豊田陽介


2020年6月長野県佐久穂町にIターンし「カレー屋ヒゲめがね」を開業。家族とゆったりと暮らすべく、営業は週3ランチのみ。
人生100年時代における生き方の1事例として発信できるよう、日々奮闘中。 https://lifeshiftjapan.jp/interview/6833/
(2024年2月 長野県佐久穂町にて)

佐久穂町ならできるかもね

(清水宣晶:) これはもう何回も、
豊田さんに話してることですけど、
僕が長野に移住してきた最初のきっかけは、
元をたどっていくと、
豊田さんの体験記を読んだことなんです。


(豊田陽介:) ありがとうございます。

そのころ僕、移住先として、
日本全国のいろんなところを検討していて。
そろそろ本気で信州移住』の本を読んだ時に、
豊田さんのやってることや、
この、佐久穂町周辺の地域のことを知って。
そこからです。

いや、そんな人が本当にいるんですね。
最初に出版の企画を聞いたときに、
「この本を読んだことをきっかけに、
実際に移住をする人も出てくるだろうから、
すごく意義のある本になると思います」
みたいな感じの言われ方をして。

まさに、そうですよ!
豊田さんの体験記を読んでなかったら、
僕は今、長野にいないと思います。


不思議なもんですね。
なんとなくぼんやり生きてるだけなんですけど、
そうやって誰かの人生を変えるきっかけになってるんだとすれば、
それは、大変ありがたい話です。

移住する前に、佐久穂町を見に来て、
「ヒゲめがね」にも立ち寄ったんですけど、
驚いたのは、この人口の少ない町で、
お店の前に行列ができてるということで。

はいはいはい。
うん、そうなんです、
できちゃったんですよね。

豊田さんの、これまでの流れを見ていると、
なんというか、出来すぎなぐらいに、
色々な出来事が噛み合ってるなと思って。

佐久穂町に移住した人って、
大日向小学校に通うために来た人が多いと思うんですけど、
知った順番が、逆なんですよね?

そうそう。
大日向の「お」の字も知らない状態で佐久穂町に来て、
その後に大日向を知った、っていう順番でした。

もともと、豊田さん一家が佐久穂町に来たのは、
愛子さん(奥さま)のお知り合いの関係でしたっけ?

そうです。
育休中に、自然豊かなとこで暮らしてみたいね、
って言ってた時、たまたま、
妻の友達が佐久穂町にいたんです。

それもまた、
面白い縁だなあ。


自分たちの希望としては、
子どもたちが虫を追いかけられる環境や自然があって、
妻が農業をちょっとやってみたいってイメージで。
1か月ぐらいの短期で住める場所、
みたいなフラグを立てて探してたんですけど。

その友達が「佐久穂町ならできるかもね」
って言ってくれたので、
佐久穂の移住促進担当の方に、
「1ヶ月ほど住んでみたいんですけど、
可能性ありますか?」って問い合わせたら、
すごく前向きにサポートしてくれて。

ほうほうほう。

妻が「農業やってみたい」
って言ってたことが幸いして、
そういうことであれば、
新規就農支援制度が使えるから、
町が持ってる長屋みたいなところを、
1ヶ月間貸してあげます、って。

足らない家具とかも、
職員の人たちがみんなで声かけあって、
余ってる洗濯機や電子レンジを運び入れてくれて。
手ぶらで来れたっていう。


そこまで手厚かったっていうのは、
その頃はまだ、移住してくる人が
そんなに多くなかったからですかね。

農業やりたくて佐久穂町に移住してくる方は
以前からぼちぼち居たと思うので
新規就農者の移住支援は実績があったんだと思います。

愛子さんが農業に興味があったことで、
町としても支援がしやすかったんでしょうね。

本当に、それも超ラッキーで。
最初から狙ってたわけじゃなかったんですけど。

豊田さんの開業の経緯を知ると、
タイミングがいろいろ完璧すぎるんですよ。
育休の時期も、佐久穂町に来たタイミングも。


よくできた話ですよね。
これもまた、タイミングの話ですけど、
大日向小に決めて、移住した最初の1年目は、
僕はまだ都内に通勤してたから、
ここじゃなくて、佐久平に住んでて。

