たきざわまさかず

僕が僕らしくあるために、言葉を紡ぎ、紙を切り、
よく食べて、よく寝て、日々の暮らしの中に、
ささやかな旅を見つけています。

改良の余地があるHPです。作品が見れます。
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優しい気持ちでぽぁっとしたい方は、
ほんわか親子エッセイ
「Sweet Sweet Salt」をどうぞ。
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(2011年6月 新宿ゴールデン街にて)

抽象概念の表現

(清水宣晶:) おお・・

ゴールデン街の中にこんなギャラリーバーが
あるなんて、驚きだな。
(この日は、展示会の会場で話しを聞いた)

(たきざわまさかず:) 面白いでしょ。
今回はらえるちゃん(深森らえる)との二人展で、
鉛筆画が彼女で、まわりのクラフトが僕。

らえるもほんと、
いろんなことやってる多才な人だね。

たーきーが作るペーパークラフトって、
こういう半立体のものと、
立体のと、両方あるの?

そう、
普段は、立体のものを作ってる。
作りかけのものだけど、
たとえば、こういうクマとか。


これさ、
量産出来ないっていうのが最高にいいよね。

量産出来ないのがダメだ、
ってみんなに言われるんだけど(笑)。

いや、それが価値なんだと思うよ。

僕のペーパークラフトの特徴は、この丸みで。

つぶしてるんだよね。

あー!
うんうんうん。

市販のペーパークラフトっていうのは、
完全にポリゴンでてきてるから、
大量生産が可能なものなんだけど、
僕は、それをしない、っていうのをポリシーにしてきたから。

そうだよね。
ペーパークラフトって、普通、
もっとカクカクしてるイメージがある。
プレステとプレステ2ぐらい違うよ。

まあ、それは作り手のこだわりっていうだけで、
見てる人はべつに、
そこを見ているわけじゃないってのはわかってるんだけど。

あ、そうなの?

そこよりは、
クマがどういうポーズで、
どういう小物を持ってるかとかっていうところに
関心がいってるのは、実演しててわかる。

これ、
クマ一つ一つ、持ってる小物が違うの?

先に、クマを作るんだけど。
その後、一体一体と対話していって、
「キミは何をしているの?」っていうところから始まる。

出たーーーー!
これはスゴいぞ。
そのクマが何をしたがってるのかを聞くんだ?

そうそう。
クマからの情報を元に、何をアウトプットするかってことで。
一体一体ね、顔の表情も違うから。

え?
表情・・

ああ、、たしかにね。
ヌイグルミでも、何十体も同じのがあっても、
特にこいつがかわいい、とかってあるよね。

そう、絶対ある。
悲しそうに見えたり、悩んでるような感じだったり、
それでストーリーが浮かんでくる。

このクラフトは、
技術力以上に、想像力の産物だと思うな。

抽象概念を具象に表現したいっていう欲求が、
自分の中ですごく強い感じはする。
もともと、モノを考えるっていうことが好きだし。

それは、形而上的なことについて?

そうだね。
アカデミックな匂いにものすごく惹かれるところがあって、
バラエティー番組を見るよりも、
NHK教育とか放送大学を見るほうが好き。

それ、わかるなあ。
むしろ、バラエティーより
本当の意味で楽しませてもらえる気がする。

あの雰囲気が、
たまんないんだよね。

メルヘンホラー

たーきーは、
美大とかデザイン系の学校に行ってたわけじゃないんだよね?

普通の大学だった。
高校の2年くらいまで、「学者になる」って思ってて。
ただ漠然と、モノを考える人になりたいっていうのがあったなぁ。

その頃に、そんなこと考えてたんだ!?

それで、大学受験して、入ったのが、
外国語学部の日本語学科っていうところで。

ペーパークラフトとは
まったく関係なさそうなところに入ったね。

でもね、言葉の素養を学べたっていうか、

おお?

その点で、、良かった・・・
って、こともないね。全然ない。

おっと!?

必死につなげようと思ったけど、
だめだ、つながんないや。
大学で一番良かったのは、
4年間自由な時間をもらいましたってことになるかもね。

4年間、何やってた?

大学生の時、画材屋さんでバイトしてて。
世界堂ってところで。

世界堂でバイトしてたんだ?

