佐々木孝仁

趣味は、立ち読みと銭湯、ロッククライミング。
最近FMラジオと読書にはまる。
好きな言葉は「急転直下」。
今一番興味があるのは「胎児育て」。

「すべての人の”その人らしさ”のために」
を理念とする 株式会社教育と探求社 勤務。

北海道出身。
(2008年5月 渋谷「attic room」にて)

熱さを感じる瞬間

(清水宣晶:) たかじんさ、「熱い」っていうことをよく言うじゃない。
どういう時にたかじんは「これ熱い!」って思う?

(佐々木孝仁:) あっきーさんにはこれ、理解してもらえると思うんですけど、
先が読めない、急転直下の展開とか好きですね。
夜中に突然バスケしに行くとか。
そういう瞬間的な気持ちの熱さも好きだし、シチュエーションのレアさもいい。

わかるわかる!
シチュエーションのレアさで「熱い」って、あるよね。
「瞬間熱」でノるのって、男同士じゃないと通じない感覚かもな。

そんな感じしますね。
その辺は、尚志さん(多苗尚志)の感覚とも合っていて、「明日ロッククライミング行くか!」とか「5日後に上海行こう!」とか、いきなり声かけられた時に、その流れに身をまかせるっていうのが好きですね。
マンガ喫茶行って、お互い一言もしゃべらないってのも何回かやったんですけど、そういうのも「熱い」って思う(笑)。
そういう熱さの中からミラクルが生まれた時っていうのは、無上の喜びがありますね。

オレ、映画とか演劇とかの物語でも、先が予測出来てしまう予定調和的なのって好きじゃなくてさ。
「この人といたからこそ、この出来事が起こった」っていう、想像もしなかった化学変化が起こった時は、最高だって思う。

そう。化学変化なんですよね。
新しいものがパッと生まれたりするような、創造的な場とか飲みが好きなんですけど、グチを言ってる時っていうのはあまりそういうことはなくて。
人が好きなこととか、大事にしている価値観を聞いている時に化学変化って起こるなって思いますね。

そういうのが起こりやすい空気ってのは、あるよね。
好きなことを言っている時ってこともあるし、あんまり人数が多くない時のほうが、予想外のことは引き出されやすい気がするな。

大勢だと、そういう自分の出し方じゃなくなってくるんですよね。
サシ呑みじゃなきゃ生まれてこなかった自分の言葉も好きだし。
普段思ってても、言葉になってないものが出てきたりとか。

心が開かれた状態になりやすい場っていうことなんだろうね。

そういう場っていう意味では、銭湯はやっぱり好きですね。
銭湯で語るのも好きだし、あの空間とか、文化そのものを愛している。
あれも、自分にとっては「熱い」カテゴリーに入るんですよね。

いいねえ。

「日本」ってのは、自分にとってキーワードですね
ちょうど今読んでる、「武士道」とかキテる!って思いますよ。
だから、古きよき銭湯とか、京都の街並みとか、見るたびにこういうのすごい大事だよな、ってことを考えずにはいられない。

ぶははははは!
考えずにはいられない!

そう。日本ってほんといい物がたくさんあるなあと思って。
昔は寺社仏閣とか見ても何にも感じなかったんですけど、
今は、やっぱり敬虔な気持ちになりますね。

自分らしさの定義

あっきーさんは、人生の目標って何かありますか?

何かを成し遂げたいとかっていう目標じゃないんだけど、
世の中の色んなことを、今よりももっとわかるようになりたいとは思うな。

僕が、教育の仕事をやる時に、エニアグラムっていうテストがあって、人のタイプをざっくりと9種類ぐらいに分けるんですよ。

どんな種類があるの?

「権力を求めるタイプ」「知に身を捧げるタイプ」「ボスになりたいタイプ」「完璧を求めるタイプ」「何かを成し遂げたいタイプ」・・とか色々あって。
その中では、あっきーさんは「知」を重視するタイプの感じがしますね。

あー、そうなのかもなあ。
たかじんは、どのタイプ?

僕は、色々入り混じってるんですけど、
一番強いのは「人と違うことをしたい」欲求に身を捧げるっていう、芸術家に多いタイプなんですよ。
だからかも知れないんですけど、
オリジナリティーとか多様性とかを、人についても容認したいんと思うんですね。

うんうん。
自分も好きにやるから、他の人も好きにやっていいよ、と。

自分が大事にしているものがあって、他の人は他の大事なものがある。
お互いに認め合って、社会は成り立つ、っていう考え方ですよね。
だから、自分らしくないなって思うことをしてる時にはストレスを感じますね。

そのさ、「自分らしい」って言葉なんだけどさ。
「自分らしい」ってどういうことなんだろう。
そうじゃないことが出来るのか?って、オレは思うんだよ。
どうやってもさ、それがその人の個性なんじゃないのかな?

それも、わかるんですけど。
やっぱり、自分らしくない時ってのはあると思ってて、それは、「自分にウソをついている」っていう時ですね。
簡単に言うと、自分のとった行動をあんまり納得していなくて、後から自分を正当化したいような気持ちが続いているような時は、自分らしくないと思います。

あー、そういう時か。
たとえば仕事をやってるとさ、自分のやりたいことを、そのまんま出来てることってあんまりないじゃない?
会社から言われたことを、仕方なくやってたりとか。
そういう時って、自分らしくないってことなのかな?

えっとね、僕、このへんの話し、すごく好きなんですけど。
「やりたいこと」とか、「なりたい自分」とか、結構あやしいと思ってるんですよ。
「ホントにそうなのか?」と。

おお!?

