森田英一

大阪生まれの大阪育ち。
株式会社シェイク 創業社長・現会長。
ジョブウェブ 取締役。

大学院卒業後、アクセンチュアにて人・組織のコンサルティングに従事。2000年にシェイク社を創業し、代表取締役社長に就任。組織風土の変革コンサルティング、人事・採用コンサルティング、企業研修、大学・専門学校の新学部・学科設立コンサルティングやカリキュラム構築支援などを行う。特に、企業研修では、自律型人材育成として、若手に対しての早期教育と、管理職や次世代リーダー層に対する新しい時代のリーダーシップ教育を中心に事業展開。
2009年9月に10期終了を節目に会長に就任。現在は、シェイク社での活動の他、20年後を見据えた次世代教育モデル創造、地域活性とグローバル化、働き方モデル創造をテーマに、各種プロジェクトをはじめている。著作に「自律力を磨け」「一流のリーダー術」「3年目社員が辞める会社 辞めない会社」等がある。ドラマー、バックパッカー。

超ゆとり教育の子供時代

(清水宣晶:) 英ちゃんが、人材育成とか
教育っていうことに関心を持ったのって、
いつ頃からなの?

(森田英一:) 自分自身のバックグラウンドを
ずーっとさかのぼって話すと、
小学校1年生の時から、
病気でほとんど学校に行ってなかったっていうことがあって。

そうだったんだ!?

毎日1個か2個プラモデル作ってたり、
好きなことしかやってない。
病院か、家にしかいないから。

小学生でその環境はスゴいね!

そういう意味では、
「超ゆとり教育」だったんだよ。

時代を先取りしてたなあ。

でも家では、TVが一日30分しかダメだったんだよね。
そうすると、何に走るかっていうと、ラジオとマンガになるんだね。

テレビはそんだけ厳しいのに、
それ以外は制限ないんだ?

そう、テレビは目と頭が悪くなる、って言われてね。

それも、随分極端な意見だけど(笑)

そういうおかしなルールがあって、
30分だと、「オレたちひょうきん族」が全部は見れないんだよね。
あの番組、最後に「ダメー!」のコーナーあるじゃない?

「ひょうきん懺悔室」ね。

そうそう。
だから、それだけは見れるように、
8時17分から47分までテレビつけてて。

ぶはははは!
懺悔室は絶対見ないといけないんだ?

そう、そこ一番の盛り上がりポイントやから、
押さえとかんと後味悪いやん?

組織を作るということ

まあ、そういうことしながら、
自分でマンガを描いたり、
小学校で学芸会とかあると、自分は行けないんだけど、
僕がシナリオを書いてる、っていうことがあったり。

家で一人でいる時間を、工夫して楽しんでたんだね。

それなりに楽しみもあるんだけど、
他のみんなが元気に学校でワーって遊んだり、塾行ったりしてるのに、
僕は家で、じっと過ごしてなきゃいけないっていう状態だったから、
今思うと、自分の中で、何かで発散したいっていう気持ちがあったんだろうなあ。
あと、勉強でも負けちゃいけないっていう気持があって。

うんうん。

中学校くらいには、5分、10分っていう分刻みのスケジュールを立てて、
風呂入る時も、全部動きを決めておいて、
湯船に入りながら頭洗って、流しながら石鹸つけて、
急いで出て、「はい、何分何秒!」みたいな感じでね。

(笑)F1のピットインみたいな忙しさだな。

で、病気の事があったから、体が弱くて、高校生の時とかでも、夜10時には寝なきゃいけなかったんだよね。
そんな中、時間があまりなかったので、
友達が「遊ぼー」とか言って、家に来ても、
予定してたスケジュールがくるうから、なんか、
遊んでて楽しくない、っていう。

ものすごいストイックさだね!

誰に言われたわけでもなく、
自分で決めてやってたんだけど。
そのぐらい窮屈な生活をしてたから、大学に入学した時、
「自由だー」っていう開放感があってね。

他の人が大学に入った時以上の開放感あるだろうね。

で、大学生活はバンドしたり、海外にバックパックいったり、国際交流サークル立ち上げて、スポンサー見つけて、イベント企画したりとかいろんなことやってたんだけど、1996年の1月1日の日経新聞をふと読んだ時に、
一面に「日本が危ない」っていう記事が出てたのがすごいインパクトだったんだよね。

元旦早々に。

「えぇー!?」と。
このまま行くと日本がすたれていく、っていうことが書いてあって、
たしかに、それを読むと、実際に起こりそうな感じがしたんだよ。
僕自身が、学校に行った時に感じてた矛盾とかとバッチリシンクロして、
なんとかせねば、と思ったんだよね。

「俺が」なんとかせねばってことだね。

そう、思い込み強いからね(笑)
で、周りの友達とかに、その問題意識を話しして。
何人か、それに対していい反応をしてくれた人たちと
「未来龍馬ネットワーク」っていうのを作ったんだよね。

その活動から、
教育とか学校改革とかに関わり始めたんだな。

僕自身が、大学生・大学院生の時に、そういう活動をしたり、
貧乏バックパック旅行をしたりで、すごく世界が広がったから、
大学生活をどう過ごすかっていうのは、すごく大事だと思ったんだね。

大学生の時に何をやるかってのは、でかいよね。

だから、大学改革を仕事としてやろうと。
で、それが出来るところはどこか、って考えた時に、
コンサルティング会社と出会った。

なるほど、なるほど。

で、就職活動の時、アクセンチュアのエントリーシートに、
「どんな会社をコンサルティングしたいですか」っていう質問に「大学」って書いて。

会社じゃなくて、いきなり大学(笑)。
そういうコンサルっていうのも、実際あるの?

