小笠原隼人

1984年生まれ。埼玉県出身。
一橋大学を卒業後、アクトインディ株式会社に入社。
母親の死を契機として葬送の仕事に関心を持ち、葬儀相談サービス「葬儀サポートセンター」や霊園・墓地検索サイト「ついのすみか」の運営に勤める。自身も相談員として、退職までの3年間で、1,233件のお葬式とお墓に関する相談を受ける。

2012年8月より福島県郡山市に居を移し、現在は、18歳以下のこどもの心の声を聴く「チャイルドラインこおりやま」事務局長や、福島の今を生きる人の動画インタビューサイト「ふくしま人図鑑」の編集長をしている。

チャイルドラインこおりやま:http://cl-koriyama.org/
ふくしま人図鑑:http://fukushima-jin.net/
blog:http://ogasawarahayato.com/
(2012年4月 渋谷「茶鍋カフェ」にて)

ルームシェアの生活

(清水宣晶:) 今日、自転車で来た?

(小笠原隼人:) え!?
あ、わかりますか?

西麻布でルームシェアしてるって言ってたから、
渋谷までは自転車の距離かと思って。
もう、ルームシェア歴はだいぶ長いの?

前に住んでたのは、五反田のシェアハウスで。
マンションの部屋を、無理やり、
人一人がちょうど寝られるぐらいのスペースに
細かく壁で区切ってるところでした。

1畳半ぐらいのスペースだね。


そこに机が置いてあって、
寝る時は、机の下に足を入れて寝るんです。

壁っていうのは、天井まで続いて、
完全な個室になってる感じ?

いや、消防法の関係とかで、
壁は天井より少し下の位置までなんですよ。

(笑)マンガ喫茶だね。

完全に、マンガ喫茶と一緒です。

一つの部屋に何人ぐらい住んでたの?

2LDKの広さで、
リビングに4人、あと4人、3人、
で11人ですね。

それは、大家さんからすると、
11人分の家賃が取れるっていう・・

いや、でも、
ワーキングプアの人とか、就職活動生とかが多くて、
2~3ヶ月ぐらいで入れ替わっちゃうんですよ。
その都度、広告出してたら経費もかかるし。
家賃が払えなくて夜逃げする人もいて、
最後、管理人もいなくなっちゃいましたからね。

ぶはははははは!
スゴいとこ住んでたね。


で、そのシェアハウスはつぶれちゃって、
次どうしようかって時に、
西麻布のシェアハウスに空きが出たところに、
声かけてもらって、今そこに住んでます。

そこは、自分の部屋はあるの?

いや、やっぱり個室はなくて、
リビングの一部に布団を置いて、
そこをカーテンで囲ってあります。

なるほど。

前の人は、
それがイヤで出ていったみたいなんですけど、
リビングは10畳ぐらいあるから、
前のシェアハウスと比べたら、
僕からしたら天国みたいな環境です。

場所もいいし、リビングに住んでると、
友達の友達とか、知らない人も出入りするから、
面白いでしょう。

そう、そのおかげで、
いつ誰が来ても話しが出来るっていう、
オープンな姿勢でいられるようにはなりましたね。
前のシェアハウスは、冷房の調整とか面倒で、
部屋によって、エアコンのきき方が違うから、
それぞれが好き勝手にリモコンで設定変えたりして。


無言の闘いがあるんだね。

一番もめたのが台所で。
一時期、三食、カレーしか食べてなかったんです。
イチローに影響受けて。

イチローの影響!?

栄養がいろいろ取れて、
まとめて作れる上に、コストも下げられるから。
でも、キッチンは30分しか使えないっていうルールがあって、
その時間内で、ピカピカにして戻さないといけないんですよ。
時間超えるとものっすごい怒られて。
あと、カレーの匂いもするから怒られて。

毎日カレーばっかり作ってんじゃないよ、と。

だから、カレー作るのが、
すごい早くなったんですよ。
今の家は、カレー作ると、むしろみんな喜んでくれるから、
その点でも、幸せです。
あと、前の部屋は、身長176cmに対して、
寝るスペースが180cmしかなかったんですけど、
今は200cmあるんで、かなり楽になりました。

その笑顔から、幸せ感が、
すっごい伝わってくるよ(笑)。

草津の湯治場

すいません、
いきなり、こんな話しで。

いやいや、こちらこそ、いきなり脇道にそれちゃって。
えーと、今日は何の話しを聞こうと思ってたかというと、
隼人くんがやってた、葬儀とかお墓の相談を受ける仕事って、
いったい、どういうことをやってたのかと思って。

葬儀社は、東京だけでも1000社以上あるんですけど、
葬儀をやるっていう時、どこがいいかっていうことは、
なかなかわからないので、相談された方に合う、
良心的な葬儀社を紹介をする、っていう仕事をしてたんです。

隼人くん、
大学時代は、何をやってたの?

