間庭典子

東京生まれ。
出版社にて女性誌の編集者として勤務したのちにフリーに。
6年間勤務したニューヨークで、ジャーナリストとしてファッション雑誌を中心に活躍。

2005年より女性誌の取材を機に走り始め、フルマラソンのベストタイムは3時間17分10秒。スパルタスロン246キロも完走するなど、「走るライター」としても活躍している。

走れば人生見えてくる (講談社文庫)
自分自身がスパルタスロンを走るまでと取材やレースを通じてあった14人のランナーのエピソードをまとめたルポ集「走れば人生見えてくる」(講談社文庫)を2009年11月に発刊。
(2010年1月 四谷三丁目にて)

まだ見ていない世界

(清水宣晶:) オレ、間庭さんが面白いと思ったのは、
マラソンのこともあるんだけど、
空手と棒術をやってるってことなんだよ。
空手と棒術って、似てるところあるの?

(間庭典子:) 両方とも、
もともと沖縄から来たもので、流れは一緒なんだけど、
棒術のほうが、身体の仕組みがよくわかるっていうのはある。
空手だと、「はい、突いて」って言われて突いても、
その場所が多少ズレても全然わかんないんだよね。

うんうん。

基本の型は空手と同じなんだけど、
棒の場合、まっすぐ腕が伸びていなかったら、
変な方向に棒が向いちゃうから、
「ああ、ちゃんと体が使えてない」っていうのがわかりやすい。

なるほどなあ。
その、型をきっちりと正しいフォームでやる、っていうのは
武術の場合、すごく大事なことなんだろうね。

そう、ちょっとズレだだけでも全然、力の出方が違ってくるから。
トータルで強くなるっていうのは、
自分がもっている能力をどれだけ活かしきるか、
っていうことなんだと思う。

間庭さんがマラソンをやるっていうのは、
やっぱり、そこらへんの興味から来てるのかな。
自分の体をもっと知りたい、とか、
自分の限界を知りたい、とか。

そうかもしれない。
最初は、雑誌の「Frau」で、
「走る女」っていう特集をやったことがあって、
当時、その記事を担当したことがあったのがきっかけだったんだけど、
「私はやらないな」って思ってて。

その時は全然、
走ることに興味なかったんだね。

で、その雑誌が出来た後に、
走ってる友達がいたから、「読んでみる?」って、あげたのよ。
そしたら、それを読んで感動して泣いた、って言って。

おお!

「みんな、頑張って走ってるんだね」って。
私は、そのことに嫉妬を感じて、
なんで、この人は、こんなに感動してるんだろう、
って不思議に思ったことが原点だね。
もしかして、自分がまだ見ていない世界とか
感覚があるかもしれない、って思って。

それで、興味を持ったんだ?

そう、空手についても、最初はそうなの。
上手い人の組み手を見た時、それがすごく美しかったのよ。
スーッて、一瞬でこの地点からこの地点に移動したり、
単純に、その身体の動きが美しかったの。
見てこれだけ感動するんだから、
やったらもっと感動するんだろう、って思って。

その感動を、自分自身の体験として知りたいってのが、
始めたきっかけなんだね。

マラソンを始める前は、
自分がフルマラソン走るなんて、想像もしなかったよ。
10kmを走った時に、「ハーフぐらいは走ってみたい」って思って。
で、ハーフを走った時に、意外とダメージがなくて、
一生に一回だったら、フルマラソン走ってみてもいいかもな、って思って。

フルマラソンてのは、
練習を積めば、誰でも完走出来るものなのかな?

出来る。
5kmを20分で走れ、っていうよりは、
フルマラソンを4時間で走る、っていうほうが、
誰にでも可能性があると思う。
これが面白いんだけど、ある程度のところまでは、
やったら必ず効果があるのよ。
そういう意味では、鉄棒の逆上がりよりも簡単かもしれない。
根気さえあって、一年間やることさえやれば、
私の母親でも出来る。

マラソンをやる面白さっていうのは、そこなんだろうね。
やればやっただけ、
必ず自分が成長していく感覚がわかる、っていう。

そこまでするの?って思う人もいるかも知れないけど、
やってると、限界を見たくなるのよ。
どこまで行けるんだろう、
どこまでタイムを縮められるんだろう、って。

246kmの障害物競走

スパルタスロンてのはさ、
あれはもう本当にオレの想像を超えてるんだけど、
フルマラソンとはまた全然違う領域なの?

