武藤貴宏


我武者羅應援團 華の團長
東京都千代田区東京逓信病院逆子の為、帝王切開により手術室出身。
http://www.gamushara-oendan.net/
(2009年3月 渋谷「attic room」にて)

ファーストネームで勝負したい

(清水宣晶:) むっちょりは、アメリカの大学に進学したけどさ、
日本の大学を受験しようとは、最初っから思わなかったの?

(武藤貴宏:) 高校の授業で、たとえば古文で、竹取物語を読んだ時にね、
僕は、何をそこから学ぶかが重要だと思ってたのね。
活用が未然形だろうが、已然形だろうが、どうでもよくて、
みんなで、竹取物語から何を感じていて、何を面白いと思うのかってことを話そうぜ!
って心の中で思ってたんだけどさ。

熱いなー、それは!

でも、言わないよ。小心者だからね。

(笑)口に出しては言わないんだ?

「先生そうじゃねえんだ!俺はこうなんだ」
って言えれば、何か変わってたかもしれないんだけど。
でも、周りは、今のままでオッケイ、っていう雰囲気出てるんだよ。
活用が何形なのかとかを必死に覚えてて。
それが僕はイヤで。
僕は、未然形なのか何なのかわからないけど、
「俺めっちゃ、竹取物語、感じようとしてるんですけど!」みたいな。
でも、それはテストでは評価されないしさ。

そもそも、受験勉強っていうのをしなかったの?

全然しなかった。
僕はここにいると、まずいでしょ、って思って。
日本の大学の評価システムでは、未然形か已然形かわかる人がいい大学に入れる、
っていうのなら、僕は無理だな、と。

高校生の時点で、そう思ったんだ?

高校が結構、進学校だったから、
周りはみんな、すごく勉強もやるんだよ。
でも、大学受験のためにやってるんだったら、僕はそこがゴールじゃないなってのは感じてたし。

むっちょりってさ、
それまでの間、ずっと周りにあわせて過ごしてきたじゃない。
それでいて、進学っていう時にみんなと違う方向に踏み出すっていうのは、
かなり決心が必要だったんじゃない?

そのまま流されていくほうが怖かったんだね。
アメリカに進学する人なんて、誰もウチの学校にはいなかったんだけど。
そのままいくと絶対まずいな、っていう自分の中で確信はあったわけ。
高校一年から、ずっとそう思ってたからさ。
「蜂起せよ!」って。

映画の「今を生きる」みたいにね。

そう。
なんでみんな机の上に立たないんだろう、って思いながら。
と言いつつ、一人で立ったらアホだな、って思うから、
おおっぴらにはやらないんだけど。

むっちょりは、大学を卒業して日本に戻ってきた後も、
アウトドアのインストラクターとかをやってたから、
就職っていうのはしてないんだよね?

アメリカ人のしかもアウトドア好きのメインストリームから
外れている連中と生活をしていたら
大学でたらすぐ就職をしなければいけないという感覚が
なくなってしまったから就職はしなかったね
アウトドアってさ、ほんと、会社とか 肩書きじゃなくて、人柄しかないんだよ。
僕が尊敬するインストラクターの人達も、生き様そのものがクールで、
そういうところをリスペクトしてたから、その影響があるんだね。
まず、ファーストネームで勝負しよう、と。

そうだよなあ。
自然の中で、生きるか死ぬかっていう瀬戸際になったら、
肩書きなんか何の意味もないもんな。

アメリカだと、スモールビジネスとか、
やりたいことやって一人立ちしてる人がクール、
っていう空気がアウトドアやっている連中には
やっぱりあって、
その価値観は強く自分の中に残ってるね。

熱と熱の対決

芸術家の成功を2つの側面に分けるとしたら、
芸術的成功と、興行的成功があると思うんだけど、
むっちょりは、片方に偏らずに両方を見れる、俯瞰視点がある人だと思うんだよ。

芸術が、その人自身だけで完結してると思ってないんだね。
その社会にあるからこそ、その芸術っていうのは生まれてくるっていうか、
その人から全部は出てこないと思っていて。
立場や時代や周りの人だったり、経済の状況だったり、すべてを踏まえて出てくるものだから、そこは切り離して考えられないと思ってる。

むっちょり、前にデジハリ(デジタルハリウッド)に通ってたじゃない?
「デジタル」っていう部分にも、興味ってあった?