大学には僕、6年間いまして、
この話しをすると、かなり長くなっちゃうんですけど、
どうしましょうか?

あ、そんなに?
うーん・・じゃあ、
ダイジェスト版で
聞かせてもらってもいいですか。

大学4年生の時に、
烈さん(藤沢烈)のところで、
インターンをやらせてもらったことがあって。

そうだったんだ!?
RCFでインターンをやってたんだね。


その時、ETICの仕事とか、ゼミの課題とか、
いろんなことを同時にがんばり過ぎちゃって、
ウツっぽい感じで、何も出来なくなって、
3ヶ月ぐらい引きこもってた時期があったんです。
それを治すために草津温泉に行って、
しばらく逗留していたんですね。

草津温泉に・・。

で、そこから戻ってきた後、
就職活動を始めたんですけど、
ベンチャー企業に行くんだろうなという方向性は、
なんとなく決めてたんです。

草津に・・。

単にお金を稼ぐということだけじゃなくて、
自分がやるべきことをやって、そのことで、
相手が素直に喜んでくれるみたいなことを求めていて。

うーむ、草津かあ・・。

そういうことをを考えていた頃に、母親が亡くなって、
葬儀相談センターの社長にお世話になったことが縁で、
就職をさせてもらったんです。

ごめんなさい、
話しが核心に入りそうなところで、
水をさして申し訳ないんだけれど、
その、草津温泉に行ったってのは、
何をしに行ったの?

草津に、「時間湯」っていう、
江戸時代から続いてる湯治場がありまして。

ほうほう!

その頃、アトピーがひどくなってた時期で、
それを治しに行ったんです。
「湯もみ」ってご存知ですか?

板で湯をかき回して、
温度を冷ますやつだよね。
温泉ソムリエの人に聞いたことある。

昔はあれで温度調整をしてたんですけど、
今は、やらなくても機械で自動的に調整されるので、
観光用の「湯もみショー」みたいなものになってるんです。
でも、時間湯は、
今でもガチで、湯もみで温度調整をしてるんです。

なるほど。

毎日4回、決まった時間に、
湯治に来ている人で一緒に湯に入るんですけど、
48℃ぐらいあって、ものすごい熱いんですよ。
だから3分くらいしか入れなくて、入る時間を管理する、
湯長(ゆちょう)っていう人がいるんですね。

湯長って人がいるの!?

今から3分入ります、っていう時に、
みんなで「オーッ」って叫びながら入るんですよ。
熱いから。

うわー・・

動いたら、波が立って、
まわりの人に迷惑がかかるから、
じっとしてないとダメなんですよ。

運命共同体なんだね。

ひたすら全員で耐える、みたいな。
でも慣れてきたら、不思議なことに、
この温度がすごく気持ちよくなってきて。

そうなの!?

もともと50℃以上ある源泉を、
朝早くに湯長が、板でかき回して冷ましてくれてるんですね。
ホントは、48℃もあると火傷しちゃうらしいんですけど、
かき回して空気が入ってるお湯は、当たりが柔らかくなるんですよ。

ああ、なるほど!
そのために、板でかき回してるのか。

湯もみショーの板は、観光用でかなり小さい板なんですけど、
実際にかき回す時に使う板は、ものすごいデカいんですよ。
こーんな、成人男性の背丈ぐらいあるような。

「ベルセルク」のガッツが持ってる剣みたいなやつだね。


そう!(笑)
それすごく、ぴったりのイメージです。

なんか、面白い世界だなあ。

最近すごく思ってるのは、
あの時に過ごした時間は、
ほんと、いい時間だったと思って。
前に、木戸さんのインタビューを読んで、
農業をやってた時期の話しに、すごく共感したんですけど、
情報が入らない環境って、
その時の自分に必要なものだったと思うんです。

テレビとか新聞が無いってことかな?

