内野徳雄

1974年横浜生まれ、東京在住。

日大哲学科卒業、10年近くフリーターをして、現在は神田神保町のとある古本屋店員。

好きなもの
アンジェリーナのモンブラン、カレーとナン、フランスパン、ルートビア
(2011年12月 渋谷「土間土間」にて)

のめり込む読書

(清水宣晶:) この、年末の時期って、
古書店は忙しいでしょう?

(内野徳雄:) 忙しい。
本を持ち込みに来る人も、
買いに来る人も、やっぱり今が一番多いね。

古書にまつわる話しも、
かなり興味あるんだけど、
今日はね、内野さんがこれまで
何に時間を使ってきたかを聞かせてもらおうと思ってる。

ちょっと知りたかったのは、
清水さんが、俺に話しを聞きたいと
思ってくれたのはなんでだったのかな、と思って。

最初に会った時、
すごく波長が合う気がしたんだよ。
「カラマーゾフの兄弟」について熱く語ってるのを聞いて、
この人は間違いなく面白い、と思った。

あ、そうだったのか。
ほんとに、ドストエフスキーのことは、
一晩中でも話し続けられるぐらいに、
思い入れが深いからね。

ドストエフスキーに、
最初に出会ったのはいつだった?

一番最初は、浪人生の時に、
「罪と罰」を読んだんだよ。


うんうん。

浪人時代って、
やっぱりなんか、不安な気持ちで。
ラスコーリニコフが人を殺そうとする気持ちとか、
罪の意識とか、警察からこわごわと身を隠す感じとか、
すごく伝わってきた。

感情移入したんだね。

そう、自分の状況と合致するところがあって。

そこまで、のめり込むように読めるのは、
うらやましいなあ。

ものすごく、のめり込んだね。
で、「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時はね、
幽体離脱に似た感じを経験したんだよ。

幽体離脱って、
どういうふうに!?

その時、アパートの4畳半の部屋にいて、
無印良品の、ちゃちな、
座る所が布だけで出来てる、折りたたみ椅子に座ってて。

ハンモックみたいな椅子、あるよね。

イワンとスメルジャコフが会話をしてる場面で、
「お前が殺したのか」
「そうですよ。脳天に一撃をくらわしてやりました」
「おお、そうか」と。
もう、それを読んだ時の衝撃で、
まさに本を読んでいる自分の姿が、
上から見えた。

(笑)その場面が衝撃的すぎて!
次元を超えちゃったんだね。

父親殺しって、
同時に、世界の象徴としての父親を殺す、
世の中に革命を起こすっていうのと同じことで。
もう、そうするしかなかったんだろうなあっていう、
切実とした悲しみがあって。

うんうん。

スメルジャコフっていう、
同じ人間なのに、生まれとか環境のせいで
虐げられている人間に感情移入したところは
あるんだろうね。

読んだタイミングが、
その時に求めていたものとぴったり合ってたっていうのも、
きっとあったんだな。

それは、すごくあったと思う。
ドストエフスキーっていう作家の小説を、
ここまで没頭して「面白い!」と思えるタイミングで
出会えたことは、本当に運が良かったと思ってる。

読む時期が違って、ヒットしなかったら、
「難しい、退屈」っていう印象だけ残っちゃうもんね。

(その後、いろいろな本の話しが続く)


えーと、、こういう、
とりとめのない話しをしちゃってて、いいのかな?

もう、全然いいんだよ。
それをこそ、聞きたいところだから。
今日は気のおもむくままに、とりとめのない話しをしたい。

(笑)わかった。

なにか、映画でも、
ガツン!と衝撃を受けた体験ってある?

小学校6年生の時だったんだけれど、
「アマデウス」をテレビで観たんだよ。
これが、スゴかった。


「アマデウス」は、
何に衝撃を受けた?

