浅見子緒

フリーランス外国語講師・翻訳者
主に大手語学学院・フランス語語学校等にてフランス語講師を務める

英国で4年 フランスで1年 ベトナムで3年を過ごす
旅行・自動車業界を経て 2010年フリーランスとして独立

上智大学外国語学部フランス語学科卒
フランス語教員免許 言語学副専攻
商業フランス語上級
旧DELF DALF
実用フランス語技能検定試験(仏検DAPF)1級
(2011年7月 横浜「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」にて)

フランスとベトナム

(清水宣晶:) 子緒ちゃん、
今、横浜のフランス語学校で教えてるんだね。
職場が近所で嬉しいよ。

(浅見子緒:) あっきーって、自由が丘に住んでると思っていたから、
横浜にいるのが不思議な感じ。

7年ぐらい自由が丘に住んでたんだけど、
今年、横浜に引っ越したんだよ。
プライベートレッスンをやる時は、他の場所でも教えてるの?

そう、横浜の学校で週4日クラスを担当していて、
それ以外は都内の語学学校やプライベートのレッスンをしているの。

子緒ちゃんは、
フランス語を勉強し始めたのっていつだった?

小学校でイギリスに住んでたとき、
学校の授業で習ったのが最初で。

小学生の時!?
そんな小さい時からやってるんだ?

12歳で日本に帰国してからもフランス語を続けたくて、
中学高校でフランス語を第一外国語で出来る学校を探したの。
それで白百合に入ったんです。

授業で英語をやらないってこと?

中3の時に一年だけ英語をやったと思うのだけど、
あとはフランス語だけ。

英語が一年間だけか。
そんな学校あるんだなあ。
大学でも、フランス語学科に行ったんだよね?

そう、小学校から大学まで、
ずっとフランス語ばかりだったから、
ちょっと、そこから離れたくなってしまったことがあった。
次は、アジアに行こうって思って。

アジアのどこ?

ベトナム。

そうか、その時行ったのがベトナムだったのか。
やっぱりフランスと関わりあるけど、
そういう理由で行ったわけじゃないんだ?

そう、ちょうどフランス語に疲れ始めていた頃に、
高校時代の友達に、
「大学の卒業旅行でベトナムに行かない?」
って言われたのがきっかけだったの。
最初は、好きで決めた、というわけではなかったんだ。

うんうん。

就職活動で内定をもらった頃で、
気分転換にと思って、友達についてハノイに行ったら、
「もうここしかない!」って思っちゃって。

それは、旅行をする場所として?

生きる場所として。

おお!?
そこまで魅力を感じたんだ?

大げさだよね。
なんかもう、「呼ばれてる」って気持ちになってしまって。
日本で内定はもらってたけれども、それは断って、
ベトナムで働けるように、もう一度就職活動をしようって思ったの。

卒業旅行でそう感じるって、
すごいタイミングだなあ。

で、日本に帰って早速、
ベトナムの会社の求人に応募して、
卒業後すぐに、現地旅行会社で働くことになって。

それで、ホーチミンに3年間住んでたんだな。
ひと目でそれだけベトナムに惹かれた理由ってのは、
どこにあったんあろうね?

街中のいろんなところにカフェがあるっていう文化も好きだったし、
人がすごく良かったの。

旅の途中で出会った人?

話しかけてくれた人たちは皆ひとなつっこくて、
道行く人たちも皆一生懸命に生きているようで、
ベトナムの人の目が、本当に活き活きしているように見えたの。

どこかの国を好きになるっていうとき、
実際に自分が出会った人の影響は、やっぱり大きいよね。
またここに来たい、っていうだけじゃなくて、
ここで仕事したいって思うぐらい好きになったのはすごいな。

仕事というより、生活そのものを経験したかったんだろうね。
その場所で生活がしたかった。
出会う人って、やっぱり大事だよね。
今私がしている仕事も、人と向かい合う仕事だから、
それはいつも感じてる。

言葉では伝わらない感覚

フランス語を、習う立場から、
自分が教える立場になって、
わかるようになったことってあった?

語学に限らないと思うのだけれど、
人によって、向き不向きっていうのはあると思う。
外国語習得もその一つかもしれない。
私にとっては、たとえば「お裁縫」「お絵描き」のように、
どう頑張っても克服できない向き不向き。

ああ!
それは、間違いなくあるだろうね。
外国語を覚えるセンスの有る無しは、
はっきりと分かれると思う。

誰でも努力すればなんとかなるって思ってたんだけど、
何をどうやっても先に進めない限界というものを感じることがある。

文法とかボキャブラリーだけじゃないからね。
耳の良さみたいなこともあるし、
音に体を合わせるリズム感みたいなのもあるだろうし。

そう、リズム感てとても大事で。
リピート練習をするときに、
二人で向かい合って交互に
「アン(un)」「アン」「ドゥ(deux)」「ドゥ」
って言っていくところを、
「ドゥ」を同時に言っちゃったりして、
「あれ?」ってなったり。
私までペースが乱れて、笑いの渦が起こってしまったり、
こちらも笑ってごまかしてしまったり。