どっちかっていうと、ネットですね。
来る前に、大学やインターンの仕事から離れて、
引きこもってた時期があったから、
みんなどうしてるのかとか気になるんですよ。
でも、ネットが圏外で使えなかったから、
もう気にしてもしょうがない、っていう気持ちになって。

ああ、それは、
気にしてもしょうがない、って思えたとき、
なんかホッとするところあるだろうね。

湯に入るたびに1リットルぐらい水を飲んで、
朝昼晩にちゃんとした食事を自分で作って食べて、
日付が変わる前に寝る、っていうのが、
デトックスとして、身体に良かっただけじゃなくて、
精神的にも、とても良かったんだと思います。


そこには、どのくらいの期間いたの?

3ヶ月くらいですね。
ほんとに長い人は、2年ぐらいいる人もいて。

それはもう、昔ながらの、
本物の湯治場だね。
そこに逗留した後は、アトピーは良くなった?

すごい改善しましたね。
温泉も良かったんですけど、
今思うと、原因になってたことは色々あったと思って。
そもそも、生活習慣とかストレスの影響っていうのも、
かなりあった気がします。

生活の基本的なリズムが整ったことで
改善された部分も、かなり大きいんだろうね。

あれは、情報が遮断された環境の極地だったから、
自然と出来たんですけど、
普段の生活だと、情報を完全に遮断するわけにも
なかなかいかないと思うので、
それをどう作るかって、考えてます。

友達のオカンの距離

ちょっと、この続きの話し、
隼人くんの住んでるシェアハウスに行って
話すのはどう?

あ、いいですよ。
じゃあ、ウチで話しましょう。


リビングの、カーテンの向こう側が、
自分のスペースなんだね。
ちゃんと空間が区切られてるのはいいなあ。

そう、そういうところも、
居心地いいんです。


さっきの話しに戻るんだけれど、
葬儀社を紹介する仕事に就いたきっかけは、
お母さんが亡くなったことだったの?

そうですね。
これがおそらく、
今の僕の中の軸になっていることなんですけど、
母は自殺で亡くなっているんですよ。

そうか。
そうだったんだね。

母が遺書を残して失踪した時、
急なことだったので、どうしていいかわからなくて、
就職活動でお会いしたことがあった、
葬儀社紹介センターの社長に相談をしたら、
すぐに駆けつけてくださったんですね。
それから、携帯電話の電波を探知して探して、
富士の樹海の中で見つかったんです。

隼人くんのお母さんて、
どういう人だったのか、聞いてもいい?

ウチの家庭は、父と兄と自分がいる中で、
その中心に母がいるっていう、ハブみたいな存在でしたね。
夜は、3回ご飯を用意するんですよ。

帰る時間がそれぞれ違うから?

そう、僕が中学から帰って夜7時ぐらい、
兄が高校から帰って9時ぐらい、
で、父が仕事から11時くらいに帰ってくる、
みたいな感じで、
家族が平日に全員揃うってことがなかったんです。


そうか。
みんな違う時に帰ってきても、
お母さんだけは、常に家にいたんだね。

ご飯とか、おかずもいつも3品ぐらい作ってくれて、
めっちゃ頑張って作ってくれてたんですよ。
クリスマスとか、行事を大事にしていて、
部屋も飾りつけして、テーブルクロスひいて、
キャンドルつけて、みたいに。

それ、スゴいな!
そういう日は、集まって話しとかするの?

クリスマスとか年末の時になると、
何時間もかけて食事を準備するんですけど、
でも、そういう日ってテレビで特番とかやるじゃないですか。
それが気になるんで、15分ぐらいでバーッて食べちゃって、
部屋に戻って見に行くんですよ。
それが、すごく悲しそうで。
3時間かけて作ったのを15分で食べちゃうの?
っていう感じで。

ああ、そうだよなあ。
でも10代の男子って、
だいたいそんな感じだよね。

なんか、母親には、
理想の家族を作りたいっていう気持ちが、
すごくあったんだと思います。
こっちからすると、そんなグイグイ来られても、
っていう感じがあったんですけど、
今考えると、ほんとに自分たちのために
いろいろしてくれたんだな、とか、
愛してくれたんだな、っていうのはよくわかります。

お母さんは、何か、
悩んでいたことがあったの?

