山本慎弥


1977年生まれ。98年に北区王子「restaurant Bar 狐の木」の立ち上げメンバーに入る。
2000年より街のレストランで修業を開始し、2003年11月~2005年11月まで2年間をイタリアにて過ごす。
帰国直後から7年間勤めたレストランを昨年末で退職し、現在はホテルで勤務する傍ら、イタリア菓子を製造・販売する会社の立ち上げ準備中。

火が通る刹那の瞬間

(清水宣晶:) 慎弥くんが、「狐の木」
(※1998年~2000年、北区王子にあったRestaurant Bar。
サロンのような、当時20代を中心とした若者が集う場所だった)

のキッチンに入ったきっかけって、何だったの?

(山本慎弥:) 「狐の木」がオープンする直前の時期、
まどか(辰野まどか)ちゃんに、
「料理を作れる人がいなくて、このままだと、
食べ物が乾き物だけになっちゃうんです!手伝ってくれませんか?」
って言われたんです。

うんうん。


そこで、孝治さん(佐藤孝治・「狐の木」オーナー)と、
烈(藤沢烈・「狐の木」初代店長)に会って話をして、
働かせてもらうことになって。

その前には、
料理を作った経験はあったの?

池袋のパスタ屋でアルバイトはやってたんですよ。
今考えると、とても低いレベルの経験しかなかったんですけど。
そのレベルで新規オープンの料理メニューを引き受けたっていうのは、
非常に申し訳ない話だったなと自覚してます。
ただ、全力でした、としか言いようがない。

ぶはははは!
でも、そのままプロの料理人になったんだから、
ほんと、本気だったってことだよね。
メニューは、イタリアンがメインだった?

スパゲッティがメイン料理でしたね。
それしか作れなかったですし・・・。
まだその頃って、日本でスパゲッティって言ったら、
広く知られているのはナポリタンとミートソースくらいだった
時代なんですよ。

え!?
そんな時代、あったの?
でもそういえば・・子どもの頃って、
それ以外、食べたことなかったかも。

なんでそれを覚えているかっていうと、当時、
フジテレビの「ワーズワースの冒険」っていう番組で、
ニンニクとオリーブオイルだけで作るパスタがあるらしい、
って特集をやってたんですよ。

その時は、まだ、
ペペロンチーノが珍しい食べ物だったんだ?


そう、
カルボナーラも、まだあまり知られてなくて。
あ、こんな料理があるんだ、って思って、
高校3年生の時、自分でパスタをいろいろ試しながら
作ってるうちに面白いって思って、
大学生でパスタ屋で働いたのが、最初ですね。

その時から、料理は好きだったんだね。
料理に興味を持ったのって、
たとえば、お母さんが料理が好きだったとか、
そういう環境的な要素もあった?

母は、まあ、出来合いのものじゃなくて、
ちゃんとした料理を作る人ではあったんですけれど、
影響を与えられたのはその部分じゃなくて。
小2の時に、母が、通っていた美容院の美容師さんから、
「面白いマンガがあるらしい」と聞きつけてきたんですよ。

ほうほう。

それで買ってきたのが「美味しんぼ」で。
当時は、まだ4巻までしか出てなかったんですよ。


初期の「美味しんぼ」って、
まだ、カバーの背表紙が金色で統一されてなくて、
水色とか紫とか、カラフルだったよね。

(笑)そうでした。
グルメブームが始まる手前ぐらいの時だったですね。
やたら字が多いマンガでしたけど、
それが面白くて、自分でも作ってみたり、
料理番組を録画して、コマ送りで見ながら、
オムレツはこうやって巻くんだみたいなことを勉強したり。

それは、やっぱり、
かなり好きだったんだなあ。

まあ、今考えると、
単に食いしん坊っていうことなんです。
美味しいものをいつも食べていたい、っていう。

自分で上手に作れれば、
毎日、美味しいものを食べられるからね。

そう。
始めた理由も、きっかけも、
思い出してみると、単純なことでした。


そういえば、オレがカルボナーラを初めて知ったのって、
「美味しんぼ」を読んでだったよ。
海原雄山が、店に入って、いきなり、
「カルボナーラを作ってみろ」って言うんだよね。
それで店のレベルがわかる、とか言って。

僕もあのエピソードはよく覚えていて、
卵黄と生クリームで作るパスタがあるんだ、
っていうのを知って、
「狐の木」のメニューに入れてみたりしたんです。

あ、そうだったんだね。
じゃあ、それも、卵黄だけを使うレシピだった?

