石田直己

1993年 慶應義塾大学経済学部入学
1995年 慶應英語会(KESS)委員長
1996年 ニューヨーク大学留学
1998年 モルガンスタンレー(経理部)入社
1999年 ウォーバーグ証券(現UBS証券)調査部入社
2004年 日経アナリストランキング 中小型株部門1位
2004年 ヘッジファンド入社
2010年 ヘッジファンド退社(6月)
2010年 ルミナス・インベストメント設立 代表取締役
(2008年4月 勝どき「石田邸」にて)

KESSに育てられた

(清水宣晶:) やっぱり石田には、KESS(大学時代に所属していた英会話のサークル)から受けた影響ってことを聞かないと始まらないな。
オレらの代で一番KESSに育てられた人といえば、なんといっても石田と有光(有光信也)だと思うんだよ。

(石田直己:) オレはそれ、やっぱりめちゃめちゃ大きいんだよ。
KESSには、ほんとに感謝してる。

精神的な意味だけじゃなく、技術的な意味でも役に立ってる?

それはもうね、俺の仕事ってのは、世の中で一番KESSの技術を活かせる職種なんじゃないかと思うよ。論理的に相手を説得してナンボだから。
しかも、それを英語でやるってところがポイントで、仕事の相手はみんな外人だからさ。

当時はそれこそ365日24時間、KESSのことばっかり考えてたからな。
その後、あの時代を超えてないの?

超えてないね。
これからもたぶん一生、超えることはないだろうな。

あれはさ、一体何だったの?
何もそこまで頑張らなくていいのに、ってレベルまで石田は行ってたじゃない?

それをね、あそこまでやらせる伝統というか、教育システムがあったんだよね。

でも、みんながみんなそうなるわけじゃないでしょ。
1年の時の石田からは考えられないぐらい、中央委員になって成長したじゃない。
なんで突然、あんなに責任感が芽生えたの?

やっぱり2年生の時の、加藤さんとかからの引継ぎはスゴかったんだよ。
上の代からの、熱意とかKESSへの想いに感動したんだな。
だから、俺もOB会とかで後輩に会うたびに、少しでも伝統を伝えることでなんとか恩返しをしたいと思ってるよ。

あの、KESSの厳しさを他の人に説明しようと思ってもさ、
「いや、でも、体育会系の運動部ってわけじゃないし、所詮はサークルでしょ?」って感じの反応で、イマイチ伝わらないんだよな。

所詮は学生のサークルだから、ってバカにする人は、学生の時に本当に真剣にやってないんだろうと思うよ。
大学のサークルでも本当に真剣にやってれば、それが数百人の組織であっても、大会社を経営するのと同じくらいの学びはあると思うけどね。

そうだね。

大学の時ってやりたいことはみんな色々あるんだろうけど、どこかのタイミングで、「自分はもう大学生活はこれをやり遂げるんだ」っていう決意というか覚悟を決めたんだな。

覚悟の違いは、はっきりとあったよなあ。

それぐらい覚悟を決めて一つに決めたほうが後々いいんだろうなあとは思ってたからさ。まあでも、そういうことも含めて、そう思わせるぐらいKESSっていうサークルはスゴかったんだってことだと思うよ。

仕事のストラテジー

どこか、自分の仕事の中で、ターニングポイントってあった?

やっぱり、UBS証券にいた時代に、日経のアナリストランキングで1位を取れたってことが大きかったな。それまではほんと、丁稚奉公みたいな存在だったからね。
上のシニアアナリストが「お前、要らない」って言われればそれでクビだし。
自分が書いた投資レポートが、名前は上司のシニアアナリストで出されるっていうのが日常茶飯事の世界で、それで消されていくアナリストは山ほどいるから。