ちょうどその頃、梅田望夫さんの「web進化論」とか読んでた頃でさ。
あの本って、みんなで知を集約すればすげえこと出来る、とか
可能性としてwebっていうのは熱いんじゃねえの、ってこと言ってるじゃない。
だったら、「その中に俺もまぎれたいでしょう!」みたいなのがあって。
そういう旗あげてる所に向かって「よっしゃー、行くっしょー!」っていうノリだったね。

(笑)祭りみたいなもんだね。
それもやっぱり、デジハリに通ったのと関係あるのかな。

藤本先生っていう、デジハリを作った人が説明会で、
「ウチの学校を、卒業するということよりも、
ここで、誰と出会い、何をするかが重要だ」っていうことを言ったとき、
また、「キターー!」って思って。
教科書を暗記するだけの勉強はものをすごく無意味だと思ってたからさ。
僕の求めてた学校はここにあった、って感じたその瞬間、「入ります!」みたいな。
そういうのが全部つながって、デジハリに入ったんだね。

むっちょりがやってる応援団って、
表現としてはアナログじゃない。
ステージから観客に向かって直接伝える、という。
やりたいことは、ネットを介したものよりも、もっと直接的なものなの?

ライブにしかない、空気の場というか、人との熱量は好きだね。
僕は人見知りで人が怖いけども、人が好きで。
こうやって、あっきーと話してる時も、やっぱり熱上がってるし、
一人じゃ絶対考えないところに頭がいってるから、すげえ学びはあるし。
生きている喜びを今、僕は感じてると思うんだよ。
やっぱ、それでしかないというか。
自分が表現をする時には、熱と熱との対決だから。
目の前に人がいるかどうかによって、僕の熱ってのは全然違うし、感じ方も違うから。

そうだな。
自分以外の人と接することの偶発性から生まれる、
何が起こるか予想がつかない面白さってのは、
すごくあると思うよ。

そのライブ感というか、表現というのは僕が生きていることに直結していて、
それぐらい大事なもんだからこそ、人の前というのは大事に思ってる。
やっぱり、生きてるかどうかっていう話しだからね。
アナログなこと以外に僕の表現はないのかもしれない。
表現のやり方も色々とあって、たとえば本みたいに、
その場にいない人に時代を超えて伝わるものもあると思うんだけど、
僕のタイプとしては、直接的な表現が、自分が得意だし、好きだし、合っているんじゃないかと思う。

会わないと伝わらないものってのはあるよね。
空気感とかタイミングもあるし。

人の感受性ってやっぱすごいものがあると思ってて。
相手が何を感じてるか、無意識なりにすごくサーチしてると思うんだよ。
その場にいないと、そういう情報って全部カットされちゃうからさ。

後悔も含めて、味わう

むっちょりが応援団を始めたのって、
高校生の時、応援団をやりたかったのにコワくて逃げた、っていう後悔がベースにあるって言ってたでしょう。
この前むっちょりが、15歳の自分にメッセージを伝える機会があったとしたら、
「『後悔も含めて、味わえ』って言うと思う」って言ってたのは、
すごく面白いと思ったんだけど、あれはどういう意味の言葉だったの?