当時、会社を辞めるつもりは微塵もなかったんで、
そこのアパートで普通に暮らしていくかな、
と思っていたんですね。

その時はまだ、
独立なんて考えてなかった。

そうですそうです。
でもそれで、二拠点生活みたいに、
都内まで通って働くようになったら、
やっぱり無理があって、体を壊して。
そこまでして都内で働く意味ってなんだろうね、
って考えて、会社を辞めることを決めて。

こっちで職を探そうと思ったけど、
僕、営業畑の人間だったから、
リモートで何かできるようなスキルがあるとか、
そういうことでもないので。
「営業職だと、不動産会社の営業マンとかかー、
ううん、なんかピンとこんなあ!」って。

それも、いけそうな気がしますけど、
今の豊田さんからは想像つかないですね。


会社員だと結局、その会社の都合で、
ずっと残業とか休日出勤とか、
そういうのがやっぱりついてまわるんで。

せっかく、ハウス食品を辞めるんだったら、
自分で時間がコントロールできる生活がしたい。
そうなると、やっぱり「手に職」でしょう。
何ならできるかっていったら、たまたまカレーは作れる。
「じゃあ、カレー屋やってみるか?」みたいな。

そういうノリで。

そう、なんとなくのノリで言ってたら、
一回、試しに作って売ってみたら、って、
『Mikko Doughnuts cafe』の塚原さんが、
テスト販売の機会をくれたんです。

なんと!
本当にカレーを売ることになったんですね。

とはいえ、何を作ればいいか。
考えてたときに、僕が通いつめていた、
日吉の『ハイ、ハウ アー ユー』っていう
大好きなカレー屋さんのオーナーさんに、
うちのレシピを使ってもいいよ、
っていうお許しをいただいて。

足りないピースが、
どんどん埋まっていくなあ。

それで実際、手ごたえも感じて、
「いやあ、じゃあなんか、
いい物件が見つかったらやっちゃおうかなー。」
って言ってたら、不動産屋が、
「ここの物件、空きましたよ」
あ・・空いてますか!?


ぶはははは!
ほんと、引きの強さがすごい。
けど、豊田さんのケースを見てると、
再現性あるんだろうか、とは思うんですよね。

いや、そうですねえ!

他の人がIターン起業をしようとした時に、
豊田さんみたいにうまくピースがはまるんだろうか、って。

全部がこんなうまくはいかないでしょうね。
部分部分で、使えるピースを拾ってもらう、
っていうことにしかならないとは思うんです。

でもそれも、振り返ってみれば、ですけどね。
その場その場では、結構やっぱり、
痺れるような意思決定はしているので。

うんうんうん。


1年間育休取る意思決定をした時は痺れましたし、
1ヶ月短期移住してどっかに住んでみるかってのも、
日常からはちょっとハミ出した話だし。

拠点を長野に移そう、そこから東京に通ってみよう、
みたいなことも痺れましたし。
実際にそれやり始めたら、無理をしすぎて、
体壊して、文字通り痺れましたし。

(笑)ほんと、
結構、チャレンジの連続ですよね。

それまでサラリーマンとして一生懸命やってきて、
起業家でもなんでもなくて、
自分で稼がなきゃいけないっていう環境は、
もちろん経験がなかったので。

会社員を辞めて、独立するっていう意思決定は、
結構痺れる決断をしたとは思うんですけど。
まあ、それにしても不思議なご縁が続くなあ。

ライフスタイルを売っている

でも豊田さん、
縁とかタイミングに恵まれたのも間違いないですけど、
やっぱり、マーケティング的なことが、
すごく上手だなと思っていて。


ありがとうございます。

発信の仕方もそうだし、
「元ハウス食品のスパイスマスターが作るカレー」
みたいな、人目をひくコピーも多いし。

だから、お店が賑わってるのも、
なるべくして、なってる気はするんです。
やっぱりそれは、会社員時代の経験からなんですか。

そうですね、おそらくは。
会社員時代は、やっぱり仕事が結構好きで。
よう働いてたし、
まあ、勉強もしてましたし。

うん。

そこで身につけた基礎的な筋力があったからこそ、
いざ自分でやるっていう時に、勘が働くというか。
会社時代で培ったことっていうのが、
結果的には全部血肉になって、活かされてる。