その時、ウィンドディスプレイを、
店員が交代で手作りで作ってたんだよ。

うんうん。

店に、折れ紙っていう、要らなくなった紙があって、
それで、適当に作ったのが評判が良くって。
あ、なんか楽しいな、っていう。

それが、
ペーパークラフトを始めたきっかけだったんだな。

それと同時期に、
音さん(木村音詩郎)たちがやってた
「Artist Cafe」っていうものに参加するようになって、
その時に知り合った人たちっていうのが、
ものすごく、今の自分を作ってる。
あの4年間がなかったら、今知っている世界の
半分はなかったと思う。
本当に、あの時の出会いには感謝してる。

その、4年間っていう、
モラトリアムの時間が重要だったんだね。
世界堂でバイトする前ってのは、
物を作るってことには興味あったの?

工作みたいなのは、子供の頃から好きだったかも。
ずぶぬれで帰ってきたとき、がら空きの洗濯用物干しハンガーに
雨でぬれたジャンパーとズボンを、
せっかくだから横向きにつるしてみたくなって、
ついでに、トマト型のお菓子入れを頭がわりに置いて、
「空飛ぶトマトマン」を作ってみたり。
軍手がいっぱいあったら、人が歩いてるみたいに
ベタベタ並べて遊んでみたり。

片鱗が出てるね。
たーきーって、インスタレーションというか、
その場にあるものを使って、即興で作るのが好きなんだろうね。

そうそう。
何やってるの?って言われながら、
相手が笑ってくれるのがうれしくて。
自分は、出力機なんだって思う。
ゼロから生み出すっていうよりは、
その場にある素材を使って、
アウトプットするっていうほうが、向いてる気がする。

それはわかるわ。
お題を与えられた時、
それを自分なりにどう料理するかってことを考えてる感じがする。

そう、
こういう切り口が出来たんですけど、どうですか?
って、尋ねることが楽しい。

そういえば、
たーきーは、小説も書くんだよね。
文筆やったり、ペーパークラフトやったりってのは、
何か共通してるものがあるんだろうな。

前に、自分が書いた小説を編集者の方に見てもらったとき、
精神異常者が、普通の人のフリをして書いた文章みたいですね、
って言われたことがあって。

ええええー!?
スゴいこと言う編集者だな。
それ、どういう小説だったの?

自分は、哲学ラブコメでSFっぽいもの、
っていうつもりで持っていったんだけど。

どんなのか想像つかないわ。

メルヘンぽい感じではあったんだけど、
なんか、奥底に沸々としたものを感じてコワい、と言われて。
むしろこれは、ホラーだ、と。
「メルヘンホラー」っていうジャンルでいくべきだ、
って言われた。

(笑)「メルヘンホラー」って!
斬新なアドバイスする編集者だな。

ホラーって好きじゃないから、今まで見たことないんだけど、
映像的なコワさじゃなくて、理解できない事の恐怖とか
「不思議の国のアリス」の可愛さとか、
なんかそういうコワさなんだろうね。

江戸川乱歩みたいな。

どうなんだろう、自分では分かんないんだけど、
でも、なんか、自分の中にコアになる部分が
確実にあって・・

そのコアが、
表現手段として色々な形をとっている、と。

そんな感じ。
ペーパークラフトっていうものも、
作品の見た目はメルヘンなんだけど、
作っている過程は、ある種、異常なんだと思う。

おお!?
そうか、なっるほどなあ!

こんな小さいものを切り抜くのって、
ものすごく細かい作業でしょ。
それを、夜中に、クマに向かって話しかけながら、
嬉々としてやってるわけじゃない?
それは、たしかにホラーだな、って思うことがあるよ。

たしかに、
これだけの緻密な作業になると、
集中力とか、持続力とか、
人並み外れたものが必要になってくるだろうな。

細かいければ細かいほど、
楽しくなっちゃうんだよね。

これは、作る人を選ぶと思う。
これを作り続けられるってのは、才能だよ。

精神食べ物論

何か、小説とかクラフトとかで、
たーきーが伝えたいメッセージみたいなのはあるの?

