野口恒生

1954 昭和29年 生まれ
会社員、OFFに詩を書きます。
自身の言葉を裏打ちする力を身に付けたくて力仕事他、色々な仕事に就いてきました。中でも、2度、計16年の書店員生活は、大きなウエイトを占めています。

「本の頁を、大事そうにめくる」 と言われて何だか
嬉しかったことがあります。

本も映画も大好きで、贔屓の引き倒しではありませんが、それは決してバーチャルの絵空事というだけでなく、直接体験に近いと思っています。
書物は、時に培われた、ひとの叡知であり、結晶です。

ワタシは読書会の縁から、このインタビューに拾って頂きましたが、お伝えしたいのは、こんなに素晴らしい作品があるよ、と唯そのことばかりです。

人生は、動き始めたコースターのように、思いのほか、あっという間です。
ゾルバではありませんが、楽しんでください!
生きて今いるのです、あまりに惜しい日々を。

60年代の東京

(清水宣晶:) 野口さんが昔に読んでいたと言っていた、
樹村みのりの本、
最近になって新装版が出てたので、差し上げます。

(野口恒生:) へえぇ!文庫になって、出てるんだね。
代わりといっちゃなんだけど、
来る途中、馬券を買ってきたので、どうぞ。

100円で、当たると15,000円ぐらいになる。

おお!
ありがとうございます。
あれ?なんか、今の時期って、
大きいレースがなかったでしたっけ?

それは、明日の有馬記念。
有馬記念は、だいたい強い馬が順当に勝つんだけど、
これは、大障害だから、落ちる馬がいたりして、
いつも荒れる。

何時にレースの結果がわかるんですか?

14時くらいかな。

あ、じゃあ、
話してる途中で、わかりますね。
あとで結果を見てみましょう。
野口さんて、もともと、
東京の出身なんですか?

実家は、恵比寿。
ガーデンプレイスのすぐ脇に小学校があるんだけど、
そこが地元の小学校。

そうだったんですか!
ガーデンプレイスの場所って、
昔は、サッポロのビール工場でしたよね?

そう、だから、
工場の柵を乗り越えて、カルピスやサイダーの付録についてた
小さいオマケなんかを拾い集めたりしてたよ。
あの近辺は、全部遊び場だった。

ちょうど、10代の頃と、
日本の高度成長期が重なってたっていうのは、
かなり楽しかったんじゃないですか?

そうだね。
オリンピックも、電柱に登って、
飛行機が五輪の輪を描くのを見たし、
僕が高校生の頃に、
渋谷にPARCOが出来たりしてね。

ものすごい面白い時代ですね。
しかも、自分の住んでるすぐ近所で、
それが起こっているっていう。

小学校の2年生ぐらいの時に、
初代の「007」が封切りになって、
映画館のまわりを大人の男の人達が
十重二十重に列をなして並んで、
みんな立ち見で観てたんだよね。

ディズニーランドみたいですね。

その頃は、タバコが映画館の中で吸えたから、
煙の中に、映像の光が映ってたりしてね。

(笑)映画館に煙が立ち込めてるってのはスゴい。
小学生の頃から、映画は観に行ってたんですか?

そう、親と姉と一緒に、家族4人でね。
3本立てくらいで上映をしてるんだけど、
途中、子どもに見せられない映画があると、
そういう時は、ロビーに出させられて、待ってるんだよ。
「なんで、外に出てなきゃいけないんだろう?」って
不思議だったけどね。

入れ替え制じゃないから、続けて観られるんですね。

2周観る人もいるから、
そういう人は、計6回観てるわけだよね。
一日中映画館いたり、寝てる人も結構いるし。
僕は、英語のヒアリングの勉強のために、
ノートとペンライトを持ち込んだりしてた。

野口さん、映画も、
昔の名作をたくさん知ってますよね。

中学2年の終わりぐらいの時から、
僕、テレビのエキストラに出るっていう仕事をしてて。
時代劇なんかで後ろにいる「その他大勢」みたいなやつね。
「網走番外地」なんかにも、出たりしてたよ。

そんな仕事をやってたんですか。

そのうち、必要なエキストラを探すことも頼まれるようになって、
高校生の時には、人を集める元締めみたいなことをやってた。
銀座に行って「エメロン」てCM に髪の長い女の人を集めたり、
高校の先生からも、「俺も出させてくれよ」なんて言われて。

面白そうな仕事ですね。

その頃は、出演料の他に、人集めの給料ももらってたから、
高いコート買ったりなんかして、羽振りよかったね。

その仕事はずっと続けてたんですか?