当時の作り方は、そうだったです。
今だったら、その後の勉強もあって、
全卵で作るカルボナーラこそが起源じゃん、って思うんですけど。

そういえば、この前、千秋(千秋毅将)が言ってたけど、
慎弥くんが、ありあわせの材料を使って、
その場でサッと作ったパスタが、
今まで食べた料理の中で一番旨かった、って絶賛してたね。

あれは、ありがたいと思いながら聞いてました。
スパゲッティを美味しく作るのって、
パスタをどう茹でるのがベストかを、どこまで突き詰めているか、
っていうことに尽きると思うんですよ。

うんうん。

よく、一般的に、茹で方は
「アルデンテがいい」って言われてるんですけど、
じゃあ本当にアルデンテがベストなのかって言ったら、
そこは、職業として料理人をやるからには、
自分なりに突き詰めて考えて、自分なりの答えを
持っておいたほうがいい部分なんです。


おおお!
そうなんだね。

「パスタの芯が、髪の毛一本分残った状態」がいい、
とかって言われますけど、じゃあご飯で考えた時、
芯が残った状態よりも、中までちゃんと火が通って、
ふっくらと炊き上がった状態のほうが旨いっていうのは、
みんな、体感として知ってるわけです。

たしかに、
芯が残ってる米は、旨くないね。

同じ穀物だから、本来、パスタも原理は同じだと思っていて、
ちゃんと中の中心部分まで火を通すと、
小麦の香りが立つんですよ。
でも、その瞬間って、ものすごく刹那的なんです。

(笑)それ、熱いなあ。
まだ通らない!
まだ通らない!
今通った!
みたいな勝負なわけだね。


見た目では違いはわからないんですけど、
実際に食べてみると、
そういうことを考えて作っているかどうかがわかるんです。
そこをちゃんと作れたパスタだったから、
千秋は美味しいって言ってくれたんだと思います。

「どこにでもある材料で、ありきたりのメニューを作ってるのに、
なんでこんなに美味しいんだろう」って言われるのは、
料理人としては、最高の賛辞だよね。

それは嬉しいですね。
その違いが生まれるのは、チェック項目がいくつあるか、
っていうことによるんだと思っていて、
一番シンプルなパスタでも、
美味しく作るためのチェックポイントっていうのは、
最低10項目ぐらいはあると思うんです。

それを、何項目クリアしてるかで、
同じパスタを作っても美味しさが変わってくる、
っていうことかな。

何項目クリアしているかということもあるし、
その項目が、いくつに細分化されているかっていうことで、
出来上がるものが変わってくるんです。

ははあ、、なるほど。

一般の主婦の人が、
チェック項目を3つだけ持ってるとしたら、
料理の本の説明では、それが5つ~7つくらいあるわけです。
実践でやってると、プラスαで10項目ぐらいになるんですけど、
それが20項目までいくためには、
かなり意識して作っていないとダメなんです。


料理を作る段階をどれだけ詳細に考えてるかの、
網目の細かさっていうことだね。

肉を焼いてから煮るのか、最初から煮ちゃうのか、とか、
塩をいつ入れるのか、っていうことで分岐があるんですけど、
そのひとつひとつに、これは、こういう理由でこうする、
って考えていって、項目を増やしていくものだと思うんです。

なるほど。
その違いの積み重ねで、見た目は同じ料理でも、
味が全然変わってくるんだね。

イタリアで料理を作るということ

慎弥くんがイタリアで修行してた時は、
行く前に、働くお店は決まってたの?

決まってなかったです。
実際に、行ってみて、
食べてみなきゃそのお店のことはわからない、
と思ってたので。

じゃあ、とにかく、
まずイタリアのどこかに行く、と。

最初はフィレンツェの語学学校行きました。
フィレンツェって語学学校が多いんですよ。
イタリアが共和国だった時代、
地方によって言葉がバラバラだったんですけど、
それが統一された時、標準語になったのが
フィレンツェの言葉だったっていう経緯があって。


なるほど。
学校に通いながら、
勤め先もその近くで探したの?

ちょうど、もともと、
トスカーナ州を最初に見たかったっていうのはあるんです。
自然が豊かで、海も山もあって、気候が良くて、
いい作物が出来る条件が揃ってるんですね。
で、フィレンツェを拠点に探して。

飛び込みで、レストランを
巡っていったわけだね。

フィレンツェの町を毎日歩いて、
いろいろな店をまわっているうちに、
ポンテ・ベッキオの近くのトラットリアが目にとまって。
表に出てるメニューに日付が書いてあったんですよ。

毎日メニューを書き換えてた?

