深森らえる

声優。をメインフィールドにしています。
常識をつっこまれるとぶるぶるふるえるふわぽわこどうぶつ。


ほんとうに勉強が好きだったし。
そして芝居が好きだったからこちらに進んで。
好きなことを好きにしたいでここまできてます。

そう。「好き」。それだけ。


最近はライブ(歌とか詩とか)舞台とかも増えて、好きの手段が増えました。
演技だろうとなんだろうとそのとき一番ふさわしいもので「好き」を形にしたい。


普段は『ふんわりぽんわり』を合言葉に生活。
一番生活で困っているのは、たぐいまれなる方向音痴。

今までの具体的なお仕事履歴はこちら。
http://www2.plala.or.jp/saraele/aboutme/pletelme.html
ボイスサンプルはこちら
http://www.voiceblog.jp/saraele/1061882.html(様々な声が聞けます)
http://www.voiceblog.jp/saraele/815186.html(基本の声が聞けます)


パーソナリティはこれ。「Raele’s healing garden」
http://www.jam-st.ne.jp/ch1/ch1_healing.html
歌の一つで、アイドルユニットはこれ。「かくてる」
http://www.yashikino.com/iags/cocktail/
最後に私のHP 「ていとあていと」
http://www2.plala.or.jp/saraele/index.html

声優の面白さ

(清水宣晶:) らえるは、声優として係わる役と、
自分自身の人生がリンクしているって感じことある?

(深森らえる:) 役を演じる、っていうことが、人を好きになることに役立つことがあって。

うんうん。

「え?こんなセリフ言っちゃうの?」って思うような言葉を理解すると、
「あ、そうだよね」って共感出来ることが多くなって、好きな人の幅が広がるんだよ。

それ、わかるわー。
役者もそうだと思うんだけど、色んな人生やキャラクターを自分で体験するってのは、自分以外の人のことを理解する力になるよね。

もともと本を読むのが好きで、
他の人の表現から、「その人の世界」を読み取るっていうのがすごく好きだったんだけど、
役を演じるっていうのは、もっと直接的に「自分がその役になる」っていうことで、
そうすると、どんな悪い人でも、理由があるって思えるの。

なるほどなあ。面白いね。
役を演じる時ってのは、やっぱりそのキャラクターに入り込まないと上手くいかないものなの?

わりと型だけでも聞かせることは出来てしまったりするんだけど、
でもやっぱり、愛情がこもった役者さんて分かる気がする。
人間て、どんなに自分のことを嫌いって言ってても、
最後は愛してほしいからこそ、悪い人になってみたり、困ったことしたり。それは自分がいい、正しいとどこかで思ってしまった表現の形で。
「この人はどこを愛してほしくてこういう風になってしまったんだろう」って考えながら、その役を演じて好きになる。

主人公じゃない、ちょっとした脇役とかでさ、
キャラクターがあんまりはっきりしてない場合はどうするの?

自分で想像しちゃう。
セリフがたった一言しかなくても、
その言葉を鍵に、その人がどういう人なのかって考える作業が、すごく楽しい。
そういう言葉を発する人がどういう心と時を経験してきたのかとか。

ああ、なるほどなあ。
そういうところも、本を読むことに似てるな。

声って、すごく精密なのね。
たとえば身体だったら、手を振れば、手を振ってるっていうのが見えるけど、
声だけで、「手を振ってる」って様子が見えなきゃいけないから、
ものすごく丁寧な作業をしないといけないの。

そうだよな。
それ、すごく細かい技だよね。

表現手段が少なくなってるぶん、
能のお面に近いところがあると思う。

能?

表情が使えないから、角度の上げ下げで表現するでしょ。

ああーー、なるほど!

そうなると、声もね、身体を使う役者さんとはまた別の訓練が必要で、
声色を変えたり、息の入れ方の細さ太さとか、
ツールをたくさん持っているほど、表現したいことをトレース出来る。

そうだよね。
声だけで表現するんだもんな。

実際に物を持つときって「よいしょ」って言っても、その言葉に力は入らないんだけど、
声だけで表現する時には、「よいっ・・しょ!」って感じで、そこに重さが入る。

たしかに、そうなるなあ。

実際やらないことを、声で表現するわけだから、
ウソをつく作業でもあるよね。

ん?
ウソをつくってのは?

リアルにやっちゃうと、それはリアルだから演技じゃなくて。
ほんとに物を運ぶときは、普通に「よいしょ」しか言わないじゃん、っていったら成立しなくなっちゃう。

あーー、そうか。
本当以上に、本当っぽく表現しなくちゃいけないんだ?

そう。
だからって、やりすぎちゃうとウソっぽくなっちゃうからサジ加減が難しいんだけど。

現実をそのままなぞっただけじゃ足りないんだな。

うん。あとね、
自分の常識が、「もとめられる」世界とズレていることもあるということを認識してないと、演出される時にうまく合わせられない。

お。どういうことだろう?

たとえば、自分が怒ってる時は「はぁ?」って言うとするじゃない?
でも、演出家さんから、「本当に怒った時は『ムッ』だろ」って言われたら、
その人の価値観を取り入れる作業をして、この人の常識と私の常識の違いのずれを修正して初めて演出がわかるから。
演技するときは、結構常識のゼロポイントを常に探してる。
基準点はどこだろう?みたいな

なるほどなあ。
一般的な常識、の感覚が必要なんだろうな。
ギャグマンガを描く人もさ、すごく常識を知ってないと描けないと思うんだよ。
笑いってギャップから来るものだと思うからさ。

そうだね。
何が正しいかわからないと、外れることも出来ないんだよね。

わかるわかる。
声優ってのは、色んな人の気持ちを知ってないと出来ない仕事なんだな。

いや、あんまり知らないけど(笑)
でも、もっと好きになりたい、もっと知りたいのは確かかも。

上手なケンカの仕方

らえるは、結構、
近しい人とのコミュニケーションで、踏み込んでいくタイプだね。
その、踏み込みかたはスゴいよな。

ケンカする才能が要るよ。

そうなんだよな。
オレ、その才能ないんだよ。
なかなか上手くケンカ出来ない。

わたし、ものすごいケンカする。

自分からふっかけていくの?