高校2年の頃に、その、会社の人が、
よっぽど急いで人を集めたかったみたいで、
おふくろが家で長電話してる最中に、交換手に頼んで、
「息子さんが交通事故に遭いましたので電話を切ってお待ちください」
って嘘言って、連絡を取ってきたんだよね。
それで、親父が怒っちゃって。
そこから縁を切ることになった。

(笑)連絡を取りたいからっていうだけで、
ものすごい嘘つきますね!

そういう世界だったんだよ。

本と詩への入口

野口さんが、本を読み始めたってのは、
いつぐらいからだったんですか?

高校の同級生で、結構真面目で頭が良かった友達が、
奈良に引っ越しちゃって。
その後しばらく、手紙のやりとりをしてて、
「野口、あの本読んだ?これは読んだ?」って聞いてくるんだけど、
その頃、マンガしか読んでなかったから、全然わからないんだよね。
それが癪だったから、いろんな本を読み始めて。
読書体験は、そこからだね。

最初は、友達の影響だったんですね。

もう、その頃から、
「自分は何して生きていくんだろう」みたいな、
煩悶の世界が始まっちゃって。
親からは、「小難しい本読んで、頭がおかしくなった」って言われて。
修学旅行もボイコットして、
行かなかったんだよね。

それは、なんで行かなかったんですか!?

その時は、屁理屈少年だから、
まだ勉強も修めてない学生がそんな、
旅行なんかしてていいのかって。

(笑)学生の本分は勉強だろう、と。

そのあたりから、ストイックに走っちゃったんだよね。
高校出て、一年間遊ばせてほしいって言って、
広尾の図書館に通って本を読んだりした後、
N大学を受験したんだけど、
ここが、ガチガチの右系の大学で、
倫社の作文の思想が合わないっていうことで、面接で落とされちゃった。

面接で落とされるっていうのは、キツいですね。

そう、結構がっくり来て。
じゃあ働くか、っていうことで、
紀伊國屋書店の渋谷店にアルバイトを申し込んで、
ちょうど洋書部の人が少なかったから、洋書の担当になった。

紀伊國屋書店なんて、
応募の希望者多かったんじゃないですか?

いや、その頃は、まだ全然。
アルバイト申し込んだ、その日のうちに採用が決まっちゃう
ぐらいだったからね。
洋書の、仕入れも僕が選んでやってたんだけど、
いい時代で、それが飛ぶように売れたんだよね。
仕入れた本をショーウィンドウに並べてたら、
「それください」って、すぐに買い手がついたりね。

洋書がそんなに売れるってのは、
今じゃ考えられないですね。

で、売上はかなり上がったんだけど、
その頃の僕は、「大学に行かなきゃ人間じゃない」みたいに
思い込んでて、仕事しながら受験勉強してた。
で、関西外国語大学に受かって、関西に行くんだね。

あ、仕事を辞めて、
大学に行くことにしたんですね。

さあ、色々と勉強するぞ、って思ってたところに、
外大で、しかも新しい学校だったから、
女性が6割、車で乗りつけるような坊ちゃんも多いし、
みんなで麻雀やったり遊び歩いたりしてて、
ここにいても勉強しないな、と思って、
結局、一年でやめちゃうんだね。

そうだったんですか。

その後、しばらく京都で働いてたんだけど、
東京に戻って、渋谷の花屋で働くことになって。

なんで、花屋だったんですか?

その頃、ずっと詩を書き続けてたんだけど、
花の名前もろくに知らないしで。
植物図鑑を持ちながら、花の勉強をしてたんだよね。

詩を書くためだったんですね!

お寺に納品をしに行った先で、
庭に咲いてる花を見て「あれ何ですか?」って聞いた時、
僕の顔をまじまじと見て、
「お前、グラジオラスも知らないの?」って言われて、
後で笑い話しになったけどね。

北の国へ

その頃、ウチのおふくろと朝、口喧嘩になって、
家を飛び出したことがあって。
本一冊だけ持って、恵比寿の駅前の喫茶店に行ってね。

はい。

で、持ってた本を開いたら、
お金が入った封筒が挟まってたんだよね。

それは、もしかして、
お母さんが・・

いや、そうじゃなくて、
前の日に、花屋のバイトで、
鉢植えのリース代を本店に届けることになってて、
預かってたのを忘れてたの。見た途端、
あ、北海道行こう、と。

ぶははははは!
そのお金で行っちゃったんですか!?