あれは、マラソンていうよりも、
障害物競走だって、私は思った。

道の高低差も相当激しいだろうしね。

そう、そういうのもあるし、すべての意味でね。
預けたはずの荷物が届かない、ってのもあるし。

あ、そこから!
そこからもう障害が始まってるんだ(笑)!

そういう、運命的なところから、
何があるかわからないわけよ。

人生っぽいね。
哲学的なレースだなあ。

給水所みたいなところに行くと、
ミネラルウォーターのボトルがあるんだけど、
それを持っていっちゃダメ、って言われたり。

でも、、走りながら水は必要だよね。

そう、途中に自動販売機とかあるわけないし、
ものすごく熱いから、水がないと脱水症状になっちゃうし。

なんなの、その、
ボトル持っていっちゃいけないってのは?

でも、そういうルールがあるわけじゃないから、
ダメって言われても、「必要なんです」って交渉したり、
なんとかして持っていけばいいんだけど。

走ることと関係ないところでも、
エネルギー使うんだな。

そう、ずうずうしさみたいなものも、
あの競技には必要になってくるのよ。

なんか、海外の大会ならではの
シチュエーションなんだろうけど。

そういうところは、海外生活の経験が役に立ったと思った。
スチャダラパーの歌で「ついてる男」ってあるんだけど。

電車に乗り遅れたり、女の子にフラれたり、
同じ出来事なのに、それを「ついてる」って考える男と、
「ついてない」って考える男が出てくる歌だよね。

そうそう、その「ついてる」考え方を、
スパルタスロンの時も実践してたのね。
預けた荷物が出ないってことがあっても、
これは、ここでもたもたしないで先に行けってことなんだ、とか。

(笑)そうやって前向きに考えないと、
まず精神的にまいっちゃうよね。

あと、ものすごく長い距離を走っていると、
足よりも、胃が疲れてきて。
食べ物とか水を、体が受けつけなくなってくるの。

足よりも胃!
そういうもんなんだ?

そうなってくると、
女の子のほうが、スピードは出ないんだけど、
ずっと食べ続けることが出来るっていうタフさがある。

そうか。
出産に耐えられる身体になってるってこともあるだろうしね。

そう、女の人ってしぶといのよ。
その前に、応援で大会を見に行ったことがあって、
男の人はどんどんショボくれてツラそうになっていくんだけど、
女の人はニコニコして「これ、おいしい」って色々食べてたり。
痛みに耐えるとか、諦めないとか、
そういう生命力が備わってるんだと思う。

マラソンという自分劇場

スパルタスロンってのは、なんかもう、
一生に一度出来るかどうかっていうぐらいの挑戦だよね。

そう思った。
同じことをやれって言われたら、
もう一度は出来るかどうかわからない。

「チャレンジ・チャリティー」で、完走宣言してたってことは影響あった?
(※間庭さんは、スパルタスロンに行く前に、
有志を募って、完走した場合はカンボジアに寄付金が
贈られるというチャリティーに参加した)


あの、事前に宣言した力は、本当に大きかった。
危険なこととか、ギリギリのことをやる時って、
「自分はこのためにやるんだ」っていう、
大義名分が必要だと思うのよ。


そうだよね。
戦争に行くとか、神風特攻隊なんていうのも、
国のためとか家族のため、
っていう名分がなきゃ出来ないことだよな。

そう、実際、
そういうのに近い気持ちはあった。

そこまでの心境だったのか!

だって、レース中とか、レースが終わった後、
自分の体が大丈夫かなんて、誰も保証してくれないじゃない。
でも、「死ぬかも」と覚悟していたものでも、終わると不思議なもんで、
また今年あのレースを走った人が羨ましくなっちゃうのよ。

それはスゴいなあ。
そういうもんなんだ?

なんか夢みたいな気持ちで、
本当に自分なんかの走力で
レースを完走出来たってことが実感として湧いてなくて。
もう一回完走出来たら、奇跡とか夢じゃない、
って納得出来るじゃない?
でも同じことはやりたくないから、
前回、制限時間ギリギリだったところを、
今度は、34時間台でゴールしたい、って思うけど。

一体、どこまでストイックなんだ!

