高木大

神奈川県生まれ、東京在住

政府機関での投資部門、レジャー企業でのプレス部門などを経て2000年にインターキャストを起業。現在はネバダ州政府日本事務所の代表も兼務している。

MBA学生でもあり、レース研究の傍ら将来のビジネス展開に向けてレーシングカートチームを運営、自身もドライバーとしてレースに出場(10レース中、優勝二回・2位三回・3位三回 / 2009年度富士スピードウェイ耐久シリーズにてタイトル獲得)。

また、フォースインディアF1チームの日本市場マーケティング業務、青学と産学連携プロジェクトでレーシングマシン製作などに携わっている。

http://www.intercast.co.jp
(2009年4月 船の科学館駅前「国際交流館」にて)

レースと経営学

(清水宣晶:) 高木さんが会社を作ったのって、
僕と同じくらいの時期だったでしょう?

(高木大:) 2000年だったんで、同じ年ですね。
だから、当時から清水さんのことは知ってたんですよ。
同じくらいの歳で、同じようなことをやっている人がいるな、って。

嬉しいですよそれは!
高木さんって、F1に興味を持ったのはいつからだったんです?

小学校の時に、テレビで中嶋悟さんを見たのがきっかけで。
高校の時には、レースの道に行くために理系に進もうと思ってたんです。

ん?
ということは、その頃は、ドライバーのほうじゃなくて、
設計や開発をやりたかったんですか?

そうですね。
カートに乗りたいと思っても、ウチ、そんなにお金があったわけじゃなかったんで、やろうと思ったのは、レースの現場のほうだったんです。
でも、理系の勉強が全然ダメで(笑)。

(笑)それはなんか、せつないですね。
設計って、理系の勉強が出来ればいいってものでもないのに。

中学校の時から会社経営っていうことにも興味があったので、
途中から、これはもう、経営の道で行くしかないな、と思って方針を変えて。
文系で経営を学ぶ事にしました。理系と文系の橋渡し役にもなれるとも思っていましたね。

うんうん。

入学してからは、勝負をかけて、
学校に行きながらビジネスもやり始めようと思って・・・
あとは将来大学院も行く事も考えていました。

その頃からすでに、MBAのことまで考えてたんですね。

仕事を始めるっていっても、資本が必要なF1のビジネスがいきなり出来ないっていうのは知ってたんで、クラブのフライヤーや、雑貨屋やカフェのホームページのデザインなんかをやってたんです。

デザイン活動をやっていたり、少しDJなどしていたせいで、クラブとか、デザインとか、カフェとか、そういうものが好きだったから。

外国と関わりが出来たっていうのはその頃?

その頃、2ヶ月くらいアメリカに留学したんですね。
英語もやっておこうと思って。

高木さんて、パソコンとか、経営とか英語とか、
主要なスキルを抑えてる感じですね。

抑えどころは抑えとこうと思って(笑)。
特に経営・マネジメントに関してはデザイン・レース・その他何でもそれらは経営の上に乗るソフトとしてとらえて、ベースは同じ物で進められるとの持論なんで「経営」とは何であるかをいつも勉強していますね。

あと、昔は英語は苦手だったんですけど、顔が日本人ぽくないせいか、留学先ではタイの人達とばっかり遊ぶようになって、それでだいぶ慣れましたね。

会社経営とMBA

留学から帰ってから、ウチは実家が相模原なんで、近くの米軍キャンプでバイトをしてたんです。そこでも留学の続きと言うか、雰囲気と言うか勉強になったと思います。

その後、カリフォルニア州政府日本事務所での求人を見つけて、投資担当として働くことになって。そこではホームページを作れる人材も必要だったみたいでそちらも任されました。

あー、州政府の仕事は、その当時から。

そこが良かったのは、スタッフの人数が少なかったんで、自分でプロジェクトを企画出来たり、好きなようにホームページを充実したり、すごく自由にやりたいことが出来たんですね。

