石倉美穂

自分の中の三本柱は 【自然】【art】【旅】

カメラを持って外に出れば、自然とふれあう旅になる。


宙 sola の写真を撮りました
http://www.solatoy.jp/
(2008年4月 淡路町にて)

目に見えない蓄積

(清水宣晶:) 美穂ちゃんの、これまでの人生って、
大学に進む前に少し寄り道をしたり、色々な紆余曲折があって面白いね。

(石倉美穂:) でも、今の自分の年の4年間のズレって、すごく大きいような気がすることが、たまにある。
同じ年の人と比べて、社会人の経験が少ないとも思うし。

20代だとそうかも知れないけど、30歳を過ぎたりしたら4年くらいの差は全然関係ないんじゃないかって思うよ。
逆にその、回り道をしてきたことがタメになるように思う。

最近、友達の絵描きの人から聞いた話しで、なるほどって思ったんだけど、
もし今、家に泥棒が入ったとしても、お金もそんなにないし、持って行かれて困るものは何もないって言うのね。個人情報が漏れることにもなんの恐怖もないって。
本を読んだり、絵を描いたり、日々してることってのは自分の中に蓄積されてて、それは誰にも持っていかれることはないからって。

すごいよくわかるよ、その話!

それは、私になかった視点だったから、新しい気づきだったな。

目に見えない蓄積って、今までに結構たまってると思う?

たぶん、たまってはいるんだけど、
今まで色々と十分経験してるのに、まだまだ勉強とか経験が足りないってついもっと求めようとしちゃう。蓄積されているものを見直すっていうことをしないとって思う。

そうか。

最近は、過度の情報を入れることを体が拒否していて。
テレビとか新聞みたいに、勝手に入ってくる情報をなるべく排除して、自分で選択するようにしたいって思ってる。

うんうん。
自分で選択するとなると、本が向いてるかな?

本もさ、人に勧められた本って、参考になるしありがたいんだけど、
自分のタイミングや関心と合ってないと、結局読まなかったりするじゃない?

あるね、そういうこと。

だから、いいと思ったものは、借りずに自分で買うようにしてる。

そうだよね。
人に勧められた本ってのも、いい本である可能性は結構高いけどさ、
本屋に入って、何万冊もある中で、ふと手に取った本ってのもすごい縁だと思うし、それは自分にとって重要な本に違いないって思うよ。

世界の日常生活を知りたい

今、派遣で働いててさ、週5日出社をしなくちゃいけないってことを、時間的に窮屈に感じてて。
せめて週に3日ぐらいだといいなって思ってる。
でも、今の状態を選んでるのも自分で、本当は、望む生活しようと思えば出来るはずなんだよね。

もしさ、収入とかを気にせずに、自分の好きなことが好きなだけ出来るとしたら何をする?

私は、特別な時間の過ごし方よりも、日常的な時間の中に本当の生活があると思っていて。

日常的な時間って、どういう時間?

たとえばパラサイヨで毎年、CMSP(フィリピンの孤児院)にみんなで行くじゃない。
ああやってみんなで行くのも楽しいんだけど、そのこと自体が特別すぎて、非日常になっちゃうんだよね。

あれだけの人数がいっぺんに行くと、一大イベントになるから、どうしても日常生活とは違ってしまうよなあ。

で、この前は、日常の風景を見たいっていう気持ちで、個人的にCMSPに行って。
パラサイヨのツアーだと、時間が限られているから、ホテルと孤児院の往復だけになるんだけど、その周りの人たちの生活っていうのも知りたかったのね。

それで、一人でフィリピンに行ってきたのか。

そういうことに興味があるから、
もし今、何も制約がないとしたら、自分の目で現場を見てまわりたいっていう気持ちがある。

わかるわかる。
オレも、旅行って好きなんだけど、エッフェル塔みたいな観光地ってまったく興味なくてさ。
やっぱり、現地の人と同じ生活を一緒にするのが一番楽しいって思うな。

今、もが(もがみたかふみ)も新婚旅行で世界一周行ってるけど、私は、どっちかというと船で周るよりも、バックパッカーになって自分の足で世界を歩いてみたい。

おぉ!?
バックパッカー?

そう、でも実際にはまだ出来てなくて。
言い訳っぽくなるんだけど、自分が男だったら、きっといろんな場所に一人で行ってると思う。

女の子だと、一人でアジアとか南米は、さすがに危ないよな。

前に、もりりん(森村隆行)に、フィリピンのスラム街に連れてってもらったことはあった。
もりりんがもう10年以上行き続けてる場所があって、そういう現場を知りたくて、お願いして連れていってもらった。
別にそういう場所に限らないんだけど、普通の人の日常を知りたいっていう興味はすごくある。

生きがいを感じられる場所

普段、メディアから完全に遮断された状態って、あまりないじゃない。
そういうものから遮断された環境ってどんな感じだろうって思う。

山小屋みたいに、テレビや電気がないところってことだよね。

そう、無いと無いなりに、発想も生まれるじゃない?
都会にいると何もないっていうことがなくて、どれを選んでいいかわからないくらい選択肢がいっぱいあって、想像力がなくなっていく感じがする。
生きてるんだけど、生きるっていう行為を目的としてはいない気がして。

毎日が、惰性になっちゃうもんな。
普通に暮らしてても、退屈しないし、何も考えなくても結構生きていけてしまうからね。

無人島だったら、「生きる」っていうことをまず考えるでしょ。
日本に居ても、山に行くとそれに近い状態になるじゃない。
最近、そういうのにも興味が湧いてきてる。
単純に、自然の中にいるのも気持ちがいいし。

生きる実感を感じにくいのって、今の日本だと、分業化されすぎちゃって、自分のやってることが全体の中でどの役割なのかってのが、よくわかんないからなんだろうな。

そういうのがわかったら、モチベーションも上がるし、
生きがいを感じることも出来るだろうね。

美穂ちゃんが求めてるのは、そういうものかもな。
自分の生きていることの意味とか、「私は何のためにこれをやってるの?」っていうところを、すごく大事にしてる気がするよ。

そうだね。
それも、あんまり頭で分析したものじゃなくて、シンプルな衝動として、かきたてられるものってあるでしょ?そういうものに従って動きたい。

本能的に、充実感を感じないことをやりたくない気持ちがあるんだろうね。
自分に合わないって思う場所に自分がいることは、よくある?

集団行動の中には時々、納得がいかない習慣とか固定観念ってのはあるかな。
人と生きていくには大事なことなんだけど。

よく考えると、何のためにあるのかわからないルールとかね。

そう。
で、自分の中にもやっぱり、勝手に作り上げてる固定観念はあると思う。
そういうものから、自分を解放したいっていう気持ちはあるね。
(2008年4月 淡路町にて)

清水宣晶からの紹介】
美穂ちゃんは、健やかな人だ。
自分にとって何が必要で、何か必要でないかを直感的に理解していて、他の誰が何と言おうと、その感覚を信じるといった明確さがある。食べ物のことや身体のこと、から始まって、働き方や暮らし方にいたるまで、こう在りたい、というイメージを持っている。

それは、いま風の言葉で言えばロハスというスタイルに近いものだけれど、もともと彼女自身の感覚が「良い」と感じていたものに、世の中の多くの人が気づき始めた、という順番なのだと思う。

美穂ちゃんがカメラを構えて写真を撮っている姿には、自立した個人のカッコよさがある。世界をまわって、その生活をつぶさに見ることが出来るのであれば、それはとても彼女にふさわしい在り方だろうと思った。

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