神と対決した男の話なんだね、あれは。
サリエリが、神の化身のモーツァルトに嫉妬して、
「神よ、私はこんなにもあなたに忠誠を誓っているのに、
あんな男を同じ時代によこした」って言って、
十字架を焼いてしまう、っていう。

主人公はサリエリなんだね。

そう、極端なこと言えば、
モーツァルトは、別に誰でもいい。
サリエリは、凡人の代表として戦って、
どんなに足掻いても神には勝てなくて、
最後は、諦念の気持ちで、
そこに悟りを見出すっていう映画だよね。

うんうん。

たまに見直すけど、やっぱり、
あの映画は恐ろしいな、と思って。
神という絶対的な存在に対して戦う、
ちっぽけな人間の姿をあらわしてる。

(その後、いろいろな映画の話しが続く)


なんか、話しを聞いてると、
どの映画も、ものすごく観てみたくなってくるよ。
映画を観てたのも、随分と早い時期からなんだね。

俺、上の兄弟とすごく年が離れてて、
兄ちゃんと8歳離れてて、姉ちゃんとは10歳離れてるの。
小さい頃に両親が離婚して、母親がいなかったっていうこともあって、
自由にいろいろなところに行けたんだよね。

あちこち出歩いてても、
あんまりうるさく言われなかったんだね。

そう、
渋谷あたりに一人で出かけたりして、
ヘタすりゃ不良になってたかも知れないんだけど。
この店に来る途中の道に、映画館があってね。

今、ユニクロが入ってるビルだね。

そこで、夜の9時からやってる、
レイトショーを観たりなんかして。

中学生でレイトショー?
入れるの?

中学生だって言うと観れないから、
大人の格好して行って。

学生のフリして安く入るってのは聞くけど、
中学生なのに一般料金払って観るってのは、
スゴい熱意だね。

映画が終わったら、もう途中までしか
帰りの電車が無くなっちゃってた時があって、
500円玉しかなくて、それでタクシーに乗って、
「行けるところまで行ってください」って言って帰ったり。

映画を観るためだけに、
遠くまで出かけてたんだな。

当時から、
神保町なんかは、半蔵門線直通で一本だったから、
岩波ホールに行ってたりしてた。

その頃から神保町行ってたんだね。
渋い中学生だなあ。
地元の近所ではやってない映画だったの?

やってなかった。
初めて岩波ホールに観にいったのが、
達磨はなぜ東へ行ったのか」っていう、
まったくよくわからない韓国映画。

ぶははははは!
超渋い!
ほんと、浮世離れした中学生だと思うよ。

哲学からの学び

大学で哲学科に行くことは、
高校の時に決めてたの?

そう、高校二年生の時に決めてた。
哲学科に行くきっかけになったのは、
カミュの「異邦人」だね。


あ、そう!
それは、どういうことで?

なんか、ガツン!ときたんだよね。
夏目漱石とか、芥川龍之介なんかにはない、
根本的なものを感じた。

面白いなあ。
何が違ったの?

「こころ」も、もちろんスゴい小説なんだけど、
でも結局、「人間」の話しなの。

そうだよね。

人間が好きだ、嫌いだ、
人間が死んだ、死なない、
争いをしたり、自殺をしたり。

うんうん。

でも、カミュっていうのは、
その残酷を、そのまま受け入れてるんだよね。
自分で自分を滅ぼすこともあるかもしれない。
もう、そういうものだよ、と。

天からの視点だね。
わかりやすいオチがあるわけでもないし、
都合のいい結末も用意してないし。

清水さん、
「ブラックホーク・ダウン」

が好きって言ってたでしょ?