うん、わたしのほうが言いたいこと言うから、
わたしから始めることが多い。
でもルールがあって、わたし、大事な人とケンカする時は手をつなぐの。

あ、ケンカしながら手をつなぐんだ?
スゴいな、それ!

「これ、わたし、ダメだ!」って思った時は、
相手の手をつかんで、ボロボロ泣きながらでも、言いたいことを言うの。
で、向うも怒ってるから険悪なムードにはなるんだけど、
手を離さないってことは、話し合う余地があるってことだから。

面白いなあ!

相手にヒドいこと言っちゃう時、手に力が入るでしょ?
あと、言葉がでなくなるほどの時にも、手から伝わるものがあって。
それって、「離したくない」っていう表現にもなるんだよね。
一緒にいたいから、これだけしんどいことを言ってるんだよ、って。

なるほど、そりゃあいいわ。
なんのためにケンカするのかっていう時に、基本スタンスとして
「あなたとはいたくない」からケンカするのか、
「あなたといたいと思う」からケンカするのかっていうのでは大きな違いがあって、
「相手のことが好きだからケンカしてる」ってことを伝えられるのはいいね。

そう。
たいがい、私がケンカする時っていうのは、
「あなたが好きだから」、寂しかったりわかりあえないことを解決したくてするわけだから。

いいねえ!
オレもやってみることにしよう。
他の人にもおススメ出来るよ、それ。

声優と役者の違い

らえるは、舞台で役者として演じることもあるけど、
声優とはまた違うところがあるの?

舞台のいいところは、
テレビとかドラマだと、一つの役に長くつきあったとしても、
一つの場面を演じるってのは、1回か、せいぜい数回でしょ?

うんうん。
そうだよね。

でも舞台ってのは、同じ場所を何回も何回も繰り返しやるから、
その場所が納得いかない結果になる可能性が、その分は限りなく少なくなる。

納得いかない結果ってのは?

本番までの間、数週間、ながければ数ヶ月じっくりと考えるから、
時間に追われて演技を打ち出しちゃうような危険は減らせる。

ああー、たしかに、
一つの場面に限定して役と向き合う時間てのは、ものすごく長いね。

舞台だと、一回練習をした後に、一週間ぐらい経ってからまたセリフを合わせた時、
「あれ?前よりもいいこと思いついちゃったかも」っていう時があって。
わかってたつもりの人を、「わかってなかったんだ」って気づいた時に、
自分がどんどん、納得がいく方向に行くのがわかるの。

うんうん。

恋人とつきあっても、相手のイヤな面が突然バッて見える時があるでしょう?
それと逆に、「よくわからないなあ」って思える人が「ああ!そういうことだったのか。キミ、好きだわ!」って思える時もあって。

ぶははははは!
そういうこと、あるある。

もう半分以上稽古が済んでるのに、突然、
「今までの私の考え方が間違ってました」って気づくことがあるんだけど、
そういう瞬間が来る可能性が、舞台のほうが高い。

その瞬間が来ない、っていう場合もあるの?

ある。
でも、来ない時でも、そこまでの理解しか出来ないままで、
ベストの理解をしていると思ってるから、そのことには気づかないと思う。

ああ、その時はその時で、
やっぱり納得はいってるんだね。

でも、一回本当に取り込むことが出来ると、かなりハマるね。
それを経験してると、今回はどこまでいけるんだろう、って思うから、
台本をもらってから本番までの間は、かなり楽しめるよ。

それは、面白そうだなあ。

舞台は、何が起こるかわからないところがあって。
完成度が高いものを見せることにこだわると、すごく「カタチ」になってしまうのね。

うんうん。
きっちり作り過ぎないほうがいい、ってことあるもんな。
そこは、ドラマや映画と違うところだよね。

「生きないと伝わらない」っていう部分があって。
理想の演技をしようとすると、それがただの形をなぞることがあるの。
それが映像ならいろんな奇跡や撮り方とかで、取り直しで最高をもとめたり、
仕上がりが「いい作品」になるように、届くべき形があったりするんだけど、
舞台でそれをやると、傀儡(くぐつ)みたいになっちゃうの。

その感じはわかるな。

その場の反応とか、空気で対応を変えるっていうのはゾクゾクするね。
時にはハプニングだって起こるし、サバイバル能力に近いと思う。
映像が「都会」だとしたら、舞台は「野生」なの。

(笑)名言だな、それ!
(2008年10月 恵比寿「BECK’S」にて)


清水宣晶からの紹介】
らえるは、満ち溢れている人だ。
その余剰は、惜しげもなく周りに全力で与えられることによって、さらに増幅されてめぐり巡って、今日もこの世の幸福の総量を増やしている。
彼女の持つ才能の多くは、ビジネスに直結するものではなかったとしても、しかし、豊かさという観点では、これほどに豊かな生活をおくっている人はそういないだろう。
自らが単騎で駆けるのではなく、周りに支えられることで理想を実現してゆく、劉備玄徳モデルともいうべき生き方を体現している彼女には、所有も執着も必要ない。
これまで人類が歩んできた「奪い合う」経済の歴史から、「与え合う」経済へとステージを推し進める、先駆者となる女性なのではないかと思う。

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