みんながみんな、やりたいことだけをやってなくてもいいんじゃないかなって気がする。
大きな基準としては、今の状態が気持ちいいか、とか、素直に腹におちているか、ってことが重要なんです。
やりたいことやってなくても、そういうことをやってる自分が好きだ、って思えてる状態なら良くて。

面白い!
それ、詳しく聞きたいな。
「やりたいこと」をやることは、あまり重要じゃないんだ?

やりたいことありきで、やりたいことに到達したんじゃなくても、
やってみれば面白かったから、それが楽しくなってきた、っていうパターンもアリだと思うんです。

ドンピシャでやりたいことをやっているってことよりも、
今の自分を肯定出来るかどうか、のほうが大事ってことかな。

そうですね。少なくとも、「やりたい」っていう軸ではないですね。
たとえば、家族を養うためにこの仕事をやっている、っていうのでもよくて。
重要なのは、その在り様というか、自分が何をすることに意味を感じるかっていうことだと思うんですよ。

「やりがい」が軸ってことだね。
たかじんは、それを基準に「自分らしさ」を考えてるんだな。

あっきーさんは、どうですか?

仕事については、たかじんと同じ考えかな。
仕事は、やりたいことでなかったとしても、自分に適性があることをやるのが一番だと思う。でも、それとは別に、仕事にならなくても、自分のやりたいこともやっているのが理想だな。

僕は、何においても、あるべき姿でいる、というのが究極の理想と思うんですね。
人にはそれぞれ、「天から授けられたギフト」っていうのがあると思うんですよ。
その天職をまっとうする生き方が、あるべき姿。

なるほどな。
その天職は、やりたいこととは限らないってことだね。

そう。
範囲がもっと広いんですね。
「やりたいと思う」ということも、天分の一つだと思うし。

気づきを得る場所

たかじんは、一人でいる時には、
どういう時に気づきを得ることが多いの?

俺、けっこう色々なところで、すぐ妄想するんですよ。
水滸伝とか読んでると、「オレは・・何タイプだ?」っていうことをふと考えたり。
「林沖では絶対にないな、、、」とか。

ぎゃははははは!
水滸伝は、読みながら、自分は誰に近いかな?って考えるよね。

引き金っていうのが色んなところにあるんですよ。
地下鉄の階段を登って、地上の青空が見えた時に「あっ」てひらめくこともあるし、
プレイボーイとかのグラビアを見ても気づくことはあるし。
日常の色んなところにきっかけがある感じなんですよね。

うんうん。
オレはそれ、「心の中のフック」って言うんだけど、
たかじんは、フックをたくさん持ってるんだな。

人と会っている時でも、気づきはあちこちにあって。
全然会いたくない人と偶然会っちゃって、なりゆきでサシ呑みになっちゃったとしても、終わった後「なるほどー!」って思うことは、やっぱり多いですね。
変な運命論者じゃないけど、「まあ必然的にそうだよね」っていう受け容れかたをします。

ああ、だいたい、
「これでよかったんだ」っていう結論になるんだ?

だいたい、そうなりますね。
自分が通風になったっていうことを話したとき、
一番単純に取る人は、「通風大変だね」っていう反応なんですよ。
でも、一つ上のレイヤーから見たら、「健康に気づいてよかったね」っていうメッセージに思えるし、このタイミングで通風であることに意味があると思える。
ポジティブ結果論者みたいに見えるかも知れないですけど。

それって、一番重要なことだと思うよ。
結果に至るまでの過程の考え方は人それぞれでいい、と思うんだけど、
ただ、結果については、ポジティブに考えられる人じゃないと、オレは、一緒にいてツラいな。

それは、すごいよくわかる。
プロセスの部分の考え方が違うことは、個性なんだから問題ないんですよね。

うん。
プロセスは人それぞれで、そこはまあ、趣味みたいなもんで。

そう、趣味ですよね。
友達はね、そのことを「性癖」っていうんですよ。
性癖は人によって違う、と。

あー、なるほどなあ。
体が感覚的に「いい」と感じるってことだから、その言葉のほうがしっくりくるね。

しっくりきますよね。
正しいか正しくないかって、俺の中ではどうでもよくて。
だって、みんな正しいんだから。
だから、俺は、自分のやってることを正当化しようとするっていう行為に違和感を感じるんでしょうね。
(2008年5月 渋谷「attic room」にて)

清水宣晶からの紹介】
たかじんには、さりげない安心感がある。「たかじんに任せておけば、間違いない」と思わせる頼もしさを持っている。それは、単に、頼んだことをきっちりとこなしてくれるというだけではなく、何か予想外のアクシデントが起こったとしても、こちらの意図を正しく汲んで、臨機応変に融通をきかせてくれるだろうというところまで含んだ安心感があるのだ。
たかじんに対して何か、ちょっとムリっぽい注文をしてもらえれば、きっとあなたにも理解していただけると思うのだけれど、びっくりするぐらいの割合で期待に応えてくれる。それも、無理難題であるほど嬉々として、きっちりと。
この、ソフトさとハードさの絶妙なバランスはたかじんの大きな特徴で、このインタビューの書き起こしをしていて、あらためて思ったのだけど、たかじんのしゃべりには文語がやたらと多い。文章を書くように言葉を発する。これはかなりユニークな性質で、感覚の部分が柔軟にもかかわらず、ものの思考が非常に論理的なのだ。
それに加えて、興味の幅と知識の幅がとても広い。すべてのことを自分に引き付けて考える習慣ゆえだと思う。あらゆる物事を関心の対象として取り入れて、自分の言葉に変えて語るたかじんは、これ以上望みようがないぐらいの、よい語り相手だ。尽きせぬ話題についてこそ、たかじんとはじっくりと話しをしてみたい。

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