うん。

あの中で、戦場の危険な場所に飛び込んでいって、
墜落したヘリの仲間を助けに行く、
っていう場面があったけど、
これがもし動物だったら、もうダメだ、
って見捨てて行っちゃうところだと思うんだよ。

死ぬ可能性が高い場所に行くんだから、
合理的な行動ではないよね。

そう、全然合理的じゃない。
だけど、カッコいい。
漱石の文学なんかだと、
それを「カッコいい」って表現する。

うんうん。

だけど、カミュの場合は、
「カッコいいの?」
まで行っちゃうんだよ。

(笑)「いや、ほんとにそうか?」と。

自分の身を犠牲にしてカッコいいことしたりした時、
それは、動物には出来ない人間的な行為に見えるけど、
でも実はそれだって、「種の保存」のためっていう、
すごく動物的な動機でしょ、って言ってるんだよね。

なるほどなあ。
一つ上の次元から俯瞰してるんだね。

恋愛小説とかドラマとかでも、
好きだ嫌いだやって、最後は、
ハッピーエンドだったり別れたりするじゃない。
でも、どっちでも一緒なんだよ。

ぶははははは!
「結局それ、やってる動機は種の保存でしょ」ってことなのか。
ものスゴい達観だな。

カミュの思想にガツン!とやられたのは、
俺の中にも、根底にそういう視点があったからなんじゃ
ないかと思う。

そうだろうね。
自分の中に全然ないものだったら、
響かないだろうからね。

カミュは、その哲学を、
文学っていう道具を用いて表現したけれど、
その元になっている思想というものを学んで、
本当にこれをわかるようになりたい、
って思ったのが、哲学科に進んだきっかけだね。

ちゃんと志を持って、
学科とか選んでるんだなあ。

で、意気揚々として大学に入って、
「存在とはなにか」とか、
バカみたいにずっと考えた時、
同じく、新潮社から出てたカミュの本で、
「シーシュポスの神話」っていうエッセイの中に、
「哲学とは何か」っていう一文があって。


うんうん。

そこで、すごくシンプルに答えているんだけど、
「真に深刻な哲学的問題はただ一つしか存在しない。
それは『自殺』だ。」
って言ってるんだね。

それはスゴい。
人生が生きるに値すると思うか否か、
っていう問いだよね。

またそれで、ガツン!とやられて。
で次に、大学2年の時に出会ったのが、
埴谷雄高の「死霊」。


あ、そうなんだ!

彼は、ドストエフスキーとカントを読んで、
文学なら自分の哲学を表現出来る、と
思ったらしいんだね。
カントが論理的な言語を駆使して書いたことを、
ドストエフスキーは、文学表現で表している、と。

うんうん。

文学っていうのは、
「お前のことが嫌いだ」って言いながら、
実は、「お前のことが大好きだ」っていう意味を
表現出来る。

ああ、、
そういうことあるね。

哲学とか数学の場合は、
「AはBである」っていったら、
それ以外の意味は無いから、
「AはBではない」っていうことと両立は出来ないんだよね。
でも、文学はその点、そういう制約はない。

なるほどなあ!
面白いわ。

もう一つ、自分の根本に影響を与えたのは、
中学生の時に読んだ「火の鳥」だった。

あれこそ、哲学的な内容を、
マンガっていう表現で突き詰めてるものだね。

風邪ひいて、病院行った帰りに、
なんかマンガ読みたいな、と思って、
SFとか好きだったから、
本屋で「火の鳥」の未来編を買ったんだよね。


未来編は、本当にスゴい。
思考の射程とか、スケールの大きさとか。

マサトが、
もう一度生命が進化するのをひたすら待ち続ける、
っていうそのスパンがね。
熱もあってボーッとしてる、っていう、
その環境ともあいまって、
より、その途方も無さが衝撃だった。

オレ、鳳凰編も、
とんでもない話しだと思ったよ。

そう!
仏師の茜丸が燃え死ぬ時に、火の鳥を見て、
「俺は、一世一代の鳳凰を彫るぞ」
って言った時にさ、
「いえ、あなたはもう死ぬのです」と。
「生まれ変わった後は、亀になるのです」
「じゃあ、その次は?」
「その次も、別のものに生まれ変わって、
もう、あなたは未来永劫、人間に生まれることはないのです」
ええーーー!?と。

ええーーー!だよね。
これ以上恐ろしい絶望は考えられない。
自分一人だけがどうやっても死ねない、とか、
未来永劫、人間に生まれ変われない、とか。

この、、、途方も無さね。
これはもう確実に、自分の根本に影響を与えてるよ。

カミュを引きずってた

大学を出た後ってのは、何やってたの?

