紺野大輝

1976年北海道出身。
脳性麻痺という障害を持って生まれ、医者から「この子は一生歩けない」と言われるが、4年間の入院生活を経て歩けるようになり、幼稚園より普通学級で生活を送る。

旅が好きで、小学2年より一人で旅に出るようになる。大学在学時に「国内旅行業務取扱主任者」「一般旅行業務取扱主任者」を取得し、卒業後、都内のホテルにて5年間勤務。
 
高校時代に45キロ校内マラソンを完走したことが無かったことから、20歳のときに時間制限の無いホノルルマラソンに挑戦する。12時間の死闘の末、あと2キロのところで無念のリタイア。2008年12月にホノルルマラソンに再挑戦し11時間で完走。その様子は、2009年11月公開映画「天国はつくるものpart2」(監督:てんつくマン)に収録される。

現在、「CLUB 奇跡の連鎖」代表。また、「挑戦する喜び」をテーマに全国を講演している。

自分のことを話す才能

(清水宣晶:) さて、、コンちゃん、
ホノルルマラソンのこと話したいんじゃないかと思うけど、
今日はそのことは、あえて聞かないからね。

(紺野大輝:) ええーー、そうなの?

もう、それ、何十回も話してるでしょ。
だから、その話しはスラスラと出てくると思うんだけど、
それじゃ面白くないから、そこは外していきたい。

うん。
それは、想定の範囲内だから大丈夫。

(笑)あ、想定してた!?
なんかね、今までに話したことないようなことを聞きたいんだよ。
コンちゃん自身も、「これは今、初めて気づいた」っていうようなこと。

いいよー、いいよー!
なんか楽しくなってきた。

オレが一番興味あるのは、
その「話す才能」なんだよ。
コンちゃんは、「自分について話す」ことにかけて、
確実に天性の素質があるからね。

んー、、まず、昔から、
目立ちたがり屋だったっていうのはあると思う。

あー、なるほど!
それは大きな資質だよ。

小学校の時も、当選しないくせに
学級委員とか生徒会とかに立候補して毎回落ちる、とか。

それは、なかなかツラいね。

それでまた、いじられて喜んでる、とか。

ぶはははは!
喜んでるんだ!
いいキャラだなあ。

あと、ステージ上がるのが好きだった。
小学校の修学旅行でも、夕食の時にマイク持って「浪花節だよ人生は」を歌ったり。

そういう感じだったのか!
その性格って、どこから形づくられたんだろうね。

生れてから4歳の時まで、ずっと入院生活だったからさ、
それは大きかったんじゃないかと思う。
親が横にいるのって平日の日中だけで、夕方の5時には帰っちゃってたから。

じゃ、夜は一人だったんだ?

夜になると、ベッドがズラーっと並べられてるところに、
ポツン、と自分だけだったりしたみたい。

0歳から4歳の間にその環境は寂しかっただろうなあ。
「僕はここに居るよ!」ってことを伝えたくなるだろうね。

かもしれないよね。
だから、自分の存在をアピールしたかったのかも。
あっ!今気づいた。

さっそく!
早くも、気づきが出たよ!?

(笑)出た出た!

いやー、いいよ、これ。
紺野大輝のベールが今、本邦初で明かされている感じがたまらないよ。

遅れてきた反抗期

その後、中学・高校の時ってどうだった?

その頃は、すごいガリ勉君だった。
母親がすごく厳しくて、とにかく勉強をしろって言われ続けてたね。

そうか、そういえば、お母さんは、
コンちゃんに公務員になって欲しかったって言ってたっけ?

そう。
だから、勉強はちゃんとさせたかったみたいで。
障害者の子供は、反抗期が来ない、って言われてるんだけど。

それは、どうして?

障害を持った子供の親って、それを自分のせいだと感じて、
必要以上に構い過ぎてしまって、ずっと抑えつけてしまうことが多いみたい。

なるほどなあ。
コンちゃんの場合、反抗期はどうだったの?

中学・高校はおとなしくしてて、
その反動で、大学にきて爆発した。

(笑)大学生で!
遅れてやってきた反抗期だね。
高校卒業したら、家、出てってやるぞ的な意気込みだった?