学生の時から仕事のやり方を覚えるには、
ものすごくいい環境ですね。

そう、インターンからそのうち正社員のような状態で仕事をさせてもらって。
で、周りの人もみんな、僕が会社を作りたいっていうことは知ってるので、「ここで仕事しながら、自分の会社も作ればいいじゃん」って言ってくれたんで、会社を興すことにしたんです。

あと、その数年の間には一度退職して、民間のレジャー関連企業でプレスの部門を担当していたりもしましたね。

なるほど。
州政府と自社の2つの会社を兼業する感じで。

昼間は電話は自分の携帯に転送電話にしておいて、
州政府の事務所で取れるようにして。

それはいいなあ。
全部の体制を整えてから起業するよりも、
そういう、「早く、ゆるやかに始める」ほうがうまくいくとオレは思います。

今考えると、かなり融通を利かせてもらってたんですよ。
で、だんだん自分の会社の方が忙しくなってきたんで、
州政府の事務所を辞めることになった時にも、
それまでやってた仕事を、外注っていう形で、同じようにまかせてくれたり、
とにかく州政府の皆さんにはとてもお世話になり今でも感謝しています。

会社を西麻布に作ったっていうのは、青学に近かったからですか?

そうです。あとは取引先の各国政府機関からも近かったからですかね。
MBAを取るっていうのは、ずっとやりたかったことなんで、学校に近いところを仕事場にしておいて、学校の近くに住んで、4年くらい経って会社が落ち着いた頃、ようやく大学院に通い始めましたね。

実際に自分で会社をやってからMBAを勉強するのって、
経験がない状態で勉強をするよりも、
ずっといいでしょう?

一番いいのは、授業で聞いて、いいと思うことがあったら、
「来週やろう」って、すぐに実行出来ることですね。

ぶはははは!
たしかに!

今日も、ブランドの授業受けて、すごく良かったんで、
これは来月からやっちゃおう、とか。
あと、課題レポートも、自分の会社をテーマにしてやったり。

それはいい(笑)!
僕は、経営のことを勉強したことがないからわからないんだけど、
MBAで勉強することって、実際に役に立つもんですか?

自分もあんまりマジメにやってないほうなんですけど(笑)
しっかりやったら、本当にすごいと思いますね。

数少ないマジメにやった科目は(笑)仮想ビジネスゲームですかね。
世界中のMBAの学生と企業経営を競い合う面白い科目です。
取締役会なども行うかなり本格的な物です。これは半年間ほぼ徹夜の日々だった辛かったけど楽しい仲間との思い出ですね

他にはケースメソッドで、色んな会社の事例を研究することが出来たり・・・
清水さんはあんまり経営には興味ないですか?

僕の場合は、会社を作ったのって、
経営よりも、もの作りを好きなようにやりたいっていう動機だったんです。

僕もデザインが好きなんで、自分で作れなくなっちゃったのは残念ですけどね。
でも、マネジメントも好きなんで、役割分担として経営を担当している感じで。
そればっかりだと、手に職がついてない気がするので、なるべく現場にも関わりたいと思ってます。

真剣さを伝える

MBAの課題では、何を研究テーマにしてるんですか?

レース業界全般について研究していますが、現在は「レーサーのキャリア構築」っていうことをテーマにしてます。

キャリア構築?

プロドライバーになるっていっても、
ただ、「速くてなった」っていうストーリーしか見えなくて。
たとえば、僕がプロドライバーになるっていっても、あまりに遠くて、道筋が見えないじゃないですか。

それは、たしかにわかんないですね。
会社に就職するのと違って、入口がわからない。

雑誌やウェブでも、「どこどこでステップアップして・・」っていう記事はあるんですけど、それだけじゃよくわからないから、自分で聞いてみたいと思って。
F1やルマンなどに出場している・していたプロレーサーの人たちに話しを聞かせてもらってます。

そういう人たちには、
どうやってコンタクトをとるんです?