だから、無駄になってないですよね。
もともと料理人とか、飲食関係で働いた後に、
独立してお店を開くってパターンは多いと思うんですけど。

はいはい。
多いですね。


豊田さんは経歴が全然違って、
飲食経験ゼロのとこからやってますけど、
過去の資産が受け継がれてないわけじゃなくて、
すごく、ビジネスマンとしての経験とか、
スキルを活かしてるなって気がするんです。

それが多分、ウチのユニークさで。
料理系統から出てないということは、
僕自身のコンプレックスでもあるんですけどね。

あ、そう思うことありますか?

「スパイスカフェ」っていう、
押上にある有名なお店に、
伊藤さんというカレーの神様みたいな人がいて。

この前、マルカフェさんが、
その伊藤さんをお呼びして、
1ヶ月近く佐久に住みながら
地場の食材を使って料理を提供する、
ポップアップイベントをやってたんです。

はい。

僕からすると、もう、
「はぁー、すっげえー、あの伊藤さんが!?」
って感じで。

マルカフェの零さんから、
「伊藤さんがイベントやるから、
お手伝いできるならお願いしたいです」って言われて、
「ぜひ!」って、お手伝いに行ったんですけど。
なんせ僕、料理ができない。


うんうん。

お手伝いと言われても、なんもできなかったんですよね。
伊藤さんからすれば、僕も一応、
カレー屋をやってるっていうのは知ってくれていて。
「じゃあ豊田さん、この材料を切っといて」って言われるんだけど、
切れないんですよ。

ああ!
普通はどうやるのかがわからない。

そう。
「ニンジンの千切り、これぐらいの厚さでやっといて」
って言われるんですけど、
「できません。」って言うと、
「え!?」って。

ぶはははは!

「すいません。僕、いつも、
千切りの道具使ってやっちゃうんで、包丁使わないっす。」
「ああ・・そう。」って。

それ、料理人の人からしたら、
ビックリするんだろうなあ・・。


「え、、カレー屋やってんだよね?」
「あ、やってます」
「あ、ああ・・そう。」
みたいなやりとりがあったあと、
ニンジンの切り方をゼロから教わるというね。

すごい。

だから、なんかね、
料理人の集まりに行くと、浮くんですよ。
彼らは、調理のことはやっぱり大好きで。

例えばニンジンにしても、厚さや幅によって、
油とかの吸い込み方が変わるし、
塩加減を1ミリグラム単位で変えていく、みたいなことを、
彼らはキャーキャー言いながらやってるんですけど。
僕は、あんまそこ、興味がなくて。

もちろん、美味しいものを作れたらいいなと思うんですけど、
どちらかというと、偶然でも、
なんとなく美味しいものができたらオッケーなタイプというか。
僕自身は、ライフスタイルを売ってる感覚なんですよね。

うん。
カレー屋を営むことを通じて、
生き方を表現している、というのは伝わります。

調理人として料理を突き詰める人たちと、
ライフスタイルとしてこういう生き方もあるよね、
を突き詰めたい自分は、やっぱり会話が合わないかも、
というのを、すっごいその場で感じたんだよなあ。

憧れの伊藤さんの前で、
ニンジンも切れなかった僕。シュン・・・。


(笑)そんな切ない思い出があったんですね。

まあ、でも、考えようによっちゃ、
そういう風に料理をすごい一生懸命やられてきたからこそ、
跳ねて、第一人者になった伊藤さんがいる。

それと同じところで戦ったって、
僕は全然、料理のことを知らないからしょうがない。
わかっちゃいたけど、僕はそっちじゃないんだよな、って。

自分の中で割り切ることができた。

やっぱりライフスタイルっていうところで、
自分自身が楽しいと思うことを追求していけば、
誰かに面白がってもらえるから、
自分が目指すのはそこだな!と。

引っかかりポイントを作る

でも、僕から見たら、
飲食未経験から始めたとは思えないぐらいに、
ヒゲめがねのカレーって、すごく本格的ですけどね。


ありがとうございます。
それも、ラッキーパンチで、
ウチの看板メニューのパキスタンカレーは、
『ハイ、ハウ アー ユー』のレシピをもらったんです。

そうなんですか!
直伝のパキスタンカレー。
それはスゴいなあ。

僕自身、ハウス食品にいて、
仕事柄いろんなカレーを食べ歩いてたんですけど、
その中で一番美味しいと思ったカレーが、
あのお店のパキスタンカレーだったんです。

その、本当に唯一無二の、
超美味しいレシピが一本持てていた。
それさえあれば、ある程度のお客さんは来てくれるんじゃないかな、
って思えたからこそ、
カレー屋を始められたっていうのもあるんです。