後悔をすることは、僕もあんまりしたくないんだけど。
でも人の話しを聞いてると、後悔も味わいなんじゃないかと思ったりするんだよ。
変な話なんだけど、自分は後悔したくないと思っているけど、
人が後悔したくないって言ってるのを聞くと、その後悔も味というか、ワインの
渋みみたいなものでもあるはずで。
その、後悔すらも必然というか、その人なんじゃないかと思うんだよね。
後悔したからこそ、今の決断があるはずで。
そうだとしたら、その後悔が重要だったわけでしょ。

それは、わかるなあ。
後から振り返って、長い目で見ると、
後悔も含めて、意味があった、って思えることはよくあるよね。

外部から俯瞰したら、それも人生じゃん、とか。
もし僕が死んでたら、絶対、それですら羨ましいと思うんだよ。
「感じてるの、お前?」
「悔しいの?後悔してんの?それは美しいね」みたいな。
感情で、嬉しいと悲しいって一緒というか。
反対があったからこそ、感じられるものだと思うんだよ。
感情って、一つじゃなくて、豊かで芳醇なものだと思うから。
それを人間として感じれることが一番の幸せじゃないかと思ってて。
死んだら、何かを感じてる人がうらやましくてしょうがないと思うんだよ。
15歳の僕に、「味わえ」と言うのはそういう意味で、それが、生きてるってことなんじゃないかと思うからこそ、味わえって言いたい。
でも、ホントに味わわれても怖いんだけど。

ん?
怖いっていうのは?

色々経験積んだ後の今だから、そういう風に思えるけど、
15歳でその視点持っちゃってたら、どうなの?とも思うし。
だから、矛盾してるんだけどね。

そうだよね。
取り逃がしたっていう経験がないと、その価値はわからないもんなんだろうな。
いっぺん取り逃がしたからこそ、「次は絶対、取り逃がさない」って思えるものな気がする。

僕ら、あの頃ってあんまり考えてないから、取り逃がしまくってるじゃん?
一周人生やり終わった後に、もう一回あのモードに入ったら全然違うよね。
すごい前のめり気味で生きてるよ、きっと。

そうそう、それは考えるよなあ。
今の自分だったらオレ、もっと捨て身でいくのにって。
多かれ少なかれ、みんなそう思うのかもしれないけど(笑)。

あれがいい、と思った頃にはもうないというかさ。
よく出来てるよね。
(2009年3月 渋谷「attic room」にて)

【暮らし百景への一言(武藤貴宏)】
このヒトゴトというサイトは革新的だと思った
それは聞き手と語り手がインタビュー後に
一緒に編集をする事ができるからだ

メディアというものは
誰が何のためにどうやって作ったのか
そのプロセスの情報をオープンにする事が
僕はとても重要だと思っていて
このサイトはそれができるサイトなのである

あっきー(清水さん)のやっている事に
僕はいつも度肝をぬかれるのだが
それは彼の行動にはいつも哲学が
しっかりとあるからだ


清水宣晶からの紹介】
むっちょりは、自分の頭で考える男だ。自分で用意した物差しを基準にして、何が正しいか、何が美しいか、何がカッコいいかを、自分で決めて動こうとしている。
むっちょりは、一見すると大人しいやつだし、聞かれてもいないことをみずから語るような男ではないので、普段はコノハチョウのように周りの景色に溶け込んで、その想いを内に秘めつつ暮らしている。

語ると決めれば大いに語る男でもあるけれど、むっちょりの真骨頂というのは、やはり、行動の中にこそあるのだと思う。むっちょりと何かを一緒にやった時は常に、言葉以上に、その行動から彼の価値観や目指しているものが伝わってきた。

むっちょりとは以前に、「ガムシャラユナイテッド」というバンドのメンバーとして組んだことがある。そのステージ上で、むっちょりがボーカルとして表現していたものは、歌ではなく、己の体からすべての力を出し尽くすような、魂の叫びそのものだった。
そのスタイルをそのままに、彼は今、我武者羅應援團の團長として、ライブハウスに収まりきらない、はるかに大きな世界へとステージを広げている。

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