それも、偶然なんですけど、元F1ドライバーの息子さんが青学の自動車部の後輩だったり、ル・マンシリーズに参戦してる人が、MBAの先生の友達だったり。あと、もちろん飛び込みでお願いする事もあります。

なんか、意外なところでつながってますね。

本当にそうで。
なるべく、自分の周りの人とか、取引先の人とかに、
自分の好きなこととか、やりたいことを言うようにしてると、
思いもしないところでつながったり、紹介をしてもらったり、ってありますね。

それは大事だなあ。
周りに話してなかったら、そういう偶然も起こりようがないし。

で、実際に話しを聞いたら、やっぱり、本とかに載ってるのと全然違って。
レンタルカートで遊びで乗ってたら、ショップの人が見てて、
「こいつ速い」って、声かけられてレースの世界に入った、とか。
そういう話し聞くと、すごく現実味が湧くじゃないですか。

人それぞれ、レーサーを職業にするまでのいきさつって全然バラバラだろうし、その部分のストーリーって面白そうですね。

ただ「大学院生で、研究をしてます」って言って、話しを聞きたいっていうだけだと失礼だと僕は思っているんです、断られるとも思いますし。
でも、僕自身もレースに出ているから、それで耳をかしてくれるところがあるのかもしれませんね。それもただ道楽で出ているのでは無くて、低予算の中で分析・マネジメント・トレーニングなど含めて勝つ為に頑張っていますよ。
レースは職人の世界ですしレースをやったこともない、ただ好きなだけのファンっていう立場だと、受け入れられなかったんじゃないかと思います。

ああー!
それはわかるなあ。
雑誌の取材っていうのは、やっぱり、よそいきの顔で、
こいつは仲間だ、って思われないと話してくれないことってありますね。

真剣さが伝わらないと、相手にしてくれないんですよ。僕も逆の立場なら同じだと思います。
この前、カートの大会で優勝することが出来たんですけど、アマチュアでも勝つのは大変だって分かってくれていて、お祝いのメッセージを頂けたりしてやっていて良かったなと、特にそういう時に心から思います(笑)。

そういう風に、仕事以外にもう一個、
別の軸があるってのは面白いですね。

色んなことをやりながら、
なるべく、何かがリンクするようには気をつけてるんですけどね。

国際交流っていうことに関わっているのも、
延長線上に、レースっていうことがあるんですか?

色々な国の人とも知り合っていつかは、ヨーロッパのレースに参加したいっていう気持ちはありますね。

ただ、もともとレースとは関係無く、海外で働きたいっていう気持ちのほうが先にあったんですが、いま、ここ(お台場の国際交流館)に住んで、周りが外国人の方々ばっかりなんで、思っていたのにかなり近い環境になってます。
(2009年4月 船の科学館駅前「国際交流館」にて)

清水宣晶からの紹介】
高木さんは、いつ会っても楽しそうだ。
web制作の仕事を一緒にやっていて、打ち合わせをする時には、スーツを着たままマウンテンバイクに乗ってやってくる。
本業以外にも、大学院に通ったり、カートレースのドライバーをしたり、国際交流施設のマネージャーをやったり、2足どころか、3つも4つも同時に草鞋を履いて、いつも色々なことをやっている。

話しを聞いていると、これまでにやってきた様々なことが全部リンクしていて、「運がいいんですねえ」ということになってしまいがちだけれど、そうではなく、高木さんはみずから積極的に身の周りの人や出来事をつなげていって、自分の人生をデザインしてきた人なのだ。

高木さんは、自分が好きなことをやっている分、会社の人たちにも本業の他に好きなことを熱心にやることを勧めている。会社の仕事で完結するのではなく、それを媒介として、環境支援や、縁をもった人たちの支援をすることで、もっと大きな社会と関わりを作っていっている。カッコいい働き方だと思う。

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