2万円くらいしかなかったんだけどね。
「この前は関西に行ったから、今度は北に行こう」と。
上野駅前のパチンコでお金増やし、電車でとりあえず青森まで行って。

本格的に家出ですね。

青函連絡船を待ってる時に、
警察官が、遠目でこっちをちらちら見てるんだよ。
こっちも、家出してきてるから、
「もう知れてるの?」と思って。

足がつくのが早すぎますよね。

その時持ってたのが、
みすず書房の「異常心理学講座」って本で、
もしかして、これのせいかな?と思ってたら、
近づいてきて、「どちらまで?」って聞いてきて。

うわあ・・。

「札幌に遠い親戚がいるもんで」って答えたら、
「周りを見ていただければわかると思いますけど・・」
って言うから、見たら、
まだ2月頃で、みんな厚手のコート着てるんだよね。
こっちは、ペラペラのコート1枚で手ぶらなのに。

(笑)明らかに、わけありの姿で。

青函連絡船で、海に飛び込まれると思って、
それを心配して尋ねてきたらしくてさ。

北海道には、たどり着いたんですか?

なんとかたどり着いて、花屋にも電話したら、
「お金はいいわよ。それより日報はどうしたのよっ?」
って責められたけどね。

いきなり北海道にいるんだから、
びっくりしますよね。

帯広にいた、おふくろの親戚に当座のお金を借り、
その時に紹介状を書いてもらって、
札幌に戻り新聞配達の仕事を始めてね。
最初の給料でお金を返し、花屋さんへは郵便為替で返金した。

もう、完全に、
北海道に居着くつもりだったんですね。

7畳に6人が寝泊まりしてる、
タコ部屋みたいなところに住み込みでさ。
本社から人が来た時は、会わせないように
「お前ら、ちょっとコーヒーでも飲んでこい」って、
小遣い渡されて、追い出されるんだよね。

子供扱いじゃないですか。

若気の至りで、短気だからさ。
8ヶ月ぐらいいた頃に、キレて、ケンカになって。
紹介状も書いてもらってるから、
なんとか円満に辞めたかったんだけど、ダメだった。

(笑)今では想像つかないぐらいに短気ですね。

給料日の2日前ぐらいだったから、
「給料いらないんだな」って言われたんだけど、
「そんなもんいるか」って、飛び出して、仕事を探して。

何か、次のあてがあったんですか?

新聞配達のエリアの中に、職安があったんだよ。
そこのポスターで、東芝日曜劇場みたいな
夕日をバックにシルエットで家族が写ってて、
その上に「今こそ君の出番だ」っていうのがあって。

何の募集ですか、それ!?

そのポスターだけ遠目に目立ってて、
見たら、北海道炭礦汽船の、
『炭鉱夫募集』のポスターだったんだよ。

炭鉱夫!それはスゴい。

これも何かの縁だろう、と思って、
バスに乗って、夕張まで面接に行ったんだよ。

夕張炭鉱の仕事なんですね。

で、面接した組合員の人たちに、
「炭鉱夫っていうのは、だいたい、
その土地の、祖父とか父親の代からやってるような人が多くて、
外から来た人なんてほとんどいないし、
履歴書みたかぎりでは、中退とはいえ大学行ってるわけだし、
そんなメタルの眼鏡してる人には、とても務まらないと思うよ」
って言われて。

眼鏡に文句出てるのはよくわかんないですけど。

「だいたい、引っ越してくるにしても、
夕張まで家財道具まで持ってくるの大変でしょ?」
「いや、新聞配達の住み込みで、
寝袋がひとつあるだけですから、荷物なんて無いですよ」
「え?畳の上に寝袋で寝てるの?寒くないの?」
「いや、セーターとか着れるだけ着込んで寝てますから」
って言ったら、大爆笑で。
それだけのガッツがあるなら大丈夫だろう、
ってことで採用されたんだけど。

何が気に入られるか、わからないですね。

炭鉱夫の生活

あ、レースの結果が出た。

残念、8-10-2だった。

ああ、、惜しかったですね。

炭鉱に入ってすぐの時は、
僕がいつまで持つか、って賭けの対象になってた。
他に娯楽なんかなくて、
麻雀打つか、女遊びか、競馬か、しかないから。
面白がられて、悪い先山(現場監督)なんかに当たると、
8時間ずっとこき使われて、ヘトヘトになるんだよ。

若い新入りってのが、
そもそも、珍しいんでしょうね。

炭鉱では、新入りかどうかってのは、
見ればすぐわかる。

何が違うんですか?