それが、ウチの親は変わっててさ。
大学は、「何かあってもすぐに親が行けないよう、北海道から離れること」っていう条件で。

どういうこと!?
自立させたいっていう親心だったのかな?

そう。
だから、東京の大学を受験しなきゃいけないっていう流れになって。

それはいい話しだなあ。
そのために、それまでの間、厳しく育てたんだね。

東京の私立を受験することにはなったんだけど、
「道内の簡単なところでいいから、国立大学の合格証書だけは取っておいて」
って言われて、そっちも受験することになって。

行かなくていいから合格だけしときなさい、って?
それも、面白いね(笑)。

謎でしょ?
でも、それも逆らえなかったから、
合格だけして、結局は東京に行くことになったんだけど。

ビギナーズラックの罠

大学入って、東京に出てきてみたら、どうだった?

田舎者だから、大学は、人が多くてなかなか馴染めなくて。
しかも、工学部だから男ばっかりでさ。

そうか、理系の学部だったのか。
サークルは何かやってた?

オリエンテーリング。

なんでそんな、野山系に行っちゃったの?

何でだったんだろう?
女子大と合同だったからかもしれない。

そんなサークル、いくらでもあるでしょう。

そうだよね・・
そこも、当時、酒が飲めなかったこともあって、
だんだん足が遠のいて、あんまり学校行かなくなって。

うんうん。

前期のテストが終わった時、それがもう全然ダメでさ。
「今まで真面目人生送ってきたから、ハジケちゃおっかなー」って思って、、
それでパチンコ屋行っちゃったんだよ。

ぎゃははははは!
いいね!いいねえ!!

そしたら、いきなり20連チャンていうのになって。
初めてでよくわからなかったから、まあ、大した金にはならないだろうと思ってたら、
3,000円が、85,000円になっちゃったんだよ。

まさにビギナーズラックだなあ。
典型的な落とし穴に、見事にハマってるね。

次の日行って20,000円負けて、また次の日20,000円負けて、
でも、次の日は5,000円ぐらい勝つんだよね。
それからどうなるかは、わかるでしょ?

いや、もうコワいぐらいに、わかりやすすぎるよ(笑)。

それまで真面目君だったから、
もらったお年玉とかも貯めてたし、大学入学のお祝い金とかもそのまま持ってたんだけど、
それも全部つぎ込むことになって。

熱い!!

そうしたら、大学辞めたくなって。
夏休み明け、学校に一ヶ月行かなかったら、親に連絡がいって、
学校の関係者とかがアパートに来るようになって。

いろいろ巻き込んでるなあ。

「やっぱ、親がすぐに来れない場所にいてよかったよ」と思って。

んー、まあ、お母さんも、
そういう事態を見越して言ったわけじゃないと思うけどね(笑)。

結局、大学卒業するまでそれが続いて、
仕送りも尽きてもう米だけ、ってことがよくあったよ。

でも、それ、今となってはいい思い出だね。

それやってたから、今、
バランスが取れて、そっち(ギャンブル)に行かないってのはあるかもしれない。

そうだよなあ。
社会人になってからハマったら、それこそ大変なことになるよ。
(2010年1月 自由が丘にて)


清水宣晶からの紹介】
コンちゃんが話しを始めると、みんながシンとなってそれに聞き入って、あっという間にその場全体が、一つにまとまるという場面を、何度も見たことがある。札幌のイベントで開会の挨拶をした時は、話し始めて1分後に、目の前にいた見知らぬ女性が泣き崩れたのだという。
コンちゃんは悲しい話しをする時には、本当に心の底から悲しい気持ちになって話しをするので、場の空気がはっきりと動くのだ。
この、感情の容量の大きさは、話し手として稀有の才能だと思う。

コンちゃんは、失敗談を明るく語っている時に最も魅力的な面があらわれるので、今回はダメな面をたくさん聞かせてもらったけれど、実際には、待ち合わせには絶対に遅れないし、言った約束は必ず守るし、ものすごくキチンとした男だ。
そういう彼が、一つ一つのことに真剣に取り組んできたからこそ、そこから生まれた数々のエピソードには、多くの人の心を動かす力があるのだと思う。

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