸び方とかさ、適当で乱雑に見えるんだけど、
根本にはすごくシンプルな法則があるっていう。

それに近いね。
最終的には希望を伝えるんだけど、
その後ろに複雑さがあっての希望は、複雑さが無い希望とは全然意味が違うと思う。

ちょっと違う話しかも知れないんだけど、
オレさ、団地のベランダが一望出来る景色ってすごく好きなんだよ。
夜になると明りがついて、その中には、たくさんの家族がいることがわかるんだけど、
同じ間取りなのに、壁一枚へだてた向うには、それぞれまったく別の人生や生活があるって想像すると、面白いなあって思う。

まさに。
そう、「サチアレト」で表現したいのは、まさにそこなんだよな。
だから、あっきーの言うことは、すごく腑に落ちるよ。
俺の住んでるウチも団地で、近所を散歩しながら曲を作ってる時、そういう何げない景色で、俺は泣きそうになる。
で、そのことを表現出来るのはやっぱり、「物語」しかないんだと思う。
(2008年12月 学芸大学「ロ・スパツィオ」にて)

清水宣晶からの紹介】
マサの曲を初めて聴いた時のことは、よく覚えている。
厚みのあるメロディーに乗って、澄んだ高音の歌声が耳に入ってきた時、とても心地いい音楽だと思って、一瞬で好きになった。それまでに知っていたどの曲よりも、日常生活に寄り添った歌詞だと思った。マサは、ミュージシャンというよりも、「物語」によって世界そのものを創造するクリエーターというほうがしっくりくる。

その後、マサと同じバンドのメンバーとしてギターを演奏をする機会があり、一緒にスタジオで練習した時、マサからはたくさんのことを教えてもらった。
どういう演奏でいくかということを話し合いながら、マサは「耳が感じる違和感」にとても敏感で、常にバンド全体を見ながら、より身体に馴染む形に合わせるように調整を続けていった。
それは、音楽がどのようにして人の感情を揺さぶるようになるのか、という不思議な作用について、身をもって学ぶことが出来た時間だった。

マサは、自作のMDをレコードショップに持ち込んで一軒ずつ売り歩くところから始めて、少しずつレコーディングを積み上げていき、その数だけの曲を世に送り出してきた。その一曲一曲を、実に丹念に作り上げて、妥協するということがない。生粋の物語職人と呼ぶにふさわしい男だと思う。

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