風呂上がりでも目の下瞼の、ピンク色のところが、
洗っても落ち切れてないからパンダみたいに黒く
縁取りになっちゃってるんだね。
これはよく洗わないととれない。サウナ行けば
皮膚呼吸してたから黒い汗が出るし。

うわあ・・。
肺の中とかも、黒くなってそう。

寮のおばさんが、炭鉱に行く前に、
アルミの弁当箱に、ご飯を詰めてくれるわけ。
炭鉱の中で、ヘッドライトで照らしながら
弁当箱を開けると、ちゃんとゴマがかかってるんだよ。
ああ、気をきかせてくれたんだな、と思ったら、
石炭の粉がどんどん降ってきてたんだよね。

ぶはははは!
それは、でも、
確実に体を壊しそうですね。

そこで働いてた人なんかも、
「野口、お前はまだ若いんだから、見るべきものだけ見たら、
早いこと、この仕事は辞めたほうがいい」って、
いろんな人が言ってくれた。

事故なんかも、よくありましたか?

あったね。
天盤が崩落する時なんかは、
僕らは全然気がつかなかったんだけど、
ズリ(石)が、コトコトって少しずつ落ちるんだよ。
それを先山(現場監督)が見て、
血相変えて「避難!避難!」って叫んでるから、
急いで逃げたら、僕たちがいたところに、
岩が、ガラガラッて落ちてきて。

うわー・・。

で、深くなると、ガスも突出するから。
ガスっていっても、
家のガス栓ひねって出てくるようなものじゃなくて。

そうなんでしょうね。
あんな、加工されたものじゃない、
ナマのガスなんだから。

研修で、ガスについての講義を受けた時、
炭鉱夫がご飯食べてる時に、
そのままの格好で死んじゃってる写真なんかあってね。

えええ!?
そんなに一瞬で死ぬんですか?

そう、爆風だから瞬間に死んじゃう。

ガスくさいとか言ってるようなレベルじゃないですね。

ガスの警報機なんかもあるんだけど、
それが結構、ピッピピッピ、鳴るんですよ。

ひゃああああ!

でも、みんな平気で仕事してるんだよね。
そんなんで止めたら仕事になんない、って。
僕なんかは、機械を信じてるから、
「警報機鳴ってるのに!」って、ヒヤヒヤしてて。

そうですよね。

トロ(トロッコ)のレールの枕木に杭なんか打つ時に、
火花が散ったりするからさ、
「よくやれるな」とか思いながら。
まあ、そのうち慣れちゃうんだけどね。

いつか爆発しますよね。

だから、その分、
仕事が終わって、地上に上がった時の充実感はスゴいけどね。

「今日もまた生き延びた」っていう。

そう、暗い穴から出てきて、太陽を見ると、
ほんと、「還ってきた!生きてる!」っていう気持ちになる。

真っ暗な坑道の中で、ライトの電池が切れたら、
そうとう怖いでしょうね。

その対処も教わるんだけど、
万が一、炭鉱の中で迷って、
ライトが消えちゃったような時は、
枕木の杭を触ると、ハの字の形に打ってるから、
出口の方向がわかるようになってるんだよね。

ああ!
なるほど、そういう工夫があるんですか。

慣れてくると、風の吹く方向でも、
どっちが出口かってのはわかるようになるし。
だから、トイレの時なんかは、必ず風下に行くんだよね。
新入りが、どこでも一緒だろうと思って、
風上でやったりなんかすると、
「バカヤロー!」って怒られたりなんかしてて。

ぶははははは!
ほんと、炭鉱独特のしきたりとか、
文化がいろいろあるんですね。

いい経験でしたけどね。
ダイナマイトを爆破する時の快感とかね。
ほんとに気持ちいいんだよ。
ズズーン!てお腹に響くの。
あれはもう、忘れられない。

南の国へ

炭鉱では、
どのぐらい働いてたんですか?

