野口幸恵

1978年徳島県生まれ、東京都在住。
デザインと絵に従事しています。
好きな人と好きな事があれば、それだけで幸せ。

☆個人サイト(update:2008.03)
http://www.yukienoguchi.com/
(2008年11月 北赤羽「もがみ邸」にて)

画家とデザイナー

(清水宣晶:) もが(もがみたかふみ)の結婚式の時にさ、
席次表に、参加者全員の紹介が書いてあったじゃない。
あれには、のぐりんは、どういう肩書きで紹介されていたの?

(野口幸恵:) 「画家」と「イラストレーター」と「デザイナー」だったかな。

結構、それぞれ重なる部分もあると思うけど、
自分としては、どれに一番重きを置いている?

デザインは楽しいけど、仕事としてやっていることだし、
やっぱり絵かなと思う。

その、「画家」と「デザイナー」の違いってのは、
感性と理論の比重の違いってことになるのかな。
デザインの作業をやる時には、一つ一つの理由とかは考えてるんだよね?

デザインの場合は、考えないとダメだね。
「どうしてこういうデザインになるか」ってことが説明が出来ないとだから。
でも、アートは説明出来ちゃダメなものなんだと思う。

その、二つの相反することを両方やってるってのは、
なかなか大変なんじゃない?

大学の時とか、社会人1年目の時とかは、
その二つを分離出来ないっていう葛藤があったかな。

大学の時から、両方やっていたんだ?

もともと絵をやっていて、大学に入った時にデザイン専攻になったから。
その時は、なんとなく感性でやっていたところから、なかなか抜けられなかったね。

絵の中に表現されるもの

のぐりんは、いつから絵を描いてるの?

中学生の時。
その前までは、学校の先生が、私が描いた絵を見て「こうじゃない」って訂正するから、自分の描きたいように描けなくてキライだったんだけど。
小学校6年の時にクールベの「波」っていう作品を教科書で見て、
「いいな、こういう絵が描きたいな」って思って、中学校で美術部に入ったんだね。

うんうん。

で、中学校の時に、恩師と私が呼んでる人に出会って。
絵でウソを描くと、その人に見抜かれるの。
「集中してないやろ」とか、「別のこと考えたやろ」とかって。

そういうのが、絵を見てわかるんだ?

うん、伝わってくるし、
それは、自分で見て、自分自身が一番わかる。

ああ、やっぱり、
そういうもんなのか。

今、私、一人暮らしでワンルームに住んでるから、
絵を描いていると、どうしても目につくところに絵があるでしょ?
最悪の絵を描いている時は、最悪の自分を常に見せられている感じで、
余計に気分が落ち込んでしまう。

絵の中に感情が封じこめられているのかな。

やっぱり、単純に、自分が出るっていうか。
普通に文字とか書いていても、その人の特徴が出るでしょう?

ああ!出るね。

それが、絵や音楽だと、余計にクリアに出る。

「別のこと考えてる」とかっていうことも、表面に出てくるものなんだ?

だいたい私は、自分の理性と闘って描いてることが多くて。
頭を使い尽くして「もういいわ」って思った時に、いいものが出てくるっていうパターンが圧倒的に多い。
心で書いてるつもりでも、頭で書いちゃうっていうところがやっぱりあるからね。

なんか、禅みたいな心境だね。

それに近い感じはあると思う。
でも、なかなか無心にはなれないね。

100%の感動

のぐりんは、マンガだと、何が好きなの?

ダントツで「G戦場ヘブンズドア」が好き。

あ、そう!
日本橋ヨヲコのやつだね。
オレもあのマンガは、かなり好きだな。

人に勧めると、だいたい、
「オレも泣いたわ」っていうタイプと、「かすりもしない」っていう人の2通りに分かれるんだよね。

わかるわー。
人によって、好みは相当分かれるだろうな。

アリー(有馬友恵)が「嫌われ松子の一生」を観た時、泣きすぎて涙が自分の下にたまった、って言ってたけど、
私も、それと同じぐらいの号泣だった。

どこの部分がツボだったんだろう?
自分の中にあるのと同じ感情を、作品の中に見つけたのかな。

そういうことなのかな。
山田ズーニーさんが、
「理解という名の愛が欲しい」っていうことを言っていて。
「誰かに自分のことを、買いかぶられても空しいし、低く評価されても悲しいし、
ちょうどド真ん中を言われたら、私はその人に敬意を示す」って言ってたのね。
そういう、言葉に出来ない、自分の中にある浄化されていないものを見つけた時に涙が出るんだと思う。

なるほどな。
あの作品は、表現者の苦悩、みたいなことがテーマだから、
のぐりんのストライクゾーンのド真ん中にハマってるのかもね。

仕事をやっている時も、それはそれで楽しいんだけど、
心の奥底のところでは、「G戦場ヘブンズドア」を見た時のような、あの感覚が欲しくて、いつも求めている気がする。
100%レベルの感動だけが欲しい。
それが得られるなら、一年の半分くらいは捨てても構わない。

そのぐらいの感動って、
あんまり頻繁に出会うもんではないよね。

出会わないね。
展覧会とか行っても、いい作品が1割あればいいほうで、
感動するほどいい作品なんて、いったい何個出会えるんだろうって思う。
「G戦場ヘブンズドア」はほんとスゴいと思った。
神様に、この作者の命と私の命と、どっちか選べって言われたら、
私、迷わず死ぬよ、って思うぐらいに。

そんなにか!!

そう。そのレベルを常に求めてる。
50%の感動が10日続くよりも、100%の感動が1日欲しい。

激しいなあ。
レベルでいうとそれ、織田信長並みの激しさだよ。

戦国かい(笑)。
まあでも、100%の感動が10日続いたら、
それはそれで、神経がもたないんだろうけどね。
(2008年11月 北赤羽「もがみ邸」にて)

清水宣晶からの紹介】
のぐりんは、とても感受性の高い人だ。イルカが、人間の耳や目ではわからない信号をキャッチして様々な情報を感知しているのと同じように、のぐりんは身の回りの事柄から発せられている信号を敏感に拾い上げている。
そのベースには、天性の感覚と、画家としての経験の積み重ねということもあると思うけれど、もう一つ、のぐりんの「感動」に対する並々ならぬ渇望が、アンテナの感度を大きく増幅させているのだと思う。
はっきりとした指向性を持つそのアンテナにひっかかるものは、たしかに、何か心を揺さぶる強さを感じさせるものばかりで、のぐりんの感覚を通じて語られる世界を知るほどに、イルカの背びれにつかまって泳いでいるような、新しい昂揚を与えてもらえる。

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