そうだったんです。
毎日ちょっとずつメニューが更新される中に、
自分が知らない料理もあったりして、
興味を惹かれたんですね。
で、中に入って、
山鳩のリゾットとかミネストローネとか、
いろいろ食べてみたら、どの料理も旨いな、と思って。
昼休みの時間に、ここで働きたいって
話をしに行ったんです。

おお!
それで?

そうしたら、「今はダメだ」と。
それで「あっちゃー」って感じで店を出たんですけど、
よく考えたら、僕がもし日本で店をやってて、
どこぞの者かわからない外国人がいきなり来て、
「ワタシ、アナタノリョウリ、スキ」とか
カタコトで言われても、
その場ですぐ雇うわけないな、と。

ぶはははは!
まあ、そりゃそうだね。


でも、同じ人が何回も通ってきて、
やっぱりあなたの料理は旨い、って言われたら、
そのうちに、本気で受け入れることを
考えるんじゃないかな、と思って。

なるほど。
たしかになあ。

それで、そのお店に通うことにして、
顔なじみになった後は、厨房に挨拶をするようになって。
そのうちに、「来月から働いてみる?」って言われたんです。

へええ!
それ、いつ仕事が決まるか、
まったく予測がつかない状態だから、
結構ひやひやするね。

もう、「よっしゃ!」って感じで。
100軒とか巡ってもないのに、
泣き言は言えないと思ってたんですけど、
なんとかギリギリ、拾ってもらった感じでした。


やっぱり、料理を勉強しようと思ったら、
その、本場の国に行かないとわからないことあるのかな。

今の時代は、日本にいても情報はたくさんあるので、
必ずしも日本を出なくてもいいような気はするんですけど、
でも、その国の料理を作るにあたって、やっぱりその国で
生活したほうがいいと僕は思っていて。
僕は、ですよ。

うんうん。

文化背景や、気質、風土、季節、風とか、
そういうのも含めて感じていないと、
自分の想像だけではわからない部分があるので、
20代のうちに行っておきたいって、やっぱり思ってましたね。

素材っていう面では、
イタリアで取れる食材と、
日本で取れる食材は、全然違う?

それはもう、違います。
土壌とか空気とか湿度とかの条件が違うので。
湿度って、すごく味にも影響するんですよ。


そうすると、日本の食材でいくらいいものを使っても、
イタリアの食材を使ったものには及ばないのかな?

そういうわけでもないと思うんです。
その土地の湿度とか気温の中で、
どういう味を人が求めているかというのがあるので。
人が美味しいと感じるものって、
塩味とか旨みがちゃんとしていること以外に、
体が美味しいって反応するっていうことがあって。
その反応って、地域にすごく根ざしてるものなんです。

その土地で取れるものは、その土地の人にとって、
適した食材であることが多いわけだ。

そうですね。
その国ごとの文化背景もあるので、
イタリア料理だからといって、イタリアの食材を
必ずしも使わなければいけないってわけでもないです。

そう考えると、イタリアで実際に生活していないと、
その土地の料理について、わからないこともあるね。


そういう意味もあって、
一年間同じ場所にいたんです。
季節の変化を感じながら、
だからこういう味を好むんだ、とか、
深くローストした「肉の旨み」というものを、
イタリア人は好むし、こっちの風土に合っているんだ、
っていうことがよくわかるようになるので。

良いものに囲まれた空間

あ、そうだ!
先日いただいたビスコッティ、
ものすごく美味しかったよ。


それは、嬉しいです!
これから少しずつ、置いてくれるっていうお店に、
卸していく仕事を始めようと思ってるんです。
今は立ち上げの準備期間で、二足のわらじ中です。

お店の厨房で作るんじゃなく、
小売の形を考えてるんだね。

去年まで勤めていたレストランで、
ホールやマネージャーの業務をやらせてもらって、
すごく勉強になったことなんですけど、
レストランって、一部の繁盛店はうまくいっていても、
結構な割合のお店は、経営的にもやはり厳しい状況みたいだと
いう話を耳にするんです。