鉄板の看板メニューを持ててる安心感は、
かなりでかいですね。


まあ、それはそれとして、ありつつ。
それ以外のメニューもノリで作ったら、
わりかし美味しくできちゃった、ってのもあります。

結構たくさん、新種の気まぐれカレーを試して、
ヒット作を生み出してますよね。

一応、月ごとにメニューを変えてたりするので。
それは別に、どこかのお店のレシピでは全くないし、
自分でも不思議でしょうがないですけど。
そこはもう、才能とかセンスがあった
・・っていう話なのかもしれないです。

いや、そういうことですよね!
料理人のキャリアを積み重ねた経験でわかるんじゃなくて、
感覚でわかってるという。

素人だからこそのノリで、
エイ、ヤー、トウってやってハマるっていうのは
あるのかもしれないですね。
ラッキーパンチが続いています。

ぶはははは!
ラッキーパンチのコンボが。


とはいえ、世の中にレシピっていっぱい落ちてて。
そこの本棚にも並んでるような、
カレーのレシピ本だって、たくさんあるわけですよ。
だから、ゼロから作る必要はなくて、
まずは、レシピの通りに作ってみて、
あとは自分の好きな味、好きなスパイスを足し引きして、
アレンジしていくと、別にそんな困らないという。

でも、レシピ本を出してくれてる人たちは、
それこそもう、ずっと料理と向き合って、
突き詰めて、これがベストだっていうレシピなんで、
まずいわけがないというか。

そうか。
スーパー料理人が書いたレシピを、
忠実に再現するスキルがあるってことですね。

そうそうそう。
再現はできるし、そのまんま出したって、
もちろん全然オッケーなんですけど。

まあそれじゃあ、なんか面白くないなっていうんで、
お客さんの引っかかりポイントをどこで作るかは、
やっぱり意識はしていて。

引っかかりポイント?

たとえば、ポークビンダルーを作るとき、
レシピに「梅酒に漬け込みましょう」って書いてあったら、
全然、梅酒でいいと思うんですよ。

うん。
全然、梅酒でいい。


だけど、ウチは、
黒糖梅酒で漬けてるんですよね。

面白い!

梅酒に漬け込んだ、っていうのでも、
それはそれで、「ほー」なんですけど。
「黒糖梅酒」っていうと、なんで黒糖なんだろう?
あ、だからちょっと風味が甘くなるのね、みたいな。
そういう引っかかりを作っていく。

なるほど!
スゴいなあ・・。

黒糖梅酒で作っても美味しかったなら、
黒糖を使った方が、情報としてはプラスなので、
お客さんの引っかかりポイントが1個増える。
食べる時って、舌でも味わいますけど、
半分は情報でも味わうじゃないですか。

わかります。

酸味を付けるにしても、レシピには、
「タマリンド」って書いてあったりするんです。
インドでよくある、酸味のある、
梅干しみたいなやつですね。

素直にタマリンド使えばええんですけど、
タマリンドって言われても、イメージ湧かないでしょう。


それは、まったくイメージ湧かない。

知ってる人は知ってる、っていう食材よりは、
「梅干し」なら、みんなイメージ湧くじゃないですか。
梅干しの酸味なのねって、情報が頭で符合すると、
また、人に語りたくもなるというか。

ほんとだ。
それは絶対、梅干しのほうが語りたくなる。

その感覚っていうのは、
やっぱり、会社員の営業マンのときに、
同じバーモントカレーでも、どういう売り方なら
得意先に興味を持ってもらえるかって考えていたので。

すごいなあ。
そこで、営業の経験が活きてるんですね。
会社員の経験も、営業の経験も活きてる。

ものの伝え方のポイントみたいなところは、
すごい活かされてるし、
基本的な経費や売上を見つつ改善していく、
っていうのも、もう、なんつうんすかね、
息を吸うようにEXCELを叩くみたいな感じで。