ストイックというよりも、見てみたいのよ。
そうなったら、また違う世界が広がってるだろうと思うから、
それを知りたい。

それは、好奇心なんだろうかな。
冒険家みたいなものなのかな。

これは大きい、って思うのは、
私は、マンガがすごく好きで、
マンガのために生きてるって思うことが時々あるんだけど。

マジで!?
それ、どういうことなんだろう。

走ったりとか、空手とかしたりすると、
マンガが更によくわかるようになるのね。

面白いなあ、それ。
体験を積むことによって、マンガが理解出来るって。

走るようになると、靴を変えると性能によってこれだけ違う、とか、
カーブで体の力を抜くと曲がりやすい、っていうのがあって、
ヤンマガの走り屋マンガにすごい近いわけ。

ぶはははは!
走ることで、「頭文字D」とか「湾岸ミッドナイト」の世界に入るんだね。

そうそう!
そういう世界の気持ちがよくわかるようになるの。
走ってる時の風景と、
「湾岸ミッドナイト」の首都高の風景がかぶったりするのよ。

それさ、車に乗りたくなるわけじゃなくて、
自分で走りたくなるってのが面白いね。

自分の足で走ることのほうが、贅沢な楽しみだと思うんだよね。
車を買ったり、何か部品を買ったりするんじゃなくて、
マラソンていうのは、時間をかけて
自分自身の体をチューニングアップするわけじゃない。
「一人湾岸ミッドナイト」が出来るわけよ。

ああ、そういう楽しみ方なのか。
そうなってくると、マラソンていうものを通して、
色んな作品の世界がわかるようになるね。

年をとったらとっただけ、経験値が上がる分、
読書の楽しみっていうのは増えるはずだと思う。
命を賭けて限界に挑戦する、っていうことを経験すると、
そこから、「ONE PIECE」とか「バガボンド」のドキドキ感もわかるし、
「あしたのジョー」のツラさや練習の苦しさがわかったりね。

なるほどなあ。
そういう味わい方って、今まで考えたことなかったよ。

マンガって本当にスゴいものだと思っていて、
あれって、一人の人が、脚本とかスタイリストとか作画とか、
すべての役割をこなしているでしょう。
言ってみれば、自作自演の自分劇場を作っているわけじゃない。

そうだね。
よくあれだけのことを、一人の人間が出来ると思う。

ある意味、
それはマラソンにすごく近くて。

自分自身で完結させることが出来る世界だからね。

完結出来るし、そのために何を積み上げていくかっていうことも、
自分で決めているわけだし。
どういう走り方をして、何の服を着るかっていうことまで含めて、
マラソンって、一つの自分劇場なのよ。
(2010年1月 四谷三丁目にて)

清水宣晶からの紹介】
間庭さんに初めて会ったのは、彼女がスパルタスロンに出場するためギリシャに行く直前で、その大会とチャリティーを関連させた、「チャレンジ・チャリティー」の仕組みについての打ち合わせをした時だった。
一見したところ、ファッション雑誌で見かけるようなかわいらしい女の子という印象の間庭さんが、246kmもの過酷なマラソンに挑戦しようとしているということに、ものすごく驚いた。そしてその後、制限時間ギリギリで見事に完走を果たしたということを聞いて、再度驚かされた。

今回、焼鳥屋で飲みながら話しを聞かせてもらったのだけれど、それは間庭さんの提案で、くつろいだ感じで話しが出来るようにという配慮からだった。
彼女自身、人と話しをしたり、食事をしたりということがとても好きな人で、途中からインタビューからはかけ離れた話題へとどんどん脱線していって、あっという間に時間が過ぎてしまった。

間庭さんと話しをしていると、その前人未到の挑戦へと突き動かしているものは、もっと自分の身体を知りたい、新しい世界を見てみたい、というような強い好奇心なのだということがわかる。
その好奇心に導かれるように、まだ知らない場所にどんどんと踏み込んでいこうとする間庭さんの姿勢は、本当に魅力的だと思う。

間庭典子さんとつながりがある話し手の人


対話集


公開インタビュー


参加型ワークショップ