僕のコアの一部だと思うんだけど、
「精神食べ物論」っていうことを、ずっと考えてて。
他の生命体と人間との決定的な違いは、
ハードウェアの進化からソフトウェアへの進化だと思ってるんだけど…。

身体の進化から精神の進化てことだね。

そう!
寒ければ、他の動物の毛皮を借りたり、
自前の牙を道具としていたのが、鋭い黒曜石を手に入れたり。
身体の進化のスピードに比べたらものすごい進歩だと思う。
それで、人間って、言葉やいろんな表現を通じて、
お互いの精神を食べあったり、環境から色々な情報を取り込みながら、
ものすごく個性的でバラエティーにとんだ形に自分たちの
精神っていうものを育んで、広がっていると思うんだよね。

うんうん。

だから、自分と違う世界に住んでいる人と
捕食し合うっていうのは、自分を育む上ですごく楽しい。
翼を持った人から空飛ぶ楽しさを分けてもらったり、
逆に僕が水辺に生きてたら、泳ぐ事の気持ちよさを伝える事ができたり。
だから、「ヒトゴト」でやっている、
ダイアログっていうのは、すごく大好き。
身体的な進化は遅いけど、精神的な進化って早いから、
感覚器官ならあっという間に身についちゃう。

言葉って、
一瞬で人の考え方を変えたりするからね。

そうそう、まさに世界の見え方が変わるんだよね。
僕のバイブルで、柄谷行人の「探求Ⅰ」っていう本があって。

(笑)そのタイトルからして、
ものすっごいアカデミックな匂いがするね。

その中で、他者の他者性っていうことが書いてあって、
コミュニケーションでは、言葉というものが
当たり前のように、共通の貨幣の様に使われているけれども、
その事に疑問を投げかけるべき、っていうのね。

うんうん。

わたしの「赤」と、あなたの「赤」は、
本当に同じものですか?ってことで。
もっとお互いに、自分の言葉を教えて、
相手の言葉を学ばないと、本当のコミュニケーションは
成立しないぞっていうか、根本的に伝わらないのが他者っていうか・・。

なるほど、なるほど。
同じコミュニティーの中にいると、
「赤」っていうだけで通じちゃうし、楽だけど、
「赤」が通じない人に説明してわかってもらう、
っていう行為がないと、言葉は磨かれないよね。

そうなんだよ。
相手が他者だと思うから、
僕は、言葉を尽くさずにはいられない。
似た物同士、たとえば同じ水の中で集まっているのは
明らかに楽なんだけど、ちょっと無理しても、
陸に上がって風を感じてみたくなる。
僕は、色んな所に行って、
自分を変えていけたらなってすごく思う。

それはわかるなあ。
オレの場合は、
世の中にある物事とか、気持ちとかを、
それにぴったりくる言葉で表現できるようになりたい、
っていう欲求がすごくあるんだよ。
「似た言葉」じゃなくて、「ぴったりの言葉」。
そのために、いろんな人と対話をして、
言葉の引き出しを増やしたいって思ってるんだな。

僕がアカデミックな香りが好きなのは、
専門家の人に「いい質問」をしたい、
っていう動機があるんだけど、
近いものがあるかもしれないね。

それは、同じようなことだと思う。
内蔵する言葉のストックの差がありすぎると、
質問することすら出来ないからね。

そうそう。
みんな、色んな所にそれぞれの場所をもっているけど、
水の中にいる人でも、空を飛んでる人でも、
そこに行って「話しを聞かせてください!」って、
喰らいついていきたい、と思うなぁ。

アカデミックって最高

やっぱり、こういう、
ペーパークラフトみたいに、
物理的に手に取れるものって好きなの?

うん、触れないものを作るのは、ツラいかな。
紙だったら、試行錯誤を繰り返して、
根気強くやってれば、少しずつ形を調整していけるけど、
デジタルな、実体がないものとは、
相性はあんまり良くないんじゃないかと思う。

たとえば、Illustratorでベジェ曲線動かして
形を調整してる時ってのは、そんなに好きじゃない?

あ、ベジェは結構好きなんだよ。
輪郭っていうものが好き。

輪郭が好き!?
それ、面白そうな話しだね。

深澤直人さんの「デザインの輪郭」っていう本を
読んでからなんだけど、
たとえば、花にしても、
ただ綺麗な訳じゃなくて、その輪郭っていうのは、
周りの環境と自分自身の生物的戦略との対話で出来た、
お互いに譲れない緊張関係が形作っているんだって分かって。
そう思うと、どんな輪郭をなぞってても、
なんかそこに意味がある気がしてドキドキしちゃう。

国境線みたいなものだからね。
そういう緊張感は、あるんだろうな。

話がちょっと変わるんだけど、
三浦公亮先生っていう人が発明した、
ミウラ折りっていう折り方があって。

ミウラ折り?
それ、どういうの?