(笑)EXCEL使った計算とかは、料理人一筋っていう人は、
あんまりやらないでしょうね。


そこは本当に、
ただの会社員が始めたレストランだからこその、
オリジナル性かもしれないです。

年明けに「ヒゲめがね」のインスタでやってた、
「気まぐれカレー」の人気ランキングも、
きっちり数字を出してますもんね。
カレーの種類ごとに、注文数とか、
ちゃんと細かく把握してるんだなと思って。

そうですそうです。
なんでも数字を取り溜めて、
データベース作って、っていう。
ピボットテープルが趣味ですからね。
それはニヤニヤしながらやれてしまうんですよね。

(笑)ピボットテーブル見てニヤニヤする料理人、
いないと思いますよ。

逆に僕は、食材見てもニヤニヤしないというか。
伊藤さんのようなシェフの皆さんは
新しい食材を見つけたら、
「どう調理してやろうか!」
ってニヤニヤすると思いますけど。

ご縁サーファー

豊田さんは、お店をやっている中で、
料理を作ることと、来てくれる人と話すことと、
どっちの方がウェイトが高いです?


いやー、面白い質問ですね。
うーん・・・どっちも高くないです。

どっちも高くない!
その答えは予想外でした。

なんか、料理作ることは、楽しい時もあれば、
3年もやってるとルーティンになってしまう部分もあって、
そろそろ飽きが来ているというのも正直なところで。
空いた時間で、なにか違うことやりたいなって思ったり。

わかるなあ。
新しい刺激がほしくなるんですね。

で、お客さんとしゃべるのも、
楽しいは楽しいんですけど。
わりかし、僕自身が人見知りで。

もちろん、接客業としての、
居心地のいい食体験をしてもらえるための、
柔らかな接客、みたいなのは、
苦もなくやるんですけど。

もともと営業マンだし。

でも、本当に心を開いて会話を楽しんでるかっていうと、
そういう感じの性格じゃなくて。
言うたら、よそいきというか。

みなさまを迎え入れて、喜んで帰ってもらえれば、
それで別にオッケー、っていう感じなんですよね。
それはもう、店やるやらない関係なしに、
僕自身の性格なんですけど。

うん。


なんでしょうね、
お店でカレー食べてもらってるっていう
コミュニケーションが、時間としては、
ウェイトが大きいは大きいんですけど。

それ以外のところで、 空いてる時間に、
違った形で人と接点を作っていったり、
人と人が交わるきっかけ作りをするのは、
好きなんですよね。

自分があげたトスによって、違う人生が流れ始めるとか、
自分が開いたワークショップがきっかけになって、
新しいお店ができたりとか。
そういう風な関わり方ができるのがすごく楽しい。

「100人カレー」のワークショップのことを、
豊田さんは「恩送り」って言ってましたけど、
そういう、循環を作るイメージなのかな。

そう、自分自身がほんと、
不思議なご縁の波に乗っかってここまで来たっていうのもあって。
今度は自分が、そのご縁の波を作る側というか。

僕は自分で自分のことを、
「ご縁サーファー」って呼んでるんですけど。

ほうほう!


目の前に来た、面白そうなご縁に乗っかっていく。
それが人生を楽しむ本当のコツだと思っていて。

そういう波に乗っかったからこそ、
僕は今ここにいて、ハッピーになれてるんですけど、
それは、誰かが起こしてくれたご縁の波なんですよ。
自分自身もそういう、ご縁の波を起こせる人でいたいなと。

「恩送り」っていうのは、そういうことですね。
僕と豊田さんも一緒に聞いたことがある、
僧侶の松波龍源さんの話の中にあった、
「余剰を与えることが豊かさ」っていうのに近い気がします。