仕事は、就かなかった。
なんかね、、ずっとカミュを引きずってた。

ぶはははは!
そこまで引きずってた!?

なんで存在して、なんで仕事をするのか、
っていうところだよね。
世の中には、歯車があったり、潤滑油があったり、
それが集まって、時計みたいなものが動いてたりするんだと思うんだけど、
その枠の中に自分が入るべきなのか、っていうことが、
疑問に思えちゃったんだね。

わかるなあ。
それは、就職活動の時期なんかは、
考えちゃうよね。

まあ、哲学科の人間なんてのは、
9割方がそう思ってて、
周りの友達なんかも、
だいたい大学院に進学してたんだけど。
でも、俺は、それも否定してた。

大学院にまで行きたいとは思わなかった?

研究室を見てると、
大学院に行ってやってることって、
「哲学学」みたいなことになってて。
誰かの哲学の解説本を書くことを一生やる、
なんていうのはイヤだなあと思って。

なるほど。
それは、なんか不毛な感じがするよ。

でも、そんな、ええカッコしいなこと言っても、
生きていかなくちゃいけないから、
いろいろな仕事をやったね。
短期で仕事をして、その後しばらく何もやらない、
っていう感じで。

夏目漱石のいう、
高等遊民みたいなもんだね。

全然そんなカッコいいもんじゃないんだけど、
10年ぐらいぶらぶらしてた。
その間、青春18きっぷで旅行したり。

時間はたくさんあるからね。

そう、風呂なしアパートに住んで、
銭湯通いしながら、お金は全然ないけど、
時間はたくさんあった。
本も映画も、、観たね。

オレは、そういうの、すごくいいと思う。
他には替えがたい経験だと思うよ。

そのうち、古書店でバイトをして、
この仕事はすごく面白いなあと思っているうちに、
社員になった、っていう感じだね。

それはでも、長い時間をかけて、
天職にめぐりあったっていう感覚なんじゃない?

どうなんだろうね。
大学を出た時に仕事に就く人生もあっただろうし、
大学院に進む道もあっただろうし、
今が正解かどうかなんてわからないけど、
でも、納得せざるを得ないよね。

(笑)納得せざるを得ないよ。
それは、肯定するしかない。
他の人生は結局、知りようがないもんね。
(2011年12月 渋谷「土間土間」にて)

【暮らし百景への一言(内野徳雄)】
人と対話するということは素晴らしい。人間の営みの中で一番素晴らしい。もしかすると、このことが人間を人間たらしめているのかもしれない、と思うほど素晴らしい。

清水宣晶からの紹介】
内野さんには、以前から開催をしている読書会にゲストとして参加をしてもらったことがきっかけで知りあった。初対面の時から、「カラマーゾフの兄弟」について熱く語る姿を見て、これは間違いなく波長が合うと確信し、是非にとサシ語りを申し出たのだった。

彼は、経済活動とは直接関係ないことばかりに、長い長い時間を費やして没頭してきた人だ。
哲学も文学も映画も、まったく腹の足しにはならないけれど、しかし、確実に人生に彩りを与えるものだと思う。そして、僕はこういう、世間擦れしていない人が大好きだ。

内野さんが本や映画について語ると、細部に至るセリフや場面まで、正確に覚えていて、本当に楽しそうに話しをする。どの作品も全部面白そうに思えてきて、ぜひとも見てみよう、という気持ちになってしまう。
話しは尽きることなく、いつまででもその、ユーモアを交えた解説を聞き続けていたい気分だった。

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