地図みたいな大きな紙を折り畳む時、
普通に畳むと、横に開いて、縦に開いて、
って同じ手順を追わないと広げられないけど、
ミウラ折りは、一方向に引っ張ると、
全体がバーッて自然に開かれるっていう折り方で。

へぇーー、
飛び出す絵本みたいな畳み方なのかな。

近い、近い。
三浦先生は、宇宙工学の構造論の人だから、
計算とかロジックで効率を最優先にして、
それを導きだしていったんだけど、
その折り方と同じものを、
お弟子さんが自然の中で見つけてさ。

おお!?
それは熱いよ!?

実は、葉っぱの新芽がね、
そのミウラ折りとまったく同じ形で、
小さく畳まれているらしい。

うおおおお!
超熱い!!

でしょ!!
その時、ミウラ折りは、
宇宙船のソーラーパネルにすでに使われていてさ。
機能と効率を追い求めたら、自然も科学も、
同じフォルム、輪郭を作り出していたんだよ。
その事を知った時、
「ふっわーーーっ」て感動した。
アカデミック最高!って。

アカデミックなことの面白さって、それだよね。
言葉でもそうなんだけど、
一瞬で人生観が変わってしまう面白さってあって。
それを知った前と後とでは、同じ森の中にいても、
それまでの森とは違うものに変わってしまう、っていう。

あるある。
いつも何気なく歩いていた風景だったのに、
たまたま植物図鑑で家の前の野草を調べたとたん、
実は町内に同じ植物がいっぱい生えていることを
初めて知ったりとかね。
食べ物論的にいえば、本でもコミュニケーションでも、
どんな物を食べてきたかで、世界の見え方を含めて、
自分の輪郭って変わって来ると思っていて。
そういう意味で、自然の輪郭なんかはまさしくそうなんだけど、
「ストイックに洗練された輪郭」ってのが好きなのかもしれない。
楽器とかの無駄の無い感じとか。
自分もそういう、
洗練された輪郭を手に入れたいって思ってる。

この、ペーパークラフトってのも、
かなりストイックなものだけど、
いわば、写経に近いよね。
般若心経を米粒に書き写してるのと同じでさ、
精神修養とか、癒しにもなってるんだと思うな。

僕自身は、すべての宗教を信じて、
どの宗派にも属さない、っていうスタンスだから、
ミサに通ったり、100万遍お経を唱えたりなんてことはしないけど、
でもその代わりに、紙を切ったり、クラフトしたりしてるのかも。

うん。

それとも、もしかしたら、僕はストイックな輪郭が欲しくて、
ストイックな事をしているのかもしれない。
自分のためにクラフトをしていて、
みんなに喜んでもらえているんなら、
こんなにうれしい事はないなって思う。
(2011年6月 新宿ゴールデン街にて)

【暮らし百景への一言(たきざわまさかず)】
一人っきりじゃ、自分の輪郭は見えてこないのだと思います。
今回、あっきーさんとのダイアログのなかで
自分の輪郭を再認識できたのは、大きな収穫でした。
今回のインタビューを自分の新たなスタート地点として、
大切にしていきたいなと思います。

清水宣晶からの紹介】
以前、たーきーが制作していた、ウェディングパーティーのウェルカムボードの切り抜きを手伝った時、こんなに細かいものを、普段一人で作っているのかと驚いたことがあった。
彼の作るペーパークラフトには、一つ一つ魂が入っている感じがする。ものすごく緻密なものを作っているのだけれど、細部に至るまで手抜きがない。

たーきーは、ペーパークラフトを作るための紙と道具一式を、常に肌身離さず持ち歩いている。その場で求められれば、いつでも紙とハサミを取り出して、魔法のようにあっという間に小さな動物や植物を作り出す。
一人娘の父親でもある彼の日常には、物を作ることによって人を楽しませる喜びが満ちているのだろうと思う。

たーきーには、そういうサービスマインドがあるのと同時に、仏師のように求道的な部分があり、あらゆることに独自の見識を持っていて、視点がとても面白い。
その彼が、アカデミックなことを語る時は本当に楽しそうで、聞いている僕までもがそれに引きこまれ、とてもワクワクして楽しい気持ちになった時間だった。

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