7ヶ月ぐらいいたのかな。
手付け金で、すぐ10万円をくれるんですよ。
1年間いたら返さなくてもよかったんだけど、
仕事がキツいから、若い人はどんどん辞めちゃうんだよ。
で、さすがに寒いし、寂しくなってきて、
同じ寮のやつが南のほうに行くっていうから、
じゃ、一緒に、って辞めた。

どこまで南に行ったんです?

最終的には四国まで行くんだけど、
台風がひどい年でさ、あちこちで足止めをくいながら、
途中で野宿したりしてね。

はい。

高知の桂浜で野宿した時があったんだけど、
そしたら、蚊って、
暑い時には砂の中に入ってるんだよね。
だから、寝てたら、ものすごい量の蚊が湧いてきて。

蚊って、砂の中に潜るんですか!

こりゃもう、とても外で寝てられないっていうんで、
公園で拾った新聞で仕事の募集を探して、
喫茶店で、住み込みのバイトを始めてね。

そこでまた働くんですね。

そこは、一日14時間ぐらい働いて、
片道30分くらいの場所にある社長の家から通ってるから、
ほとんど時間がなかったよね。
その仕事の合間に、四国をまわって、
その後は、長崎を中心に九州を全部見て、
山陰、山陽を通りながら東京に戻ることにして。

ほんとに、日本全国を渡り歩いてますね。

東京に戻ってきた時には、
出てから3年半ぐらい経ってたね。

長い家出だったですね!

振り返ってみると、
肉体的には、炭鉱が一番キツかったし、
環境的には、新聞配達のタコ部屋がひどくて、
拘束時間としては、喫茶店の時は一日中働きっぱなしで。
それぞれの時代でキツさの種類は違ったんだけど、
でも、いつも、本だけは読んでたんだよね。

ああ、、そんな中でも、
読書はしてたんですね。

キツいならキツいなりに、密度濃く読んでたんだね。
「その男ゾルバ」は、僕にとって一番大事な本なんだけど、

それは、炭鉱の仕事をやめて、南のほうへ行く途中に
読んだんだよね。

そうか、「ゾルバ」は、
そういう時に読んだ本だったんですか。

それまでは、
「これを取ったら、こっちは切り捨てなきゃダメだ」
っていう感じで、ストイックに生きてきたんだけど、
もっと自然に、自由に生きていいんだ、ってことが、
染みこむように自分の中に入ってきたんだよね。

ちょうど、ぴったりのタイミングで、
自分に必要な本に出会ったんですね。

電車でずっと移動してきて、高知にたどり着いて、
公園のベンチに座って最後のページを読んだ時のことは、
今でもよく覚えてる。
あれは、忘れられない景色だよ。
(2011年12月 新横浜「BRASSERIE LA CLASSE」にて)


【ヒトゴトへの一言(野口恒生)】
貴重な機会でした。
読んでくださる方々へも感謝の思いです。
1冊の書物がココロの領域、音域を拡げてくれます。
どうぞ素敵な出会いを!
ありがとうございました。

清水宣晶からの紹介】
野口さんは、どちらかというと父親に近いぐらいに年が離れているのだけれども、とても感性が若くて、話していてほとんどギャップを感じることがない。
経験豊富で、いろいろなことを知っているというだけではなく、それを詩的に表現出来る、繊細な感性を持っている。

野口さんとは、読書というつながりで出会い、会うたびにたくさんの本や映画の話しを聞かせていただいた。その語り口はいつも熱を帯びていて、その作品たちを心の底から愛しんでいるんだろうということが、はっきりと伝わってくる。

以前、「その男ゾルバ」という、ギリシャの作家カザンザキスの小説を勧められて読んだことがある。今は絶版になっていて、図書館で借りたその本を読んだ時は、時代を超えた普遍的な面白さを感じたのだけれど、今回、野口さんの青春時代の話しを聞いて、さらに理解が深まった気がする。

この小説は、主人公のゾルバという炭鉱夫が、過酷な環境や運命にさらされながらも、精神的な自由とユーモアを失わずに生きぬいた話しだ。この本をきっと、野口さんは、自分自身の体験に照らして、乾いた土に雨が染みこむように吸収したのだろう。
そういう、みずからの血肉となるような読書体験を積み重ねているからこそ、野口さんの感性はずっと若々しいままなのだと思う。

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