ぶはははは!
語学ってのは、小学校の科目で言うと
「国語」よりもずっと「音楽」に近いよね。

言葉では説明できないような、
微妙な感覚は、やっぱりあると思う。

子緒ちゃんの場合、
最初にフランス語を習った時は小学生だったから、
もう、気がついたら基本は知ってた、
っていう感じなんだろうね。

そう、だから、自分自身が幼いときに
どうやってフランス語のABCを習ったか、あまり覚えていない。

でも、その時に実際に住んでたわけじゃないから、
ネイティブの言語として覚えるのとはまた違うのかな。

フランスに住んでたことがあるのは、大人になってからの1年間だけだから、
ネイティブの感覚とは全然違うと思うんだよね。
私よりも生徒さんのほうが、
頻繁にフランスに行ってたり、文化を知っていたりすることがある。

なるほどなあ。
もともと、そういうのが好きな人が、
その国の言葉を習おうとするんだろうしね。

外国語の学び方

子緒ちゃん、イギリスにいたってことは、
英語は、ネイティブの環境で育ってるの?

フランス語よりも英語のほうがネイティブの感覚に近いかもしれない。
とはいえ、小学生の時の4年間だけだから、
「遊びに行こう」のような子どもの使う単語ばかりだけれどね。
咄嗟にでるのはフランス語よりも英語のほうだったりする。

ケンカの時とか?

そう、そういう時は英語のほうが言葉が出やすい。
けれど、実は、ケンカだと一番勝てるのはベトナム語なの。

あ、そう!?
ベトナムで、そういうシチュエーションが多かったってこと?

そういうことなのだろうね。
言葉って、それを使うときの場面の記憶もセットだから、
話してる言葉によって、性格も多少変わると思う。

なるほど!
それは面白いなあ。

日本人とケンカをするような場面はあまりないけれど、
ベトナムにいると、買い物で金額をごまかされそうになったり、
意見を主張しないといけない場面がたくさんあったの。

そうか。
学校の授業で習ってる言葉ってのは、
文法は教わっても、ケンカに必要な単語なんて教わらないから、
ケンカしようとしても出来ないよね。

あとは、ベトナム語が身に付きやすかったのは、
ベトナム人の性格も関係しているのかもしれない。
好奇心がすごいから、街を歩いてると呼び止められて、
「どこから来たんだ」とか「結婚してるのか」とか
いろいろ聞かれるから、ひととおりの受け答えは自然と出来るようになってしまう。
ブロークンではあるけれど、3年間生き延びられるくらいのベトナム語は身に付いた。

そういう環境だと、身につくの早いだろうな。
もし、ベトナムに行かずに、本での勉強だけで
ベトナム語を覚えようとしたら、すごい大変だよね。

すごい大変だと思う。
日本に戻って、教科書を見ても、
簡単な文章なのに、書いてあることがパッとイメージできない。
一旦その台詞の使われそうなシチュエーションを思い描いてみたときに初めて、
「ああ、あの台詞のことを言ってるのか」って、発音が思い浮かぶ。

そういう状態になるんだ?

逆に、今教えている生徒さんで、
フランスに住んでいらっしゃった方の中には、
フランス語でそういった状態の人が結構いらっしゃる。
会話は出来ても、綴りや文法に自信のない方。
日本人の多くが苦手としているコミュニケーション能力に長けている方。

そうか。
でも、現地で実際に話せたり、
言葉が通じるのは、そういう方のほうなんだろうね。

そうなの。

そう考えると、子緒ちゃんは、
英語とフランス語とベトナム語で、
それぞれ、勉強したやり方がまったく違うんだな。

まったく違う。
だから、本当は、どの習得方法が一番いいのか、
わからない。

でも、人に教えるには、
ちゃんと教科書で勉強して、
体系だてて知ってるほうがいいんじゃないかな。

そうなんだよね。
だから、フランス語が一番教えやすいのだと思う。
その方法を今度はベトナム語に活かせるかもしれない。
逆に自分がベトナム語を会話先行で覚えたから、
ブロークンのフランス語を話す生徒さんの気持ちがわかることもある。

面白いなあ。
ベトナムの経験が今に役立ってるんだね。

ベトナムから帰ってきた当時、
それをすぐには活かすことが出来なくて、
あの3年間には何の意味があったのか悩んだこともあったんだけどね。

ベトナムでの生活は、
子緒ちゃんに欠かせない要素だろうと思うよ。

本当にそう思う。
最近になってようやく、
そのことを実感できるようになった気がする。
(2011年7月 横浜「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」にて)

清水宣晶からの紹介】
子緒ちゃんは、明るく溌剌としていて、
いつも変わることのない気品を身にまとっている人だ。
僕が最初に子緒ちゃんと会ったときは、
まだ彼女がベトナムから日本に戻ってきたばかりの頃で、
国際的でボーダーレスな雰囲気を強く感じたのを覚えている。

今回、話しを聞いていて感じたのは、
その背景に、ひと続きの物語があるということだった。
誰の人生でも、多かれ少なかれそういう部分はあると思うのだけれど、
子緒ちゃんの場合は特に、何かに導かれているように
一本の道筋がつながっているような気がする。

それは、彼女が、一つ一つの出来事に丁寧に接することを
積み重ねてきたからこそ、ある時点で振り返ったときに
自然と浮かび上がってくるものなのだろうと思う。

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