実際に、入社してから、
大学のコンサルティングもやらせてもらった。
それが、今の仕事にもつながってる気がするなあ。

今シェイクでやってる、
「組織を成長させる」っていうテーマって、昔から興味あった?

昔から、組織みたいのを自分で作ることが多かったんだよね。
自分でマンガを描こう、っていう時も、
自分一人で描くんじゃなくて、放課後に家に人を集めて、
「君はここからここ10ページ描いて、君は四コママンガ描いて、
僕は巻頭特集のSFマンガね」、とかって。今考えると、俺、偉そうだな(笑)

単体の作品じゃなくて、最初っから雑誌なんだな。
そこで、自分が編集長になってるんだ?

そう、雑誌名「ボツ」っていって。
それ学校持っていって読んでたら先生に見つかってヒヤヒヤしてたら、「おお、なんや、こんなん作ったんか」って言って、印刷して全校生徒に配ったりしてくれて。

いきなり、発行部数がすごいことになってる!

中学校入ったら、生徒会で規則改正をしたり、
大学では国際交流のサークルをやったりする中で、
チームのパフォーマンスってものに、すごく興味があったんだね。
で、そういう、人・組織系のコンサルティングをやろうと思った。

ほとんど学校に行ってない時にも、
一緒に遊べる友達がいたっていうのは、大きいね。

友達にも先生にも恵まれてて、それはありがたかった。
小学校1年生の、3月3日に入院したんだけど、
それまでずっと学校に行ってなくて。

もう、学年の終わりかけの頃だね。

2年生の時には、出席日数は全然足りてなくて、
職員会議では留年決定だったんだけど、
担任の先生が「森田くんは大丈夫です」って力説して、進級させてくれて。

小学校の時に留年するっていうのは、ツラいものね。

そう、同級生に敬語なんか使われたりしたら、
結構、屈折するやん?
あの担任の先生には、ホンマに感謝してる。

環境で気持を整える

英ちゃん、服の色とか、
いつも明るい色を着たりしてるじゃない。
ああいうのは、意識してやってるの?

ただ単純に好きなのと、あとは、自分の中のセルフコントロールだね。
自分の中のスイッチが入るんだよね。
自分のバランスを保つために、使えるものは使おう、と。

変えられる部分の環境を変えて、
自分を気持をコントロールするんだな。

あと、僕は、小学生の頃は、
起きてる間じゅう、ずーっと音楽を聴いてたんだよね。
だから、それで気持ちを整えていたっていうところが大きくて。

テレビの代わりに、ラジオをずっと聴いてたんだものね。

朝起きる時は、タイマーかけて、
ロッキーのテーマで起きるようにしてたんだけど。
「パッパーパパパーパパパーパパパー」
って始まって、、(しばらく歌う)
で、「パラーパー」のタイミングで起き上がる、と。

ぎゃははははは!
そこで起き上がらなきゃダメ、っていう決まりになってるんだ?

そう、自分でそう決めてた。
あの音楽聴くと、そこで、気分的にも起きたくなるしね。

生活の中での音楽の影響、
やっぱり大きいね。

僕が音楽で最初に影響を受けたのは、
小学生の時だったんだけど、
渡辺美里の「死んでるみたいに生きたくない」っていう曲。

小学生で「死んでるみたいに生きたくない」って!(笑)

もうタイトルを聞いてガビーン!ときて。

「eyes」に入ってた曲だよね。
オレも、渡辺美里、すっごい好きだったなあ。

その少し後に「My Revolution」がヒットして、
これも、毎日のように、涙流して歌ってた。
なんか自分が情けなく思える時、
こんなんじゃねえんだ!みたいな気持で、大音量で歌うわけ。

涙流して歌ってたの?

テレビ、一日30分っていう時間制限の中でね、
「ガンダム」見てたら、親父が帰ってきて。
「はい、大相撲、大相撲」って言って、チャンネル変えるわけ。

それは!
それはツラい!(笑)

そんな時に、部屋に行って、
大音量で「My Revolution」かけて、大声で歌って(笑)

やっぱり、昔っから音楽がすごく大きな存在だったんだな。

僕は、音楽がなかったら、
極端なことを言ったら、自殺してたかもしれないね。

そうだったんだ?

共感してくれるものとか、自分の気持とつながっているものが見つからなかった時、歌で、「こういう風に思ってる人が、他にもいるんだ」っていうのを知ることで、すごく救われた。

小学生でそういう風に考えてたってのは、
ずいぶん早熟だなあ。

まあ、ヒマやったからってのもあるけどね(笑)。
他に娯楽ないからね。
(2010年1月 恵比寿「つばめグリル」にて)


清水宣晶からの紹介】
英ちゃんは、いつも真正面から話しをしてくれる。どんな話題で話しをしようが、こっちの左手がビリビリと痺れるぐらいの豪速球をド真ん中に投げてくる。腰を据えて「語り合い」をするのに、これほどに手応え十分な話し相手というのは、そうそう見つかるものじゃない。

英ちゃんは、何事をやるにも一所懸命で真剣だ。「そこまでやるか!」と思わせるぐらいに前のめりな勢いで、あらゆることに本気で取り組む。明治維新の時に生まれていれば、勢い余ってうっかり蛤御門の変あたりで殉死してしまっていそうな純粋さを、今なお持ち続けているのだ。

だから、彼の語る言葉というのは、実際の体当たりでの行動と体験に裏打ちされたことが多く、それだけにものすごく説得力がある。新しい環境に接すれば、そこから多くのことを学び、逆境が与えられれば更に多くのことを吸収するのが森田英一という男だ。
この先も、常に新しい境地を切り拓き続けることで、また次なる「そこまでやるか!」を見せてくれるだろうと思う。

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