大学で、自分の書いた論文を教授に取られる、っていうのと同じか。

そうそうそう!まさに戦国時代みたいな世界で。
それも最初は、経理部としてバックオフィスから入ったから、すごい成り上がりだよ。

そうだよな。
そう考えると、豊臣秀吉並みの出世だね。

もともとはやっぱり、つぶしがきくっていうことで経理の仕事を選んだんだよ。
で、もっとつぶしがきくのは英語だから。

英語が話せて経理が出来ますってのは、確かに一番どこでも通用しやすい技能かもな。

今から考えれば、あのスピードで辞めたのはよかったと思う。
最初、経理部で入った会社は1年で辞めたから、その後、第二新卒として扱ってもらえたけど。
「石の上にも三年」とか言うけど、3年も勤めてた日には、どうしようもなくなってたな。
経験なくても雇ってもらえるのは24~25歳までだね。

聞いてるとほんと、その場面場面で、いい選択をしたんだな。

ラッキーというのもあるし、リスクを取ったり避けたりっていうストラテジーもあった。
あと、失敗するかも知れないけれど、きちんと目標を持って、失敗の原因を考えて改善策を考えていけば、いつかはうまくいくはずって確信があったな。
正念場だと思った時に頑張れたってのは、やっぱりKESSのおかげだね。

この先のステージ

石田はこの先、引退したら何やるの?

基本、この仕事が好きだから、やっぱり個人的に今の仕事は続けていきたいな。
それぞれの業界の人と話しが出来たり、世界経済のダイナミズムに触れられるというのもあるし。
アメリカとかロンドンで起こったことが直接響いてくるってのは、面白いね。
ウチのボスが何百億とかの資産を持ってても続けてるのって、それが楽しいからだろうし。

そうなんだろうね。

子供が出来たら、子供といる時間が持てればそれも理想と思うし。

そうだよな。
どれだけ仕事がうまくいってても、子供と過ごす時間がないってのは寂しいよな。

就職活動の時、色んな人の話し聞いててもさ、
金が稼げる仕事とかやりがいがある仕事って、それと正比例して忙しいんだよね。

まあ、だいたい、金か時間かっていう二択になってくるね。

そういう意味で、この仕事は理想的なんだよ。
今、時間的余裕もあるからね。

それはスゴいな。
そんなに時間の余裕があるってのは意外だった。

今やってる仕事はレポートをたくさん書くって話しじゃなくて、経験とセンスの仕事だから。
何がいいって、やっぱり、これはずっと続けていける仕事なんだよ。

プロ野球選手とかと違って、体力が衰えたら続けられないってことでもないしね。

そう、むしろ、経験を積めば積むほど、味が出てくるはずなんだよね。
「いい仕事」「悪い仕事」ってあえて分けるとすると、何年経験を積んでも変わらない仕事って、給料も上がらないし、やりがいもないと思うんだよ。
それだと、昨日今日入ってきた若者のほうがよく働くはずだし、低賃金だからいい、ってなっちゃうのはせつないよね。

その「いい仕事」の定義は、オレも同感だな。

今の仕事は、とりあえずあと10年はやろうかな。
ウチのボスが今50歳だから、彼が辞める時が、俺の辞める時かな。

10年後としても、まだ45歳だからな。
まだまだ、それから新しく出来ることもありそうだね。
(2008年4月 勝どき「石田邸」にて)

清水宣晶からの紹介】
石田は、大学時代に所属していたKESSという英会話サークルの同期で、彼はその102代目にあたる委員長だった。
石田は、委員長としての資質にもずば抜けたものがあったけれど、それ以上に、とにかく努力の人だった。不眠不休でひたすらに頑張り、その体力と根性は「とても同じ人間とは思えない」と言われるほどだった。
委員長としてサークルのことを考えに考え貫き、それを近くで見ていたオレは、「人はここまで一つのことを突き詰めて考え続けることが出来るものなのか」と感動を禁じえなかった。
お互いの家がスクーターで10分程度の近い距離だったので、夜中にふらっと遊びに行っては、酒を飲みながら一晩中話しをすることもよくあって、どんな些細な事柄でも、とことんまで考えを進める石田は、話しあうネタの尽きることがない語り相手だった。
その後、社会人になっても相変わらず人間離れした働きぶりで、日経の証券アナリストランキングで1位という快挙をみせている。今も石田はとんでもなく突き抜けていて、尊敬出来る、畏友といっていい存在だ。

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