うんうん。

レストラン業って、すごくいい職業だと思うんですよ。
美味しい料理と、素晴らしいサービスと、
居心地のいい空間がある仕事って、すごく素敵だと思うんですけど、
でも、自分がレストランをやるとしたら、最初に大きな借金をして、
大きなリスクを抱えたままお店を始めるって進路に疑問を感じたんです。
というか、怖くて出来ない(笑)。

レストランっていうのは、席数と時間っていう制限があるから、
どれだけ頑張っても、売上には上限があるけれど、
その点、物販っていうのは、やり方次第で上限がないからね。


そうなんです。
たかだかクッキーっていう人もいるんですけど、
僕は結構本気で、いいモノだと思ってるんです。
作ってる自分が全然飽きませんから。
これを、一つの事業として、ちゃんと成り立たせたいんです。

ものがシンプルなだけに、
ラッピングとか、バリエーションもいろいろ考えられるし。

なんで、そういうことを考えたかっていうと、
2年前の震災があった時に、愕然とするぐらいに、
なんにも出来ないことに気づいたんですよ。
自分はこんなにも、社会的に力がなかったのかと。

それは、物理的な時間が
足りないっていうこともあるのかな?


それは大きいです。
いざという時に、お店を休めなかったり、
友人の結婚式があっても、土曜日は仕事だから行けない、とか。
そのことで、自分に対する不甲斐なさがあって、
この先もずっと同じ状態のままでいるわけにはいかない、と思って。

料理を作るっていうのは、
自分がその場にいないと成立しないことだからね。

今、烈も東北で震災復興の活動をしていて、
僕は何も貢献出来ていないっていうのは自覚しているんですけど、
「数年後には何か出来るようになるための準備期間」だ、と思っていて。
今は「すみません」っていう感じです。

ずっと先には、自分の店を持ちたいっていう
想いって、やっぱりある?

そこまでには、まだいくつもステップが必要かなと思いますけど、
自分の好きな、良いものに囲まれた空間を
作りたいっていう野望はあります。

良いものに囲まれた空間っていうのは、
いいねえ。

自分の直近の憧れとしては、
家に生ハムが一本あることなんですよ(笑)


(笑)あの、あれだね。
マンガみたいな巨大サイズのモモ肉。


そう。
朝起きたら、
「今日どうしようかな」とか言いつつ、
とりあえず、それを切って食べる、っていう。

ぶはははは!
それ、ちょっとしたダンディズムだよ!
台所に生ハム一本ある家、見たことないけど。


まあ、そういうものも含めて、
美味しいものに囲まれていたいっていうのが、
たぶん自分の一番好きなことなんだと思います。
そしてその周りに、素敵な友人たちがいたら最高じゃないですか。
(2013年1月 中目黒「FRAMES」にて)


【ヒトゴトへの一言(山本慎弥)】
清水さんとは前々からお話ししたく思っていまして、遂に念願叶った思いでした。

人物評ではよく「器の大きさとか形とか」を用いられることが多いですが、清水さんとお話した感想は「食器棚みたいな人だな」と(笑)。「こんな器もあるし、こんなのもあるし、えーと・・あれはどこにしまったっけな?」っていうような、`一つではない器の形’を感じました。ヒトゴトで培った清水さんの財産でしょうか。

次回は是非、`棚の整理’をすべく、意見交換しましょう!

清水宣晶からの紹介】
慎弥くんからは、適度なもてなしの心と気楽さが入り混じった、居心地のよさを感じる。
街場の飲食店というのは、今の世の中にあって、例外的に昔ながらの徒弟制度が色濃く残っている世界だ。そこには、非効率や不合理性もあるけれど、それゆえに磨かれる精神性や礼節もあるのだろうと思う。

慎弥くんの話がとても面白いのは、彼が、料理から受け取った概念を曖昧なままに放置せず、自分の中で考え抜いて言語化しているからだ。だから、門外漢の僕にも、料理人という仕事の魅力がよく伝わってくる。

慎弥くんは、おそらく毎食、自分で何かを食べたり、何かを作ったりする都度、その味に至った理由を無意識のうちに考えているのだろう。それが長い年月の間に積み重なった末、膨大な資産として、彼の中に整理されてストックされている。
そこに、彼が持つ「伝える力」が加わることで、そのストックを自分一人のもので終わらせず、多くの人々と世界観を共有することが出来ている。
それは、料理人にとって、味覚やセンスと同等以上に、重要な資質ではないかと思う。

山本慎弥さんとつながりがある話し手の人


SPECIAL THANKS TO

多苗尚志多苗尚志さん
慎弥くんとの最初のつながりを作ってくれました。


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