化学物質過敏症っていう、難病にかかっていて。
その前にも、ガンになって、抗ガン剤の治療を
していたことがあったんですけど、
本人が一番気にしてたのは、
化粧をすることが出来なかったっていうことで。

そうか、そういう化学物質に、
反応しちゃうんだね。

アトピーがあるから、
そのまま外に出るのは抵抗があったみたいです。
もともとがすごいアクティブで、
人に会うのも好きな人だったので、
それで気が滅入ってたっていうのもあると思います。
新聞を開いても、その、新聞のインクに反応して
まともに読めないぐらいで。

ものすごく敏感なんだな。
それはツラかっただろうね。

そう、その、「それはツラいね」っていうことを、
僕は、言ってあげられなかったんですよ。
自分の中で、母は強くあってほしい、
っていう願望みたいなものがあって、
なかなか、母の病気のことを認められなかったんです。
そういう接し方をしてきた後悔っていうのも、
すごく自分の中にあって。
相手をありのまま受け止めるっていう
話しの聞き方をしたいって思っていて、
自殺をしたいという人の相談に乗りたいのと、
家族を亡くした人の心のケアをしたいと思ってるんです。

それは、隼人くんにしか出来ないことが、
きっとあるだろうね。

母が自殺をしたっていうことも、今は普通に言えるんですけど、
それも、人に言えるようになるまでに、
だいぶ時間がかかったんです。
僕は、周りの人に話すことで、
だんだん気持ちの整理が出来てきたんですけど、
それが出来ない人もたくさんいるだろうし。
だから、家族とか知り合いを自殺で亡くした方が、
匿名で話し合いが出来る掲示板が、
web上であったらいいなと思っていて。

そういう場って、
あんまり無いのかな?

自死遺族の分かちあいの会、みたいな、
体験をシェアする会は全国にあるんですけど、
そういう場って、ものすごく大事と思っていて。

うんうん。

家族を自殺で失ったことを初めて言う時って、
すごく勇気がいるんですよ。
それを言う場もすごく大事で、
あまり受け止めてもらえなかったりとか、
責められたり、ツラさを理解されないことが怖かったり。
僕自身は、周りに、和田さん(和田清華)とか、
ちゃんと話しを聞いてくれた人がいたので、
だんだん、言えるようになってきたんですけど。

なんか、
気兼ねなくに話しが出来るような人が一人でもいると、
だいぶ気持ちが違うんだろうね。

感じとしては、友達のオカン、みたいな。
自分のオカンだと近すぎちゃうから。
友達んちに遊びに行って、
友達がちょっと席はずした時なんかに、
「○○君、最近どうなの?」って。
家族じゃないけど、他人でもないなと思って。

わかるなあ。
そう、友達のオカンっていうのは、
ぴったりな距離だと思う。


そう考えると、シェアハウスってほんと面白くて、
朝起きると知らない人が隣りにいたりするんですけど、
でも、話しをすると、ちゃんと聞いてくれたり。

昔の長屋みたいなところって、
なんとなく自分を見てくれているっていう、
友達のオカンみたいな存在が周りにいたと思うんだけど、
今は、シェアハウスが、ちょうどそういう場所なんだろうね。

そういう存在を必要としている人の
話し相手になりたいっていうのが、
これから僕がやりたいと思ってることです。
(2012年4月 渋谷「茶鍋カフェ」にて)

清水宣晶からの紹介】
隼人くんは、葬式とお墓の相談を、年に300件近くも受けていた人だ。毎日の生活の中に、常にメメント・モリがあった彼には、近しい身内を失った方の気持ちや、人が死に臨んだ時の気持ちがよくわかるのだと思う。
人が集まるシェアハウスのような場所では、彼がみんなの母親的な立場になって、自然と、面倒を見たり話しを聴いたりするポジションになる。

僕が隼人くんに親しみを感じるのは、人の死にまつわる数多くの経験をしていながら、悟ったような様子ではなく、自分はどうしたらいいのかということを、いつも真剣に考えて、悩み続けているからだ。だから、話しをしていると、彼がきちんと言葉を受け取って、正面から向きあってくれているということがよくわかる。

葬儀社の紹介という仕事を、この3月で退職した隼人くんは、今後、自殺をしたいという人や、身内を亡くした人の話しを聞くということを、続けていこうとしている。
彼と話しをすることで、気持ちがスッと楽になる人は、きっとたくさんいるだろうと思う。

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