それで思い出したんですけど、
このカレー屋の名前を決めるとき、
「ヒゲめがね」以外に、いくつか候補があって。

その一つが、僕が豊田だから、
カレー屋「豊か田(ゆたかだ)」なんていいんじゃないかと。
カレーを食べた人に、
「はあー、豊かだー!」って言って帰ってもらいたい。

ぶはははは!
思わずつぶやきが漏れてしまうカレー。

そういう案もあったんですけど。
妻に大反対されて。

そのネーミングは、
いかがなものかと。

そうそう。
なにが「豊かだー」だと。
「ヒゲめがね」は、妻推しだったんですよ。

そうだったんですか!
奥さんの発案だったんですね。

ネーミングはね。

それは、でも、
愛子さんのセンスが加わって、
よかった気がします。


そうそう。
「あのとき『豊か田』にしないでよかったね」
とは言ってますけど。
でも、なにが豊かさか、っていうのは、
すごく興味がありますね。

よく聞かれる質問で、
将来どうなりたいかって聞かれるんですけど、
「特にないです」って思っていて。

そのときに来た波に乗っていくだけ。

そうそうそう。
で、目の前に来た波を楽しんでたら、
なんか違う世界が開けていくっていうのは、
肌感覚として理解してるので。

もちろん、「これやりたいな」ていうのがはっきりあれば、
そこから逆算して人生設計するっていうのはあると思うんですけど。
今のところは、目の前で起きる波に乗っていく、っていう。

そして、自分が乗るだけじゃなく、
そういう波をバーッって起こす、
トスを上げられる人であればいいなあと思っていて。

清水さんが、僕の記事を読んで、
波に乗っかって、気づいたらこっちに来た、っていうように、
違う誰かの人生にプラスの影響を与えていける
ことがあるかもしれない。

あると思いますよ。
僕自身がそうだったし、
これからも、豊田さんの起こした波に
乗る人が現れると思います。


そういう意味では、自分を通して、
ユニークな価値の提供ができてるといいですね。
カレーだけじゃなくて、自分自身のライフスタイルを売る、
っていうのはたぶん、そういうことだと思うんですけど。

こういう生き方もあるよね、っていう波で、
みんながパチャパチャ遊んでくれるといいなあ、
って思ってます。
(2024年2月 長野県佐久穂町にて)

清水宣晶からの紹介】
僕がまだ横浜に住んでいて、この先どこに住もうかとあれこれ考えていた頃。
そのときに巡り合った一冊の本で、僕は豊田さん一家のことを知りました。

小さな子どもが3人居ながら、勤めていた会社を辞めて、Iターン移住でカレー屋を始めた豊田さん。
その暮らし方について読み進めるうちに、僕は、イエナプラン教育をおこなう日本初の小学校である大日向小学校のことや、自然豊かな佐久穂町のことを知りました。

実際に佐久穂町を見に行き、カレー屋「ヒゲめがね」の前に行った時の光景に、僕は驚きました。
この、人口の少ない町で、お店の前に行列ができていたのです。
そして、パキスタンカレーがものすごく美味しい。

町内には、同じように教育移住をしたあとに自分で開いたというお店や、小中一貫の公立校や、森のようちえん、「元気が出る」という名前の公園、など、興味をひかれるものがいろいろあったので、散歩をしながら、出会った人にお話しを聞いてまわりました。

僕にとってはめちゃくちゃ新鮮で、魅力的な暮らしをしている人が多く、この佐久穂という町の層の厚さに、僕は震えました。

それをきっかけに、長野県の佐久圏域といわれる地域に足を運ぶうちに、この場所が好きになり、居を構えることにした、というのが、僕が移住をした経緯です。

豊田さんのライフスタイルでとくにユニークなのは、営業は週3日のランチ営業だけに限っているということ。
それは、家族と過ごす時間を大切にするためでもあるし、自分の時間に余白を持つためでもあるといいます。

この考えには、僕もとても共感をしていて、常に片手が空いている状態であるからこそ、目の前に来た面白い波に飛び乗ることもできるし、自分も新しい波を作り出すことができます。

僕自身、豊田さんが作り出した波に乗って遠くまで運ばれてきた一人で、そのおかげで、思いもよらない場所にたどり着きました。
この先もまた、豊田さんが起こす「ご縁」の波に乗る人がたくさん現れるのだろうと思います。

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公開インタビュー


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